(1)坂本龍一さんが亡くなった。71才の「若さ」だった。「坂本龍一」が強いブランド(brand)になっていたので、これまではあまりつくりだしたテクノポップ同様に「人間」は感じなかったが、脱原発、核燃料再処理問題、東日本大震災被災地支援、自然森林保護、沖縄基地問題、戦争反対で発信、行動を続けてきており、そこには「人間」坂本龍一を強く感じさせるもの、坂本龍一の本質(essence)があふれていた。
(2)45年の音楽活動でアルバム、映画音楽を多数手がけて発表して注目も集めたが、YMO、忌野清志郎さんとのコラボでかなりドギツイ化粧で世間のドギモを抜いたのは経歴や手がけた音楽に対する「人間」としての反発、アンチテーゼ(anti thesis)があったのではないか。
つまり「坂本龍一」ブランドが手がけたものはすべて正しい、見事という世間、社会の注目、評価に対して、いつもそうではない「人間」坂本龍一の一面をあえてみせつけたのではないかと考える。
(3)そういう世間、社会の常識、普遍性に対して、そうではない普通の「人間」の安心感、普通性をみせて、あらゆる概念、普遍性を乗り越えてつくりだす「音楽」に純粋に向き合ってほしいと考えたのではないか。
坂本龍一さんの「音」の原点は日常生活でどこからでも聞こえてくるあらゆる様々な「音」(本人談)であり、それらに耳を傾けながら自分がそれに何を加えられるのか、加えていけるのかを考える自然体の音楽創作活動だった。
(4)だからがんに冒されながらも最後まで音楽創作活動をつづけた音楽人生だった。坂本龍一さんは小澤征爾さんと同じく世界に知られた音楽家であったが、指揮者小澤征爾にはならずに一度は学んだクラシック音楽とは対極の当時としては先端系音楽のテクノポップ(YMO参加)をつくりだして、日本、東洋、西洋融合文化を意識(報道)した音楽で世界を席巻した。
(5)東京芸大作曲科時代に三島自決事件に遭遇し、思想は違っても「なぜか熱くなった」として三島が運ばれた警察署に友人と乗り込んだエピソード(報道)があるように、最後までこうあるべきものに抗(あらが)った「男気」(manliness)のある「人間」坂本龍一の音楽の生き様だった。