読売新聞(21.8.20)投書欄「ほのぼの」に、本当にほのぼのする投書があった。
成人して味わった両親のこだわりの味
大学生 小沢 美月 20 (甲府市)
大学の前期試験が終わり、久しぶりに実家に帰った。仕事を持つ母が作る手料理といえば、昔からカレーライスが定番だ。しかし、その日出されたカレーは、いつもと違い、ぴりっとスパイスの効いた味だった。
この味は、両親が結婚してから子供ができるまで作っていたこだわりの味だという。子供には辛すぎるので、一番上の姉が生まれてから末っ子の私が成人するまでの25年間、めったに作ることがなかったのだ。
私も含めた子供が家を離れて、両親はようやく昔の味を楽しむようになったという。
小さい頃の私が受け付けなかったその辛いカレーを今の私はおいしく感じる。(以上)
お母さんの、子どものへの思い、その親の思いをカレーの辛さの中に思う娘さんの感性にほのぼのしたものを感じます。
この記事を読んだとき、二つのことを思いました。
1つは、「こうした当人が思った「ほのぼの感」は、一回で終わってしまうんだよな!」です。二日目からの辛いカレーには、おそらく当人はほのぼの感を待つことはないだろう。このほのぼの感を継続するためには、どうするか。ここに検討すべき1つの問題があります。
もう1つ思ったことは、「阿弥陀如来もわたしに救いを告げたときに、如来みずから封印したものがある!」です。
阿弥陀如来がわたしに救いを告げたとき、封印したものは「他者の喜びを自分のように喜び、他者の悲しみを自分の悲しみのように感じとる菩薩の心」です。そうなれと願いことを封印したのです。封印したとは、本心はそうあってほしいと願いをもっているということです。飲酒を封印する。本来は飲みたいのです。そして無条件の救いを告げられた。
私はその如来の勅命(呼びかけ)によって、菩薩のように人をいたわることのない心の闇が知らされ、生き方を問わない如来のお育てを頂く中に、縁に触れて人の喜びや悲しみに直接する機会があったとき、仏さまのまねをして、気のままに手を差し伸べることがある。そのとき私は、如来の封印したことがらに触れ、本来そうあってほしいという仏さまの願い、喜びに思いが至ります。
拙著『親鸞物語―泥中の蓮花―』で、小説なのでビハーラのことを挿入したらとアドバイスを頂き、そうした内容を聖人に語って頂いた部分がります。それはハンセン病の患者をお世話する施薬院に身を置く尊信(架空の人物)が聖人に悩みを語るという設定です。
施薬院とは、病人の治療と収容、飢餓者の養育を司っている所であった。尊信はそこで癩病者の世話をしているという。
尊信は対座してもしばらく黙していたが、ややあって重い口を開いた。
「それがしは明恵上人のなされる通りに、見よう見まねで病人の世話をしてまいりました。上人は常に、ちょっとした流れに小さな一本の木を渡して困っている人を渡してやるように、人の貧苦を助ける行いをせよ、それは小さなことであっても、人のために深い情けをかけることは、やがてはこの上ない悟りに到ると言うておられまする。ゆえにそれがしはその言葉を守り今日まで実践してまいりました…」
(中略)尊信は言葉を続けた。
「しかし私は時々、虚しさを感じることがありまする。それがしにできることは病人や貧者に食物や衣服を与えたり、病人の望むことはできる限り叶えるように努めておりまするが、されど最後は、それがしを恨めしそうに見て死んでいきまする。それを見ると、己のふがいなさに申し訳ない気持ちでいっぱいになりまする…」
親鸞はじっと聞いていた。尊真の語るところに嘘はないと思えた。己を飾ろうとしない尊信が尊く思われた。親鸞はゆっくりと語りかけた。
「よく心の内を打ち明けて下された。そなたの心のうずきは、女人が子を生むときの陣痛に同じ。きっと今、そこもとの中から新しい命が生まれ出ようとしているのでござる」
親鸞はそう言うと念仏しながら眼を閉じた。尊信もうつむいていた。二人の間を沈黙が包んだ。その沈黙を破ったのは親鸞であった。
「そこもとは病人たちに何かをすることの中にわが身の使命を感じておられるようにござる。しかれども必ずいつかは何をしても甲斐のない時が来る。そして人は死してゆくのでござる。それは病人もわが身も同じこと。命終わるそのとき、何のし甲斐もなくなった人を尊んでゆけるか、それは死んでゆく人がおこもとに投げかけている問いでありましょう。それに御身がどう答えるか。貴殿は、死をまったく意味のない出来事と思うてはおられまいか。しかしその意味のない死の中に何らかの意味を見出していこうとなされておられる。そこに今の心の痛みがあるのでありましょう」(以上)
菩薩のように何かをするとは、実は相手から仏さまの封印された願いに触れる機会を頂いていることにほかならない。
