まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

鶯の姿を見たー

2011-04-28 | 日常


昨日は友人からのランチのお誘いで出かけました。





まず 友人の家の見事な枝垂れ桜を見せていただき友人の車で街から離れた

里山にある民家レストランの日本そばを食べに・・・

天板 1350円 山菜、野菜、エビのてんぷらとせいろのそばは お値段よりずーっと

豪華で美味しいものでした。(食べるのに気を取られ写真を撮るのを忘れた)

ちなみに 東京丸ビル最上階の天○のてんぷらコース15000円の天ぷらと遜色がないものであった。

日本そばは苦手な私ですが 大変美味しく戴きました。

車に乗せてもらった身、何処をどう行ったか???

今度行く時は地図で調べてから行くことにしょう っと! 

そのお店 次から次とお客さんの数が半端じゃなく庭にはテントを張った広い待ち場所があった。

それだけ評判のお店の様である。

ランチの後は水芭蕉の群生地へゴー! キレイ!キレイ!満開で最高の時期でした。









水芭蕉の木立の中は鶯の鳴き声が凄く 見上げればあっちの枝、こっちの枝に鶯が・・・・

何と 鶯は姿を見せないもの・・・と思っていたが 



喉を震わせ鳴く鶯の姿を沢山見ることが出来た。

 満足!満足! の一日でした。



逞しいアピオス

2011-04-26 | 日常


じゃがいもを植えるために畑を耕していたら

出てくる、出てくる 土の中からネックレスが・・・・

昨年秋 掘り残しておいたアピオスがザクザク出てきた。



土の中で冬越しするところをみるとそれだけ逞しい芋と言う事が言える。

1度に食べるのは1~3個と説明されている。

何故だか分からないが、沢山食べると栄養過多で鼻血でも出るのかな? 

郷里の友人に この「アピオスを知っているか?」 と写メールで送ったら

「知らない、見たこと無い、食べられるか?・・・」との返事。

種芋にと少しばかり送り、試食してから植えるようにと書き添えた。

まずお味を、そして秋の収穫を楽しんでくれるといいが・・・・・ 







春は来る

2011-04-24 | 日常


今回の様な大災害があっても 

何事も無かったかのように春は訪れる。

庭の菜の花、カタクリの花、水仙、そして畑の脇の桜は咲ほこっている。





でも いつもの年と違っている事がある。



春の声が聞かれる頃 畑仕事をしていると 例年なら鶯の鳴き声を楽しむ季節である。

手の届く位の近いところで(姿は絶対見る事が出来ない)



