仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

言葉―7秒間の記憶

2023年03月03日 | 浄土真宗とは?

「大乗」(2023.3月号)掲載の、執筆者無記名の、私の原稿です。

 

言葉―7秒間の記憶

 

近代言語学の父・ソシュール

 

 

私たちにとって、なくてはならないものの一つに「言葉」がある。言葉と言えば、「近代言語学の父」とも称されるソシュール(1857- 1913)が有名だ。自ら言語観や言語思想の論文を発表することなく、1907年から1911年にかけてソシュールの授業を受講していた学生が書き留めたノートを、本人の死後に編集して出版された『一般言語学講義』(1916)が一冊あるだけだ。それが言語学のコペルニクス的転回を遂げたと称されるほどの功績を成し遂げた。通常、私たちは「言葉とはモノや概念の呼び名である」と思っている。ソシュールは「世界ははじめから個別の事物があるのではなく、言葉によって世界は認識されていく」と説いた。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」に通じるものがある。南無阿弥陀仏と別個に阿弥陀仏の救いがあるのではなく、念仏によって阿弥陀仏の願いとはたらきが認識されていくという理解だ。

言葉には、いろいろなはたらきがある。考えること自体が、言葉によって成立しているし、言葉には、パフォーマテイブ(行為遂行)という性能がある。言葉が、現実をつくり出すというはたらきがあるということだ。たとえば「命令」。「転勤を命ず」。その命令によって勤務が変わるという新しい現実が生み出される。「約束」もそうだ。「明日、一緒に映画に行こう」という約束によって、映画に行くという現実が到来する。

また言葉と記憶は密接な関係にある。米国の動物行動学者、R・ヤーキーズ(1876- 1956)の実験に興味深いものがある。小さな窓のついた部屋にチンパンジーをいれる。その小さな窓に赤か緑の板が不規則な順序であらわれる。赤の板が出たときに側にあるレバーを押すと、その板は消えて一定時間がたってから餌が出てくる。緑の板が出たときにレバーを押しても板が消えるだけで餌は出てこない。次の実験は、板が消えてから餌が出てくるまでの時間を五秒以内にする。するとチンパンジーは、このしくみを覚えいつでも餌を手に入れることができる。ところが、餌の出てくる時間を、板が消えてから五秒以上になると、何回繰り返しても決して覚えられない。五秒以上になると、色と餌の関連性を忘れてしまうからだ。

 これが人間だと、言語があるので板の色をアカとかミドリとか言葉にして覚えておける。時間が非常に長くなるときには文字に直して覚えておくこともできる。この実験からわかることは、言語は記憶に不可欠であるということだ。わたしたちは言葉を通して、一つのことを多くの人や、過去や未来の人たちと共有することができる。

 

「南無阿弥陀仏」を通して

 

以前「消えていく『今』~7秒の記憶と生きる~」が「第36回『地方の時代』映像祭2016」で「選奨」を受賞し、話題となったことがある。

三重県在住の47歳の女性が39歳のとき発症率100万人に数人というウイルス性の急性脳炎にかかり、脳の「海馬」という記憶を保持する機能の記憶障害を発症し、記憶が残るのはわずか7秒間。7秒より前のことは忘れていく。そのためすべて行動や会話をメモに残すという30分番組だった。言葉を文字にすることによって、未来の自分と共有することができるのだ。

 南無阿弥陀仏の言葉の如来となる。ここに人間の可能性を熟知した阿弥陀仏の巧妙な智慧があるように思われる。浄土真宗の門徒は、いつでも、どこでも「南無阿弥陀仏」を通して、阿弥陀仏に触れていくことができる。また、過去の人たちが味わったお念仏の理解を共有し、共に分かち合い、未来の人たちへ、言葉を通して伝えることもできる。

その南無阿弥陀仏の核心と伝統を記された親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)成立から850年を迎える。その内容を、現代人に届く言葉で語ることが求められている。

 

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