成人して味わった両親のこだわりの味
大学生 小沢 美月 20 (甲府市)
大学の前期試験が終わり、久しぶりに実家に帰った。仕事を持つ母が作る手料理といえば、昔からカレーライスが定番だ。しかし、その日出されたカレーは、いつもと違い、ぴりっとスパイスの効いた味だった。
この味は、両親が結婚してから子供ができるまで作っていたこだわりの味だという。子供には辛すぎるので、一番上の姉が生まれてから末っ子の私が成人するまでの25年間、めったに作ることがなかったのだ。
私も含めた子供が家を離れて、両親はようやく昔の味を楽しむようになったという。
小さい頃の私が受け付けなかったその辛いカレーを今の私はおいしく感じる。(以上)
お母さんの、子どものへの思い、その親の思いをカレーの辛さの中に思う娘さんの感性にほのぼのしたものを感じます。
この記事を読んだとき、二つのことを思いました。
1つは、「こうした当人が思った「ほのぼの感」は、一回で終わってしまうんだよな!」です。二日目からの辛いカレーには、おそらく当人はほのぼの感を待つことはないだろう。このほのぼの感を継続するためには、どうするか。ここに検討すべき1つの問題があります。
もう1つ思ったことは、「阿弥陀如来もわたしに救いを告げたときに、如来みずから封印したものがある!」です。
阿弥陀如来がわたしに救いを告げたとき、封印したものは「他者の喜びを自分のように喜び、他者の悲しみを自分の悲しみのように感じとる菩薩の心」です。そうなれと願いことを封印したのです。封印したとは、本心はそうあってほしいと願いをもっているということです。飲酒を封印する。本来は飲みたいのです。そして無条件の救いを告げられた。
私はその如来の勅命(呼びかけ)によって、菩薩のように人をいたわることのない心の闇が知らされ、生き方を問わない如来のお育てを頂く中に、縁に触れて人の喜びや悲しみに直接する機会があったとき、仏さまのまねをして、気のままに手を差し伸べることがある。そのとき私は、如来の封印したことがらに触れ、本来そうあってほしいという仏さまの願い、喜びに思いが至ります。
拙著『親鸞物語―泥中の蓮花―』で、小説なのでビハーラのことを挿入したらとアドバイスを頂き、そうした内容を聖人に語って頂いた部分がります。それはハンセン病の患者をお世話する施薬院に身を置く尊信(架空の人物)が聖人に悩みを語るという設定です。
施薬院とは、病人の治療と収容、飢餓者の養育を司っている所であった。尊信はそこで癩病者の世話をしているという。
尊信は対座してもしばらく黙していたが、ややあって重い口を開いた。
「それがしは明恵上人のなされる通りに、見よう見まねで病人の世話をしてまいりました。上人は常に、ちょっとした流れに小さな一本の木を渡して困っている人を渡してやるように、人の貧苦を助ける行いをせよ、それは小さなことであっても、人のために深い情けをかけることは、やがてはこの上ない悟りに到ると言うておられまする。ゆえにそれがしはその言葉を守り今日まで実践してまいりました…」
(中略)尊信は言葉を続けた。
「しかし私は時々、虚しさを感じることがありまする。それがしにできることは病人や貧者に食物や衣服を与えたり、病人の望むことはできる限り叶えるように努めておりまするが、されど最後は、それがしを恨めしそうに見て死んでいきまする。それを見ると、己のふがいなさに申し訳ない気持ちでいっぱいになりまする…」
親鸞はじっと聞いていた。尊真の語るところに嘘はないと思えた。己を飾ろうとしない尊信が尊く思われた。親鸞はゆっくりと語りかけた。
「よく心の内を打ち明けて下された。そなたの心のうずきは、女人が子を生むときの陣痛に同じ。きっと今、そこもとの中から新しい命が生まれ出ようとしているのでござる」
親鸞はそう言うと念仏しながら眼を閉じた。尊信もうつむいていた。二人の間を沈黙が包んだ。その沈黙を破ったのは親鸞であった。
「そこもとは病人たちに何かをすることの中にわが身の使命を感じておられるようにござる。しかれども必ずいつかは何をしても甲斐のない時が来る。そして人は死してゆくのでござる。それは病人もわが身も同じこと。命終わるそのとき、何のし甲斐もなくなった人を尊んでゆけるか、それは死んでゆく人がおこもとに投げかけている問いでありましょう。それに御身がどう答えるか。貴殿は、死をまったく意味のない出来事と思うてはおられまいか。しかしその意味のない死の中に何らかの意味を見出していこうとなされておられる。そこに今の心の痛みがあるのでありましょう」(以上)
菩薩のように何かをするとは、実は相手から仏さまの封印された願いに触れる機会を頂いていることにほかならない。