最初は「ケキョ!ケキョ!」そして「ホケキョ! ホケキョ!」

半月もすると上手に「ホ~ホケキョ! ホ~~ホケキョ!ケキョ!ケキョ!ケキョ」と

拍手したくなるほど上手に鳴くようになる。

それが 今年は一声も聴く事ができない。。

それは そばの木の上で沢山のカラスが狂ったように鳴いているからと思う。

このカラス 今年は全然鳴き方が違う。

屋根から木へ、木から屋根へと飛びまくりながら鳴きまくっている。

その鳴き方が何しろ気持が悪い。それも沢山のカラスが鳴き合うのでたまったものではない。

ある日は 取り残した人参をほじくり返しついばんだらしく粉々の人参が散らばっていた。

隣の畑の方曰く「浜のカラスですよ、津波で海岸での食べ物が無いから・・・」と

その 真意は分からないが・・・

カラスのいたずらは さやえんどうの莢を半分切り取ってばらまかれている。

夏には キュウリやナスやトマトの小さな実を摘み取って落としてある。

これは困りもの、今年は特に心配である。

カラスの悪知恵は褒めてつかわしたいくらい天下一品

寒い間はキャベツ系の葉っぱをヒヨドリが食べてしまい丸坊主にしてしまうので

鳥よけのネットをかけたらヒヨドリがかかってしまった。

カラスはこの様なヘマは絶対にしない。

腹立たしいが「あっぱれ カラス・・・・」である。




ふる里 追伸

2011-04-22 | 日常



前回の ふる里のブログを載せた翌日である今日 

郷里の 市の便り、会報誌 が届いた。

何故 遠い郷里からこの様な物が届くかと言うと

東京近辺に住んでいる地元高校の卒業生の集まりである ○○高校首都圏同窓会 が

毎年東京で行われている。

私は首都圏在住ではないが 特別お仲間に入れて頂いており

その 同窓会には地元の市長さんや同窓会会長さん、市会議員さん、

卒業高校の校長先生等が出向いて下さいますが

その市長さんのはからいで首都圏に住んでいる同窓会会員に 

地元の市の便り、会報誌が毎月届く。

生まれ育った所より倍近い年月も住んでいる所の

市政だよりはロクに見た事が無いのに

郷里のが送られて来ると隅ずみまで隈なく見る。

今日届いたのには 大震災の援助物資のこと、義援金のことなどの記事が載っており



強い関心をもって拝読した。

沢山の物資、沢山の義援金を送って戴いたようである。



被災地に住んでいる者として感謝の気持ちでいっぱいである。

遠くに住んでいるとふる里の事は些細なことでも気になるものである。

そんな 私達に毎月送って戴く ふる里の便り はとても嬉しい。

市長さん ありがとうございます。 感謝しております。 





ふる里で・・・

2011-04-21 | 日常


郷里の同級生から災害お見舞いと言うより心配しての電話を本当に沢山戴いた。

そんな折 友と話す度に郷里の様子が色々聞けて懐かしさがつのる。

郷里の市は5つの町から成り立っている 人口 約42000人の小さな田舎町であるが

今回の東日本大震災の義援金を募るために駅前に立って募金活動した・・・とか

別の友はゴルフコンペを中止したとか

また お祭りを中止してそのお資金を義援金にまわすことにした・・・とか

小さな田舎の町でこのようなことが行われている事を知ると

被災地に住んでいる者として 本当にありがたく胸が熱くなる。

また ある友人は「こちらには養鶏場が沢山あるからトラックに卵を積んで

被災地に配りたいがどんなものか?」との問い合わせが来た。

「生卵? そりゃダメだと思うよ、料理して食べられる状態にして出さなくては・・・・」に

「そっかー・・・ また何か考えるわ~・・・・」と言っていたが

日本中何処もそうであるかもしれないが、我が郷里の人達も何と心暖かい人達であろう・・・と 

そこで生まれ育った事に幸せを感じ誇りでもある。

被災地に、被災者に(自分もその一人であるが)代わって厚くお礼を申し上げた次第である。




風呂

2011-04-19 | 日常



3月11日大震災からガスが止まり風呂の無い生活が始まった。

反射式ストーブの上に大きな鍋で湯を沸かし髪や身体を洗ったが

1か月も風呂なしに耐えかねた友人が通販で37000円とかで「湯沸かし機を

買ったからお風呂に入れる・・・」と湯沸かし機と丁度いい湯加減のお風呂をみせてくれた。

家に帰り 夫にその話をすると「???」と出て行った。

少しすると「これがあったんだー」と持ってきたのは 湯沸かし である。

そうなんです、何でも買いたい夫 その夫がもう20年も前に買ったシロモノ

それは 地雷感知器を小さくしたような形で風呂桶に差し込んでおけば水が湯になる。



バケツの水ならアッと言う間に湯になるが 大きな湯船ではそう簡単にはいかない。

でも120度に設定しておくと5時間位で45度位になる。



