仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

大きな物語の中に生きる

2009年08月30日 | 現代の病理
衆議員選挙の結果(21.8.30)が出る。政治家は国と国民とが現在と未来にむけて安心できる社会を提示し、そのために自分がなすべき役割を明確にして働く。その中には精神的に安寧できるシステムも入っているが、思想や信仰に必要以上の介入はしない。それが政治と分限だろう。

では宗教の機能はなんだろう。19世紀の西洋においては、宗教の社会統合的機能や宗教的権威が平和の礎としての役割を担っていた。でも現在では人間の内面の平和を提供する文化装置として扱われている。
 
創価学会のように世直しを標榜する宗教もある。それは1つの考えや信仰に対する執着(真理に対する執着)だと思う。非常な危険性をはらんでいる。正義ほど厄介なものはない。

政治家が国と国民とが現在と未来にむけて安心できる社会を提示するのならば、宗教は、国民が現在と未来に向けて安心できるコスモス(秩序のある価値観)をあたえ、生きる意味を提示することだろう。では政治や社会と無関係かと言えば、聖徳太子が「世間虚仮 唯仏是信」といわれたように、世間で起きていることは、絶対的なものではないと、物事を相対化していく。それが1つの役割だと思う。

物事を相対化させる。その1つに幸福がある。幸福は、考え方や価値観によって何を幸福とするかは相違する。それは当たり前だが、それぞれの時代によって、幸福に忍び寄っている闇があるように思う。

数日前「反省の個人化」という闇について書い。同様に消費社会の中で、消費によって「幸福」をえることが当然となり、幸福のタコツボ化、幸福の自己完結的な個別化という闇があるように思う。個人の経済的な安定など永久ではないのだから、その幸福の根底には常に喪失する危機があり不安が仕込まれている。幸せだが孤独、あるいは幸福だが幸せの実感がない人びとを生みだしている。

幸せであっても時として不幸であっても、大きな物語の中に生きている実感、大きな秩序に支えられている安心、この大きな物語と秩序を提供こそが宗教の役割だと思う。

幸福実現党の戦略、基本的に一人も当選しないことを前提としての論法です。全国で30万票取ればすごいと思う。10万票くらい、これは私の予想。
コメント
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