ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

本日は田辺のお不動さん法楽寺三昧。護摩だきに。リーヴスギャラリーで12月9日まで開催中の小坂奇石展を。不動講総会に初めて参加。上院と維那のお話を聞きました。お土産でもらった田辺大根の箸置き最高!

2018-11-28 20:56:50 | 法楽寺おまいり

本日は、28日。

お不動さんのご縁日。

田辺のお不動さん法楽寺では、護摩だきがなされます。
朝、10時と、昼2時からです。

私は、9時50分ごろに、法楽寺へ。

本堂左側の護摩木用の専用窓口へ。

表に氏名を書きます。今年になる・なった満年齢に対する数え年を書きます。
私は、12月生まれなので、満年齢+2歳 を書きます。

裏に願い事を書きます。

そして、窓口に300円とともに出します。

そして、本堂へ。

まずは、大阪最強と言われている(大阪13仏巡りでのお不動さんは田辺のお不動さん)田辺のお不動さんにごあいさつ。



おみくじをひくと33番。納経所で、100円を支払い、おみくじをもらうと、33番吉でした。

そして、外陣の椅子に座りました。

護摩だきがはじまりました。

最初は、般若心経が繰り返し唱えられますが、途中からは、不動明王のご真言に変わります。

席からの眺め。

前に出て、写真を撮りました。

元の席にもどろうとしたら、おばちゃんが座っていました。
さすが、大阪のおばちゃんです。

1時間くらいいましたが、退出しました。

そして、楠大明神様にごあいさつ。

そして、リーヴスギャラリー小坂奇石記念館へ。

入場料は300円。
不動講の会員だと言うと、タダになりました。
そして、入りました。

 

 

 

 

 

 

 

 たくさんの書が展示されていました。

私は、あまり、書に関しては、わかりません。

小坂奇石に関するビデオが流されていました。

見ていました。

その中で感激したのは、「高い書は、心と技術の一致によって成り立つ。」という言葉でした。
感激しました。
いくら上手に文字がかけても、心がなければ、高い書にならないという事です。
字のうまい人が心をもって書いて初めて高い書となるのだなあと理解できました。

そして、昭和5年に、東住吉区田辺東ノ町8丁目に移転とありました。
おばあちゃんが住んでいた家が、田辺東ノ町8丁目にあったので、近所だったのだなぁと思われました。
その後、山坂町に移転と書いてあります。
うちの家は、堺・宿院の邸宅が堺大空襲で焼けて、和歌山の親戚宅に移り、
終戦の3日前に、田辺東ノ町で家を買ったというので、住んでいたころには、小坂奇石さんは、住んでいなかったと思われます。
ちなみに、家が買えたのは、針中野の隣町・田辺に新型爆弾(その後1990年に長崎の原爆と同じ5トン爆弾だと判明)が落ちて、大きな被害が出て、
次は、東住吉区の中心・針中野の番だと言われ、2足三文で売りに出ていたからです。
3日後に、終戦となり、元の持ち主が、代金を返すので、家を返して欲しいと言ってきたそうですが、アホかと言って追い返したとか。
その後、芸能人のイーデスハンソンという外人が歌舞伎役者と結婚して、向かい側に住んでいたとか。

会場内の生け花。醍醐未生流と言う事でした。

 


そして、ビデオの中にあった、英霊地蔵のもとにある小坂奇石さんの英霊と言う文字を見に行きました。

大師堂の弘法大師様にごあいさつ。

再び、本堂で、田辺のお不動さんにお参り。
おみくじを引くと、36番でした。

36番半吉でした。

そして、本日、御開帳となっていた三重の塔へ。

三重の塔の周りを般若心経を唱えながら9周まわりました。

水かけ不動さんにもごあいさつ。

法楽寺の略縁起が新しくなったそうです。

 

そして、駒川のマンションへ。

そして、以下の看板を見つけたので、午後3時に、再び、法楽寺に来ることに。

午後3時に法楽寺の客室へ。
「不動講総会とお話の会」に行くのは初めてです。

まずは、住職を先月降りられた上院様のお話。
先月までは、住職または院主という役職で呼ばれていましたが、今月からは、上院という役職になったとか。
行基のお話。
人の行き来を盛んにするため、交通網を整備したことで有名で、矢田行基大橋などが知られています。
人との行き来が盛んになると、宿が必要になり、安宿をこしらえたのも、行基だそうで、
その安宿のことを布施屋と言って、最後まで、残っていたのが、あの東大阪の布施と言う事でした。

続いて、維那(ゆいな)さんのお話。維那と言うのは、個人名ではなく、上院とかと同じく役職名です。

非常に話の上手なお坊さんです。
大阪の文化について。
印象的だったのは、大阪の文化をつぶしたのは、毎日放送と吉本興業だという事でした。
もともと、大阪は、商人たちがお金を出し合って、適塾などをこしらえ、日本でも最も文化水準の高い場所だった。
それを毎日放送と吉本興業がつぶし、大阪をお笑い、白痴文化にしたというものでした。

お土産をもらいました。

そして、外へ。
境内に落ちている銀杏をひろっている人がいました。

お土産。

朝に焼いたみかさと田辺大根の箸置き。

めちゃかわいい田辺大根を形どった箸置きです。

リーヴスギャラリーの受付でも販売しているとか。

田辺大根の話は、小学校の時、郷土の歴史で習っていました。
東住吉区は、田辺大根の産地で・・・
でも、田辺大根は、その当時は、絶滅していました。

が、割と最近、その種が農家で見つかって、栽培されるようになったという事です。
形崩れしないのが特徴となっています。
12月28日の終不動では、田辺大根の炊いたものがふるまわれます。

 

 

 

 

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4 コメント

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徳川御三家紀州の文化潰したんは、空襲で焼けて逃げて来た大阪民国人やしょ? (紀伊田辺大根)
2018-11-28 22:20:04
おい、還暦のおいやん!
おまん、も少しマシな字い書けやんのか?
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文化というより学力やろ😓 (アスペようへい)
2018-11-29 00:59:37
まっえっか❓😒みたいな😒上方文化だったのにというか😒薔薇🌹をタンポポにしたみたいなことがいいたいのか❓😒アンタこそ人のこと誰よりもいえん1人やろ😓
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それこそ、その坊さんの個人的見解ちゃうの❓😓 (アスペようへい)
2018-11-29 01:04:39
えむびーまんこそユーモアのセンス0やけど人のこと誰よりもいえん1人ちゃうの❓😓ユーモアでもアホなことやって笑われるというか、お笑いならアンタでも笑いとれるとかそういうこと❓😓
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Unknown (Unknown)
2018-11-29 07:14:10
ウンコ文化と黄ばみブリーフ文化の東住吉区中野
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