仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「尼崎事件」②

2012年10月29日 | 日記
「尼崎事件」、これ以上悲惨な事件はないと思うほど、特異な事件です。人間の分限は、洗脳、殺戮と本当に縁次第であることを、報道に接するたびに痛切に感じます。

動植物には、その種のもっている分限があります。

明恵上人に「大根さま」の逸話があります。明恵上人は、常日頃から「大根さま」「人参さま」と野菜に「さま」をつけて呼称していた。おかしく思った弟子が、その点を指摘すると明恵上人いわく「お前、考えてみろ、大根は土の上にまかれて長い間、風雪に耐え、大きくなったら抜かれて、刻まれたり、熱湯に入られたり、それでも不平不満を言うことなく、大根の生涯を全うしている。様という文字は、“らしく”という文字、大根は大根の分限を守っているところに、大根さまとなる。坊主は坊主らしく、女は女らしくその分限を守る所に“さま”という呼称が付。私は、出家しながら坊さんらしいことも不十分で、大根さまにも見劣りがする…」

人間の分限は、縁次第でいかようにもなる、仏のもなれば畜生や鬼にもなる。これが人間の境界の恐ろしさでしょう。その意味での、「尼崎事件」のもつ、現代へのメッセージ性は大きい。単なる一地方の事件というだけで終わらせてしまっていいのかという感慨をもちます。
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