『なぜあなたは自分の「偏見」に気づけないのか:逃れられないバイアスとの「共存」のために』(2021/10/15・ハワード・J・ロス)からの転載です。
このマズローのモデルは一般的に三角形かピラミッド型で表され、第一の、つまり最下層のレベルは、「生理的」欲求を示している。具体的には呼吸、食物、水、睡眠、性などのことだ。その上の階層は「安令」の欲求である。これは財産、肉体的な安全、生計を件るための仕事、健康、住居などである。3番目は、「所属」の欲求。つまりコミュニティとの一体感、家族、友情、愛などだ。4番目は「承認」欲求。これは自信、自尊心、他所からの尊重、達成感などである。そして最後、5番目のレベルであるピラミッドの頂点は「自己実現」で、マズローによると創造性や問題解決、共感、道徳、至高体験などの欲求だという。
だが、近年の研究では、マズローのモデルは心理学に大いに貢献しているものの、最も基本的な事実が見逃されている可能性も示唆されている。私たちの第一の欲求は、先ほど触れたように、集団とのつながり、つまり「所属性」という概念だというのだ。
カリフォルニア大学ロサンゼルス佼(UCLA)の心理学の准教授のナオミ・アイゼンバーガー、同じくUCLAの社会認知神経科学の教授で研究所所長のマシュー・リーバーマン、パデュー大学の心理科学の教授のキプリング・ウィリアムズが、実際に脳の機能を調べて、それを確かめようとした。被験者はヴァーチャル上で集団活動に参加し、そのあとで集団から疎外される状況がつくられた。そのときの脳の画像を調べてみると、社会的に排除されたことで、脳内の肉体的な痛みに関連する部位が活発化していたという。
所属性こそが第一の欲求ではないかという疑問については、かなり前から探求されていた。ウィルコンシン大学の心理学者で、一時はアズローと共同研究を行ったこともあるハリー・ハーロウは、1950年代にアカゲザルを用いてさまざまな研究を行い、その中で、ふたつのタイプの代理の「母親」をあたえられたサルの赤ん坊が、それぞれの「母親」にどのような反応を見せるかという実験を行った。代理母のひとつは毛足の長い柔らかな布でくるまれ、感触も外見も本物のアカゲザルに似せてあった。もうひとつは針金でつくられた模型だったが、赤ん坊が乳を飲めるように哺乳瓶が取りつけてあった。サルの赤ん坊は、布でくるまれた代理母のほうと一緒にいることを圧倒的に好んだ。この結果により、ハーロウは、社会的な親密さへの欲求が第一だと提言した。
そして、ボストンのマサチューセッツ大学の心理学の特別栄誉教授、エドワード・トロニックが、「無表情実験」という実験を行ってハーロウの説を証明した。トロニックは赤ちゃんの前にビデオカメラを設置し、親が赤ちゃんに話しかけたり、笑ったり、遊んだりといった普通の方法で交流する様子を撮影した。しばらくすると、親は表情を無くし赤ちゃんに何も働きかけないように指示された。赤ちゃんは、すぐに親の変化に気づいた。最初は当惑していたが、そのうちに何とかして親から反応を引き出そうとし、そのうらにだんだん怒りを見せはじめだ。トロニックは、このように述べている。「無表情実験において最も注目すべき点は、子どもが親の関心を取り戻そうとするのをけっしでやめないことです。親の気を引こうとして失敗し、顔を背け、悲しみ、落胆し、それからまた親に向き直って気を引こうとする。この動作をいつまでも繰り返しました。それが何度も続いてから、子どもは幼児用の椅子にじっと座っていられなくなり、身体をよじって泣き叫びました」、子どもたらには生理的な変化、たとえばストレスホルモンのコルナゾールの値や心拍数の増加も見られたという。
実験の内容はさてかき、このような結果は理にかなっている。人間が生存する中で最も脆弱なときについて考えてみよう。つまり誕生のときである。地球上に存在する大部分の生き物に比べ、ヒトの新生児は、親や面倒を見にてくれる者と触れ合う時間をより長く必要とする。私たちは、生まれて数分で歩いたり跳ねたりするシマウマのような生き物ではない。あただの子どもや孫、あるいは年の離れたきょうだいが生まれたときのことを思い出してほしい。最も基本的な欲求を満たしてくれる人がいなかったら、赤ん坊は生き延びることができない。
よく目を凝らせば、所属性が第一の欲求であることを示す兆候は、いたるところに見られるはずだ。