物置の奥深くにしまってあることを早く思い出していたら1か月も風呂に入らない

生活をしなくともよかったのに・・・・

あまりにも昔のことで 記憶の中からスッカリ消えていたのである。

友人の風呂沸かし機の話を聞いて思い出すなんて・・・・もぅ~・・・

なんか すっごく損した気持である。

その3日後40日ぶりでやっとガスがきたので湯沸かしもまたお蔵入りである。

でも まだ水もガスも来ていない所があるのと

避難所の方の事を思うと申し訳ない気持である。



2011-04-17 | 日常



避難している方の為に 枕を作った。

最初の100個は友人が用意したが次からは2人で用意した。

使う布、籾殻、これを用意するのが大変である。

最終的に400個の枕を製作したが

これに使った籾殻の量が1立方米を7~8個分くらい使った。



第一この籾殻を手に入れることに苦労した、

秋の取り入れ時と違いこの季節である 夫の手も借り知り合いの農家から・・・。

枕に使用する布も買った布もあるが着物を5枚ほどいたり 

インドで買ったサリーの布、イエメンで買った大判のショール、

厚手のシーツ、等々あらゆる布を使った。

100個作っては避難所へ届ける、また100個と・・・

合計4回、400個作ったところで籾殻が底をついた。

避難所も統合されたりしたので一応うちどめとした。

100個の枕の量は 大きなボックスカーの後ろの座席と

その後ろの荷物スペースが満杯になる。

ひと口に400個と言ってもその量は大変なものである。

2人で夢中で作ったがその枕が避難所の方々が

少しでも気持良く休んで頂けたら何より嬉しい。




余震

2011-04-14 | 日常


3月11日の地震のあとの余震の多いことに驚くばかりである。

地震の後2週間は揺すりっぱなし、止まっている時が無いくらいである。

もうゆりかご状態と言える。

揺れているのが当たり前に思え、止まると えっ! と止まるのが不思議と思う位である。

しかし 4月7日の余震には夜の寝入りばなでもあり驚いた。

それにしても 余震と言うものがこんなに揺するものとは知らなかった。

3月11日の地震でかろうじて生きのびた夫のお気に入りのディキャンターが

7日の余震で割れてしまった。 かわいそ~・・・!

大切な物はきれいサッパリ割れてしまいました。

「身辺整理の時期がきているから まぁいいか~・・・」なんて負け惜しみを言っているが

本音は残念、勿体ない、悲しい・・・・であります。







避難所

2011-04-11 | 日常

避難所の方が枕の無い暮らしであることを何気なくテレビで見ていたが

友人が その枕作りを手伝ってくれないか? とのこと

友人の家に行ってみたら 枕の袋が沢山作ってあった。

袋を表に反し その袋に 籾殻とシュレッダーにかけた紙を少し混ぜ会わせ

程良い程度に中身を詰めて口を閉じる。

2人で3時間で100個を完成させた。

翌日 高速道路を使い約1時間の所にある 避難所となっている小学校へ

3階建ての学校の教室には 敷布団らしきものがズラリ並べて敷かれていた。

敷布団と敷布団はくっついており 一人のスペースは敷布団の広さだけ

どの教室も同じ状態であった。

プライベートも何もあったものではない。

リッチな農村、漁村の大きな御殿の様な家に住んでいた方達であろうに・・・・

着のみ着のままで命からがら避難された事が想像できる。

暖かいご飯も 好きな物を食べる事も出来ない避難生活

どんなに辛いことだろうと思うと胸が苦しくなる。








災害お見舞い

2011-04-07 | 日常

沢山の方から 色々な「災害お見舞い」の品を頂戴した。

その品の中一番嬉しかったのは

小学校5年生の時の担任の先生からの品である。

「田舎の事で何も無いので家で作ったお米を少し送らせてもらi
ます・・・・」との電話 

強くご辞退したが あまりのお言葉に「有難く頂戴いたします」と伝えた。

待つこと4日、沢山のお米が届いた。

お年を尋ねた時「貴女の叔母さんの旦那さんと同じ歳で86歳になります」とのこと

60年も前の沢山の教え子の中の一人をそこまで記憶されているとは・・・・

驚きと記憶の素晴らしさに言葉が無く、嬉しい限りである。

逆算して お世話になったあの時のお歳は20代半ばと言うことになる。

当時 子供だったからか先生はすごく偉い方で年配と思っていた。

昔の先生は威厳があったから余計年配に見えたのであろう。

その先生と家族の方が丹精込めて作られたお米、心していただいている。

その お味はとても言葉では表現できない。

美味しい味の中に 暖かさと優しさ、そして 思い出がたくさん詰まった味がします。

先生 本当にありがとうございました。