明和4年(1768年)、江戸の亀島川霊岸島地先の埋立地完成に際して、伏見稲荷の分霊を勧請して創建されたのが大栄稲荷神社です。埋立地完成のときに付近住民地浄めの神として遷座しました。その当時は霊岸橋ぎわの一角を占め、周囲には種々輿業物・掛茶屋等があったようです。また、神社では富籤の発行などもあり、江戸の市民が集まり、大いに賑わったといわれています。
しかしその後の火災、大正時代には関東大震災の被害、さらに現代では区画整理等で社地が減少し、現在では気づかなければ通り過ぎてしまうほどの小さな神域となりました。
現在の地名では中央区新川1丁目になり、新川北町会事務所と兼用になっています。そんな小さな大栄稲荷神社へ、最先端技術が光る骨伝導機器とともに参拝へ行きました。
交通量の多い永代通りから一歩中へ入った場所に鎮座する神社で、路地裏のような印象です。それでも街の喧騒から離れ、小さな祠と鮮やかな鳥居に導かれることで、大栄稲荷神社は己の存在証明を主張しているかのようです。
騒音対策としての骨伝導機器から、静かな環境での参拝の補助器具となり、耳ではなく骨からも周囲の音声を聞き取ります。さすがに米軍で採用された特許技術の骨伝導ヘッドセットは性能が違います。小さな神社の大きな歴史の「声」が聴こえるかのような感覚すら抱けます。
⇒ 米軍採用の骨伝導製品
都会の中の小さな神社は、鎮守の森がなくても十分に魅力的な要素があることに改めて気づかされました。ありがとう、骨伝導ヘッドセット。