古い本(2004/10)ですが『仏力―生活仏教のダイナミズム』(佐々木 宏幹著)を図書館から借りてきました。著者は、駒沢大学名誉教授で曹洞宗の方で、宗教人類学・宗教文化論の研究者です。
目次は下記の如くですが、多岐に亘っています。
第1章 日本人と仏教―「教理」と「民俗」のはざまで
第2章 本山・本尊・先祖信仰
第3章 「仏」と「ほとけ」と「ホトケ」
第4章 盂蘭盆会と彼岸会
第5章 日本人の宗教意識
第6章 仏教僧侶とその役割
第7章 生活仏教とは
第8章 宗教的ダイナミズム考
おわりに 日本人が「無宗教」というのは本当か
「第7章 生活仏教とは」に「2葬祭と生活仏教」とあり、平成11年(1999)4月から、曹洞宗総合研究センターで「葬祭問題」について4年をかけて研究・調査を行い、平成15年3月末に『葬祭-現代的意義と課題-』としてまとめた記事が掲載されていました。抜粋して紹介します。
「序文」において奈良康明総研所長が述べているとおりである。
その要点を私なりに整理して示すと、⑴仏教各教団共通の問題の一つは、葬祭が宗学のなかに位置づけられていないことである、⑵葬祭は元来民俗信仰としてあったものを仏教が取りあげて仏教的世界観の上に独自の儀礼を構築したものだ、⑶したがって両者の間に種々の融合、並列、重層化などの「文化変容」が生じた、⑷葬祭には仏教と民俗双方の要素が分かちがたく混融しており、これを宗学、仏教学だけで理解し、意味づけようとしても難しい、⑸葬祭は仏教と民俗の多種多様な諸観念や慣行が複合して成立しているのであるから、「仏教教理」としてではなく、「仏教文化」として理解し、研究すべきである、ということになろう。
⑴ 葬祭を仏教の教義・理念と民俗・慣行との「宗教複合(体)」として理解することを意味する。応用宗教(仏教)学的なアプローチが要請されているのである。
⑵ 「民俗から宗旨へ」あるいは「宗教複合(体)を踏まえて教義・理念へ」という方向性が重視されることになった。宗学も現場も葬祭を「民俗(現実)から宗旨(理念)へ」という方向において捉えていなかったからではないか。
「今後解決されるべき課題」は、①宗門の葬祭は死者を出家者として葬送する「没後作僧」として意味づけられ、「授戒」が儀礼の中心になっている。この授戒は死者にとってのみ意味があるのではなく、生者にとってことさらに大きな意味をもつ。現代において「戒」とは何か。この問題は僧俗双方にとって解決を迫られている。② 日本各地には地域特有の葬祭習俗・慣行かおる。それらは近代化により変化を示しているとはいえ、なお民俗文化として生きている。中央で研究する際には、この「地域牲」を十分に考慮しないとその成果は役立たないものとなる怖れがある。
③葬祭は死者にたいする儀礼的働きかけである。死者は「霊」、「魂」、「ほとけ(仏)」、「先祖」などと呼ばれてきた。ところが今日、死者の意味づけが明確にできなくなってきている。
このため最近では、葬祭は死者のためにではなく、生者のために行うのだという説明が宗教者(僧侶)を含めて増えてきた。はたしてこういう知的・合理的な説明でよいのだろうか。現代において「死者のイメージ」(意味づけ)をいかに構築するか、急がれる課題である。
④全国規模の都市化現象のなかで、葬祭は家・同族の行事から家族の行事へ、さらに個人の行事へと変化している。都市においては伝統的な「家-先祖」型の死者の扱いが困難になってきている。こうした社会状況をよく踏まえて葬祭の議論をして欲しい。
⑤終末期医療(ターミナルーケア)が大きな問題になっている。死を間近かにした患者にたいして安心を与えるにはどうすべきか。(以下省略)
葬儀以外の内容は多岐に亘っており、寺院活動では、各寺からでている寺報を解析して、寺院の活動内容の分析をしています。
