シンガーソングライターとしてデビューし、音楽業界で多彩な仕事で「異才を発揮している」という合田道人の「童謡の謎」(表紙カバー)シリーズの一冊。
「童謡や愛唱歌とされる歌たちの背景に戦争が見え隠れしているものが実は多い。戦争の中で作られたり、戦後の苦しみの中から生まれたりした童謡が今も息づいている。兵隊や戦争といった直接的な言葉や詩がなくても、その裏側に戦争が潜んでいた歌を知るたびに、正面から向き合う必要性を感じた」(まえがき)
たとえば、「うみ」。「海は広いな 大きいな」で始まるあの歌は、昭和16年に教科書に掲載されたという。真珠湾攻撃の年です。この年から、小学校は国民学校という名に変わり、国民学校の一番の目標は、「皇国民の錬成」。その国民学校の一年生が習う歌として登場したのが「うみ」でした。
この歌のどこに戦争が隠されているかというと、3番。「海にお船を浮かばして(当時は「し」だった) 行ってみたいな よその国」
「ここにしっかりと男の子たちの夢が描かれているのだ。・・・早く大きくなって男の子たちは、兵隊さんになりたかった。日本のために戦争に出向きたかった。・・・・海を渡って敵国、よその国に乗り込んで勝利を収めたい・・、そんな心がこの歌を大きく支援していったのである。」
指摘されて初めて、この歌の1番、2番と3番の間に飛躍があることに気付きました。1番、2番の主語は「海」、でも3番は「ぼく」。突然変わっているのです。
明治43年に発表された「我は海の子」も同様。ただしこちらは、実は堂々と戦争を前面に出した歌だったのです。今は3番までしか歌われていませんが、終戦までは7番まで歌詞がありました。
「7 いで大船を 乗出して 我は拾わん 海の富 いで軍艦に 乗組みて 我は護らん 海の国」
「「我は海の子」の本質の意味は、海で毎日泳いでいる元気な子供というものだけではない。海国日本、海軍日本の子こそ「我は海の子」なのである。」
「汽車ポッポ」も出征する兵隊を見送る歌として作られたのだそう。ほかにも、戦中戦後に歌われた有名な童謡の「謎」がいくつも解きほぐされています。
子供たちの心に、じわじわと忍び寄るようにして、戦争を身近なものとさせるための道具に使われた童謡(学校で歌われたものなので、唱歌といったほうがいいかもしれません)の数々。戦後生まれの私たちも全く知らずに歌っていました。
今は、昔の唱歌が音楽の教科書から消えたと聞いて久しい。なんだか寂しいなと思っていましたが、戦争にまつわる歌は少なくとも教科書からは消えたほうがいい。また「じわじわ」来られるのはいやです。ただし、新しく教科書に載った歌が、またまた「国策」に則った歌でないと言い切れるのかどうか、知りません。
インターネットは軍事目的に開発されたものが、転用されたことはご存知?