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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ニューヨークからの惜別。 regrettable farewell from new york

2012-12-29 19:30:38 | 日記
 2000年の日本一となって帽子をかざしてグラウンドを一周する巨人軍長嶋監督と松井秀喜選手の満面笑顔の重なる姿が印象的な今日の新聞の報道写真だ。
 巨人10年間でホームラン王、打点王、MVP3回、首位打者1回の強打者(ホームラン王、打点王、首位打者)で勝負強く大舞台に強い(MVP)4番打者(記録には「3」が似合う)として存在し、03年から米大リーグのヤンキースに移籍して、09年のワールドシリーズでホームラン3本、打率6割以上でワールドシリーズMVPに輝き、ヤンキースをワールドチャンピオンに導いたメジャーリーガー松井秀喜さんが日米20年間のプロ野球選手生活に終止符(full stop)を打った。

 巨人在籍中の10年間で個人、チームに「結果」を残して、同じ名門のヤンキースに移籍して「生涯(lifelong)」メジャーリーガーを目指した「決意・決心」があったのではないか。
 押しも押されもせぬプレーヤーとして日本を代表して米大リーグの名門ヤンキースに移籍して、望むと望まざるとにかかわらず「結果」を求められて、退路を絶っての不退転の決意、決心が必要であったろう。
 その決意、決心、結果を見事に果たして貫いた「優秀」の「美学」の引退表明であった。

 ファンからすれば、「どんな」松井秀喜さんでもよかったのだ。もう一度、日本でのプレーを間近で見たい気持ちではあったが、本人は日本球界復帰待望の声に対して「多くのファンが10年前の姿を見たいと期待する。正直言って、その姿に戻れる自信は持てなかった」と否定してみせた。

 晩年は膝のケガ(手術)で悩まされたが、まだ38才で健康体調管理も行き届いていた容姿と見受けられた。06年の外野守備での手首の骨折が結果として、晩年に特に最大の特徴の長距離打者の打撃技術面(手首スキル)で影響したのではないのか。
 そういう意味では、09年のワールドシリーズMVPで頂点に達して燃え尽きたということか。

 印象的な言葉がある。高校時代に松井秀喜さんを指導した当時の高校野球監督が、伝説の高校野球甲子園5連続敬遠に関連して「本当の『プロ』として、怒りたい気持ちもあるだろうが、チームのためにそれも作戦のひとつと割り切っていた」(趣旨)と松井秀喜さんの引退表明に発言(インタビュー)していた。
 当時から指導者に「プロ」と自覚させる人間資質を持っていた。

 ニューヨークでの引退会見(regrettable farewell from new york)では、さすがに目頭に少しだけ潤(うる)むものがあったが、空(くう)を「カッ」と見開いた目からは、近い将来の指導者としての「先」を見据えているようなあらたな決意、決心のようにも見えた。
 ニューヨークと東京を行き来してもいいし、どちらでもいいグローバルに活動してほしいものだ。

 本人の引退表明インタビュー最後の言葉、「もう少しいい選手になれたかもね。」が誰もが辿(たど)りつけないところ(ワールドシリーズMVP)に立ったものだけのアスリートスピリッツの真髄だった。

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