医療の現場からは、死の準備教育・悲嘆のケア、心のケアが不足しているので、宗教家に
目次は下記の如くですが、多岐に亘っています。
第1章 日本人と仏教―「教理」と「民俗」のはざまで
第2章 本山・本尊・先祖信仰
第3章 「仏」と「ほとけ」と「ホトケ」
第4章 盂蘭盆会と彼岸会
第5章 日本人の宗教意識
第6章 仏教僧侶とその役割
第7章 生活仏教とは
第8章 宗教的ダイナミズム考
おわりに 日本人が「無宗教」というのは本当か
「第7章 生活仏教とは」に「2葬祭と生活仏教」とあり、平成11年(1999)4月から、曹洞宗総合研究センターで「葬祭問題」について4年をかけて研究・調査を行い、平成15年3月末に『葬祭-現代的意義と課題-』としてまとめた記事が掲載されていました。抜粋して紹介します。
「序文」において奈良康明総研所長が述べているとおりである。
その要点を私なりに整理して示すと、⑴仏教各教団共通の問題の一つは、葬祭が宗学のなかに位置づけられていないことである、⑵葬祭は元来民俗信仰としてあったものを仏教が取りあげて仏教的世界観の上に独自の儀礼を構築したものだ、⑶したがって両者の間に種々の融合、並列、重層化などの「文化変容」が生じた、⑷葬祭には仏教と民俗双方の要素が分かちがたく混融しており、これを宗学、仏教学だけで理解し、意味づけようとしても難しい、⑸葬祭は仏教と民俗の多種多様な諸観念や慣行が複合して成立しているのであるから、「仏教教理」としてではなく、「仏教文化」として理解し、研究すべきである、ということになろう。
⑴ 葬祭を仏教の教義・理念と民俗・慣行との「宗教複合(体)」として理解することを意味する。応用宗教(仏教)学的なアプローチが要請されているのである。
⑵ 「民俗から宗旨へ」あるいは「宗教複合(体)を踏まえて教義・理念へ」という方向性が重視されることになった。宗学も現場も葬祭を「民俗(現実)から宗旨(理念)へ」という方向において捉えていなかったからではないか。
「今後解決されるべき課題」は、①宗門の葬祭は死者を出家者として葬送する「没後作僧」として意味づけられ、「授戒」が儀礼の中心になっている。この授戒は死者にとってのみ意味があるのではなく、生者にとってことさらに大きな意味をもつ。現代において「戒」とは何か。この問題は僧俗双方にとって解決を迫られている。② 日本各地には地域特有の葬祭習俗・慣行かおる。それらは近代化により変化を示しているとはいえ、なお民俗文化として生きている。中央で研究する際には、この「地域牲」を十分に考慮しないとその成果は役立たないものとなる怖れがある。
③葬祭は死者にたいする儀礼的働きかけである。死者は「霊」、「魂」、「ほとけ(仏)」、「先祖」などと呼ばれてきた。ところが今日、死者の意味づけが明確にできなくなってきている。
このため最近では、葬祭は死者のためにではなく、生者のために行うのだという説明が宗教者(僧侶)を含めて増えてきた。はたしてこういう知的・合理的な説明でよいのだろうか。現代において「死者のイメージ」(意味づけ)をいかに構築するか、急がれる課題である。
④全国規模の都市化現象のなかで、葬祭は家・同族の行事から家族の行事へ、さらに個人の行事へと変化している。都市においては伝統的な「家-先祖」型の死者の扱いが困難になってきている。こうした社会状況をよく踏まえて葬祭の議論をして欲しい。
⑤終末期医療(ターミナルーケア)が大きな問題になっている。死を間近かにした患者にたいして安心を与えるにはどうすべきか。(以下省略)
葬儀以外の内容は多岐に亘っており、寺院活動では、各寺からでている寺報を解析して、寺院の活動内容の分析をしています。
医療の現場からは、死の準備教育・悲嘆のケア、心のケアが不足しているので、宗教家に