仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

休耕田 茂る外来種

2012年10月21日 | 日記
早朝、日の出前、歩きながら念仏していると、ふと昨日(24.10.20)読んだ読売新聞夕刊の記事が思い出されました。新聞を読んだというよりも、新聞を見たという方が適切です。「休耕田 茂る外来種ー福島の解除準備区域ー」というタイトルに、背丈ほど伸びた外来種のセイタカアワダチソウや雑草をかきわけながら歩く地主らしき人の姿が写ったカラー写真が掲載されていました。

新聞を読んだ部分は最初の10行だけでした。「北米原産で繁殖力の強いセイタカアワダチソウの根は、地中50センチまで伸び、在来種の生育を妨げる…」

念仏を称えながら思われたことは、その新聞記事のことを思い出して「念仏も私の深い深層に根付いているので、雑草(犯罪を犯すといった行為)が生えにくくなっている。自分が普通の人として生活できているのは、念仏が私の上に根付いているからに違いない」という回想でした。そして南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏…。また少し念仏を称えながら歩いていると「いや、現在まではたまたま、そうなっていないだけで、これから先は、どうなるかわからない…」ということが思われました。

そして結論らしきものは、今現実に都合の悪いことが起こっていない原因を念仏の上に味わうのは良いが、それは味わいであって、「念仏は人間の深い深層に根付いているので、雑草(犯罪を犯すといった行為)が生えにくくなる」ということを、方程式化(固定化)してしまうと、そこに闇が生まれる。その闇が、私の上に、驕りや慢心を生み出していくというものです。
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