仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

熟成した気品

2009年08月19日 | セレモニー
読売新聞(21.8.19)の編集手帳に、ある高校野球球児の言葉が紹介されていた。

ドイツのソプラノ歌手エリカ・ケートさんは言語の響きや匂(にお)いに敏感であったらしい。歓談の折に語った比較論を「劇団四季」の浅利慶太さんが自著に書き留めている◆イタリア語を「歌に向く言葉」、フランス語を「愛を語る言葉」、ドイツ語を「詩を作る言葉」と評した。日本語は――浅利さんの問いに彼女は答えたという。「人を敬う言葉です」(文芸春秋刊「時の光の中で」)◆一昨日、甲子園の高校野球中継で実例に接した。横浜隼人(神奈川)戦に完投した花巻東(岩手)菊池雄星投手の勝利インタビューである◆「これまでも練習試合で対戦し、ずっと横浜隼人のようなチームになりたかった。きょう勝てて、少し近づけたかなと思う」。選抜の準優勝投手で、屈指の左腕で、文句なしの快投を見せた直後で、多少の大口は許されるだろうに、この言葉である(後略)

親の顔を拝みたいと思った。こんな言葉をつむぐ家庭環境、あるいは監督の指導が光る。

昨日は、親知らずを抜歯し腫れた頬で、牛久大仏のある牛久浄苑へ出勤した。出勤することは毎日のことだが、この牛久浄苑の○家の墓には「なまんだぶ ここは陽だまり あったかい」という言葉が刻まれている。

牛久大仏は、大仏の高さ100メートル(台座を入れると120)でギネスブックに登録されているという。
(http://daibutu.net/daibutu.html)そんな苑内に、○家のお墓は建っている。

葬儀の折に、御扱に拙著『浄土真宗の常識』を差し上げる。そのうち扉に「なまんだぶ こころ陽だまり あったかい」と私のサインがあった。その言葉を見て、この言葉を墓石に刻みたいとなった。そんなお墓です。

近年、墓石に色々な言葉が刻まれている。過般、友人のKさんが、「西原さん、こないだ墓地へ出勤してびっくりした。墓石に“パパ”とあった」。Kさんは、憶測ではあるが、どうも愛人らしき人が建てたお墓のようだったとのこと。

どこまでも刹那的な今を大切にする感覚表現なのだろう。“パパ”には私は尊敬、敬愛の雰囲気を感じない。それもその人らしさなのだから、他人があれこれ言う筋ではない。

「これまでも練習試合で対戦し、ずっと横浜隼人のようなチームになりたかった。きょう勝てて、少し近づけたかなと思う」。この言葉には、編集子も言うように、言葉の素晴らしさというよりも、ぶどうが、樽で発酵を終え、熟成用の樽で、混濁で味もバラバラなワインが適度に酸素を加えられ熟成していき、バランスのとれた美味しいワインになっていくよな熟成した気品があります。
コメント
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