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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

無期懲役から一転無罪。 turn to not guilty from a life sentence

2012-12-13 20:02:33 | 日記
 (1)研究者の学説、見解は独自の視点、切り口、分析、理論があって多様であっても、それは比較高い理論付けの判断資料として不利益ではないが、社会正義のパラダイム(paradigm)としての裁判官の判断、判決というのはおおむね事実認定で両極端(the two extremes)などあってはならずに証拠能力、事件概要、背景を読みとる力量、資質(quality)で能力基準があって当然だ。

 08年京都府舞鶴で起きた女高生殺害事件で逮捕された被告が1審で無期懲役となり、控訴した2審では一転無罪(turn to not guilty from a life sentence)という両極端な判決となった。
 1審と2審で捜査をやり直したわけでもなく、新しい証拠が出たわけでもなく(死刑判決再審無罪は新証拠提出があってのこと)、同じ「証拠」をもとに判断、判決を下したものだ。

 (2)同じ証拠の分析、解釈にこれほど両極端の見解、判断を出す裁判官の司法能力、力量では、社会正義のパラダイムなど維持、保障できるものではない。検察、警察の捜査能力、手法に根本的な問題(証拠偽造、誘導尋問)があきらかになって検察、司法改革が急務となって検証されている中、裁判官の司法能力劣化も現実のものとなっている。

 (3)そもそも同事件は、物的証拠に乏しく事件当日に被告が被害者と一緒に歩いていたという目撃証言に、同被告らしき人物が防犯ビデオ映像に写っていたということによる立証事件であった。

 これに取り調べを受けた被告が「あやふや」に証言を変えながらも事件行為者にしかわからない内容を供述したとして、検察は立件して起訴した。
 物的証拠に乏しく、目撃証言と本人自白で事件立証した構図は、自白偏重主義の誤った過去の司法手法そのものであり、その後の郵便料金不正使用事件での取り調べ過程での証拠偽造での検察信用失墜に到った検察組織崩壊の中での「同類」構造事件捜査であった。

 (4)検察不信の現状は、2審で被告の当初の供述が「遺留品の特徴にそぐわなかったり、あいまいだったりした」(判決文)が「長期間の取り調べの中で具体的な供述に変容している」(同)として、検察の『誘導尋問』性について言及した。

 事件の信ぴょう性は別にしても、司法判断上は物的証拠に乏しく、有力情報の目撃証言も当初は「被告と大きく異なっていたが、時間の経過に伴い~一致しないものが順次消失」(同)と変化していることなどから、事件として立証するのにあまりに不十分な状況、証拠内容であったことは推察できるので、2審の無罪判決が妥当なところだ。

 (5)元民主党代表・幹事長の政治資金虚偽記載事件の不起訴処分(のちに強制起訴裁判で無罪確定)と同じく捜査手法(不十分な裏付け捜査)、取り組み、判断能力に問題のあることはあきらかだ。
 物的証拠に乏しく、目撃証言、自白もあいまいで不鮮明な防犯ビデオ映像で、他に実行できるものが誰がいるかとばかり無期懲役にされては、法治国家の社会正義のパラダイムが成り立たない。

 (6)でも「問題」は、そうした「同じ証拠」状況の中で裁判官の「判断、判決が両極端」にわかれる「司法能力・資質・判断基準、精度」だ。
 (新)司法試験をクリアーして一定の修習期間を経ての「裁判官」としての司法能力、判断力、資質の極端な不均衡性(unequalization)はどこからくるものか。

 研究者の独自理論の比較問題ではない。個人の人格、身分、自由、財産(時には生命)を拘束、奪う司法権力の問題だ。
 裁判官の判断能力の比較劣化も問題だ。

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