仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

尊厳死法案

2012年10月17日 | 生命倫理
宗教業界紙『中外日報』(24.10.4号)に、“尊厳死法案”についての議論が掲載されていました。私も自分の意見がありますが、それは別のこととして、ふと思ったことは、“法律の分限”という問題です。法律は世間の法であるので相対的なものです。相対的なものであるので、相対的なものを超えたことに対して、判断を控えるということがあってもいいのではないかと、漠然とですが回想しました。

平安時代、出家を罪するときは、まず還俗させて一世俗人として処罰する決まりがありました。出世間のことを、世俗の法で罰することを控えたのです。世俗の法以上のものを想定しているということです。

また、天台宗の回峰行者の特権として土足参内(どそくさんだい)ということがあります。御所の紫宸殿に、わらじ履きのまま参内し、加持 祈祷をすることが許されているのです。これも回峰業者を天皇より上に置く所作です。

現代なので仏教を世間の法より上に置けとは言いませんが、法律を超えた事柄、法律の支配下に置くべきでないことって、あるように思われます。それを具体的に言えば,その1つが死刑や安楽死といった死を人為的に発すことを法律によって定めるということです。

法律以上の存在がなくなっているところに現代の不幸があるように思われます。法律は、ある意味で現代の知性の具体的な姿です。死を人間の知性にゆだねてはならない。これが私の安楽死(尊厳死)に対する意見でもあります。
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