骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

亀戸浅間神社を骨で聴く

2015-03-12 15:39:03 | 骨で聴く巡礼旅
日本武尊と弟橘媛の伝説に彩られたパワースポット・走水神社は大好きな神社のひとつですが、その伝説の続きに関連する神社として、亀戸浅間神社は外せません。もちろん湯島の嬬恋神社もありますが、ここは色々な見所もあるのでわざわざ出かけても損しないでしょう。

 → 横須賀・走水神社を骨で聴く
 → 妻恋神社を骨で聴く

日本武尊が、相模から上総へ船で向うときの伝説です。
日本武尊は「こんな小さな海なら、駆けて跳び上がってでも渡れる」と大言壮語して海を渡りましたが、海の中程までくると突然暴風が起こり、日本武尊の船は漂って渡ることが出来なくなってしまいました。
その時、日本武尊に従っていた弟橘媛が「これは、日本武尊のお言葉に怒った海神の仕業だ」と言い、日本武尊の身代わりに自らの身を海に投じたことで暴風はやみました。弟橘媛の行動により、船は無事に上総側の岸に着くことができたという伝説です。

その舞台となったのが横須賀の走水神社です。

この伝説には続きがありました。
現在の東京湾に身を投げた弟橘姫の笄(こうがい)と櫛(くし)が奥湾に漂着したといいます。

笄は現在の江東区亀戸9丁目(旧神社跡)付近に漂着したようです。当時は高貝洲と呼ばれていた地域でした。

この話を聞いた第12代・景行天皇は大層愁いて、ここに笄を埋め、祠を立てて祀ったといいます。
以来、「当時の諸将が苦難の折に、この祠に参り祈願すると何事も必ず聞き届けられたとも伝えられています」



室町時代になると、富士信仰が盛んだったことから、甘露寺元長に勧請し、霊峰富士山の御守護神・木花咲耶比売を戴き、この笄塚の上に浅間社として創立することになりました。



太平洋戦争の東京大空襲も無事に切り抜け、都区内では稀少な木造建築の神社として鎮座しています。



笄塚として残る山は富士塚で、規模はそれほどではないですが、弟橘媛伝説のせいか、荘厳な雰囲気も感じます。
また、富士塚の手前で、参道奥に建てられている鳥居は八幡形鳥居(明神形)です。戦災で火をかぶっているため、黒く焦げたような状態になっているのが歴史を見てきた証人のようで貴重です。



境内の東南(社務所の脇石造鳥居の右脇)には、六ッ目地蔵小屋があります。
神道と仏教という、いかにも日本的な光景です。

こんな神社を骨で聴きます。耳だけでは聞こえない「何か」が骨から脳へと伝わるような感じがします。
走水神社のようなパワー漲る感じではなく、都会のオアシスのような、癒しの音声を感じます。