仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

川上清吉師からの手紙

2009年08月06日 | 浄土真宗とは?
早朝の4時くらいであろうか、ごうごうと雨音がする。ぼんやりと“今日は大雨か”と頭の中で早朝のウオーキングは中止の判断を下す。5時40分くらいに外を見ると、道は乾いている。“ああそうか、あれはクーラーの音であったか”と今日のウオーキングは断念。

昨日、出版社から冊子『川上清吉師からの手紙』(拙著)が送られてきた。32項の私の父と川上清吉師とのことを書いたもので、すでにあちらこちらで書いていたので、坊守には「またこれ」といわれる。でも母は喜んでくれた。同出版社にはもう一冊分の冊子用原稿を送ってある。

先の冊子の中に、川上清吉師が島根県の名もなき老人のことを書いたことを紹介している。それを転載し今日のブログを閉じます。

私と肩をすり合せているのは、七十位の山村の老人である。長い間、封建制の重圧の下にあった先祖から遺伝されたのか、骨のかたまらない子供の時から、薪など負って山坂を上下した結果か、その脚が、膝から下が短く、それが内輪に曲っている。これはかって小藩であり、平野の全くない石見の地方に、いつもみられる典型的な農民の姿態なのである。

この女性の一団の中の最年長の四十四、五位な人と、この老人との間に向いあっての会話がはじまった。見栄だの飾り気だのを、全然もち合せていない海の女性と山の老人との会話は、万歳よりもはるかに自然なユーモアがある。さびしい冷気が凝りつめている車内に、それが温気のような賑かさをそえる。失笑がわく、横槍が入る。邪気なき人々のエロばなしは、魚肉のようになまぐさくなくて、乾草の匂のようなぬくもりがある。
 ところが、会話をきいているうち老人は十何年前に連合いが死んでおり、おかみさんの方も数年前からの後家であることがわかった。そこで、二人をいしょにさせたらという動議が車内におこった。むろん、みな爆笑をあげての賛成である。       
 話がここまで来ると、老人は急に声をひくくして言った。
「やれやれ、人間もこんなに恥しい気がなくなったら、もう、おしまいだ。若いうちが花だ。」
すると女性の中の一人が言った。
「おじいさん。そう言うても、あんたも、十八が貰えたら、まだ悪くはあるまいがな。」
この時である。おじいさんの皺くちゃな顔が急にひきしまった。
 「十八。十八。―そうだ。十八さえ頂けたら、この年よりは、ほかには何にも望みは無いがな。」
 それから、となりの私の耳にだけ聞えるような念仏の声である。
 すると、前の女性の一人か、「とうとう、おじいさんが、おかし涙を出してしもうた。」と言って、また爆笑がわいたが、その老人も、それに釣りこまれるように笑ったが、杖の上にかさねた両手の上に、その額をつけてしまった。念仏の声である。
 私は粛然とした。「十八」の意味内容が両者でちがっているのだ。わたしも深いものの中に沈みゆくような思いで、み名をつぶやいた。

(西原)
「十八」とは阿弥陀如来の本願のエキスである念仏往生を誓った十八願のことです。名もなきおじいさんのかすかな念仏の声に、無量寿・無量光という広大な阿弥陀如来の躍動を感じ、その躍動に同調するようにみずからの口で念仏にふれたようです。(以上)
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