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現代社会はどこに向かうか① 

2019年01月14日 | 現代の病理
『現代社会はどこに向かうか 高原の見晴らしを切り開くこと』 (見田宗介著・岩波新書2018.6刊)を借りてきました。

 著者は、1973年以来5年ごとに実施されてきた「NHK放送文化研究所」の「日本人の意識」調査を紹介して、2008年に至る35年間の変化を、日本人のものの考え方と感じ方の変動を、分析評価しています。

まずは次のようにあります。

もっともめざましい変化を示している領域は、「近代家父長制家族」のシステムとこれを支えるジェンダー関係の意識の解体、というべき領域である。
 「近代家父長制家族」とは、日本において典型的には、「高度成長期」の主体的な推進力であった「モーレツ社員」「企業戦上」を影で支えてきたような、「大は仕事に力を注ぎ、妻は任された家庭を守る」という、性別役割分担型の家族である。
 「理想の家庭像」をめぐる青年の意識は、40年間に表4のように変化している。73年の青年層にとって「性別役割分担」的な家族が40%の支持を集めて、最も「理想的な」家庭像であっだのに対し、2013年にはこの理想は7%にまで激減し、夫も妻も家庭中心に気を注ぐ「家庭内協力」家族が60%近い支持を集める、家庭の理想像となっている。
(73年の「性別役割分担型」は男性41%、女性39%、2003年の「家庭内協力型」は男性56%、女性62%で、共に男女差は意外に少ないということも注目される。「世代」の規定力が圧倒的である。) 

注目される変化は、「生活満足度の増大」ということである。「日本人の価値意識」調査では生活満足度について、「個人生活物質面」「個人生活精神面」「社会生活物質面」「社会生活精神面」の四つの分野それぞれについて質問すると共に、「全体としての満足度」を質問している。「全体としての満足度」を先に見ると、1973年14%→2013年28%と大きく増大している。ことに「個人生活物質面」60→87%、「社会生活物質面」53→89%と、物質面における「満足」が大きく増大していて(共に90%近く)、物質的な「経済成長」の基本的な課題は、すでにほぼ達成されているということを示している。
 
 この「満足度の増大」ということと関連して見られることは、青年たちの「結社・闘争性」の減少ということである。大きい政治問題でも地域でも現場でも、青年が「激しく戦う」ことをしなくなったということである。「政治活動無」60→83%、「地域の問題静観」18↓38%、「政治の問題依頼」H↓31%、「地域の問題依頼」30↓47%、「デモの有効性やや弱い」53→67%、「職場の問題静観」34→47%。要するに、政治問題でも、職場でも地誠でも「激しく闘う」ということをしなくなったということである。
 青年層の著しい「保守化」といわれる現象の背景もこのことにあるとみられる。
 
青年層の大半が、支持したい政党もなく、選挙の有効性を信じず、政治的な活動は「何もしていない」という事実は、社会の深部からの構造的変容の中で、現在ある政治の装置と方式の、深い「失効」を示唆してもいる。

 「近代家族」システムを支える価値観とモラルと感覚の解体と、生活満足感の増大、「結社・闘争性」の鎮静を示す大きい二つの回答群の他に、もう一群の、一見「奇妙」ともみえる回答群がある(「あの世、来世を信じる」5→21%、「おみくじや占いをした」30→46%、「お守り、お札を信じる」9→26%、「奇跡を信じる」15→26%)。
 広く知られているようにマックスーウエーバーは近代社会の基本的な特質を、生のあらゆる領域における〈合理化〉の貫徹であるととらえ、これを〈魔術からの解放〉、脱魔術化と呼んだ。
 今現代の日本で進行している、魔術的なるものの再生、あるいは脱・脱魔術化とも言うべきことは、この〈合理化〉という方向が、ウェーバーの予測しなかったある「変曲点」を迎えているということである。

 これらの信や行動がこのまま長期的に増大しつづけるものかどうかは分からないが(たとえば「奇跡を信じる」は2008年に36%と大きく増大した後で、いくらか減少している)、それは少なくとも近代合理主義の示す世界像の絶対性のゆらぎを示すものであるように思える。(以上)
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