まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

菩提樹

2010-01-30 | 日常

 広い寺院の境内には沢山の菩提樹の木が植えてあるが落ちている葉っぱが見当たらない。

夫と一生懸命探していると 一人の若い僧が一枚の菩提樹の葉を差し出して 我々にくれるという。

サンキュー! サンキュー! と受け取り大切に持ち合わせの本に挟んだ。

若い僧はΓ私はチベットから来ているがお金がなくて困っている・・・」とのこと

それはかわいそう・・・と夫は100ルピー渡したら とても嬉しそうな顔をしていた。

その様子を見ていたらしい別の僧が枯れたカリカリの菩提樹の葉っぱを3枚持ってきた。

その葉っぱは、とても欲しい葉ではなかったが 同じようにお金を渡してあげた。

そこここにお坊さんは居る、これはどうもきりがなくなる感じがして

急ぎガイドさんの後を追い 仏陀が沐浴したと云う池を見にいく。




僧衣の色

2010-01-28 | 日常

 アショカ王が建てた52メートルの大塔の後ろにある 菩提樹の木の根元は

先にも書いたがシッタールタが悟りを開いた場所 

日本のO宗教A教祖が 

お釈迦様が悟りを開かれた場所と言われる 神聖な台座に座ったり、

神聖なる菩提樹の木に登ったりしたため 今は 頑丈な石の囲いができている。

日本人としてとても恥ずかしい気持であった。

世界中の仏教徒の心を踏みにじる行為で腹立たしい思いであった。


寺のいたる所に マリーゴールドの花を繋げたロープ状の飾りが掛けてある。

常に取り替えているのか 萎れたような花は一つも無い。

このマリーゴールドの色はお坊さんの衣の色と同じ・・・と言うことは

衣と同じ色の花を・・・と言うことかな? その花に混じって蓮の花も備えてある。

昔 父が我々と同じ 仏陀の道 を旅した時 菩提寺の老師様にお土産として 

この色の衣の布とお仕立て代を添えて差し上げたことがあった。

その後 実家で法要があったおり 老師様がその衣を着て下さったことを思い出した。




マハボディー寺院

2010-01-26 | 日常
 今朝の朝食はお釈迦様も召しあがったと言う 乳粥 であった。

粥は熱々で少し甘くカシュウナッツが入っておりカレー三昧の胃袋には優しくて美味しかった。

今日最初の見学は昨晩見たマハボディー寺院(大菩提寺)である。

門前街はお土産物やが並び昨晩より多い物売りが 大変なしつっこさでつきまとう。

無視、無視、の一点張り

夜の寺院も美しかったが昼間の美しさはまた格別である。

アショカ王が建立した塔、寺院、その中に安置された昨晩見た金の仏様は衣替えしておみえではなかった。

寺院の後ろに立っているのは菩提樹の木 この木のある場所が

シッダールタ(お釈迦さま)が悟りを開き仏陀になった場所、

現存する菩提樹の木は仏陀が根元に座ったと言われる菩提樹の木の末裔とのことである。

ちなみに寺の名前Γマハボディー」のΓボディー」とはΓ菩提樹」の意味で

その呼び名は仏陀の別名に由来するという。

お参りに来ている人達は仏像やその菩提樹を拝んだり

その下で瞑想したり、お経を唱えている。

また 脇の方ではチベットからと思われる僧が五体投地をしていた。

寺院の裏手ではオレンジ色の衣を着た小僧さん達も交え大勢の僧たちが声を合わせお経を唱えていた。






ブッダガヤ・夜のマハボディー寺院

2010-01-24 | 日常
 ブッダガヤに着き 夕食後希望者だけの夜の見学でしたが

結局全員8人で、ライトアップされたマハボディー寺院見学に行く。

ここはお釈迦様が悟りを開いた成道の聖地

観光客が多いため 門前市をなす・・・ではないが物売りが多く大変しつっこい

グブタさんはΓ物売りには 後で・・・とか、なんだかんだと言葉を返してはダメ

ちゃんと覚えていて帰る時しつっこく売りにくるから・・・」と

また Γ目を合わせてもダメ・・・」とも

言われた様に 口は閉じ、下を向いて黙々とガイドさんに付いて行く。

薄暗いから足元に気を付けて歩くため おのずと下を向くのはあたりまえであるが・・・。

寺院はレーザー光線で照らされてキレイである。

丁度 金ピカのお釈迦様の衣装替えをしている所に出会えラッキーであった。

衣も金ピカである。朝晩取り替えるのか? 夜だけか? 聞かなかった。

明日 朝一でまた来るのだからとざっと見学して帰ることにする。




インドの高速道路

2010-01-22 | 日常
ガンジス川の沐浴を見学して金の塔の寺院を見学後はホテルで朝食をとり

午前はゆっくり休み 昼食後ブッダガヤへ向う。

ブッタガヤへは長時間のバスの旅、その上舗装道路とは言え路面はひどい凸凹。

場所によっては時速10キロなんていうのも珍しくない。

そんな道路を長い時間ボロバスで走っても 全く飽きないのは不思議である。

高速道路も通るが これには驚きである。

料金を払った高速道路であるはずが 牛や羊、自転車、リキシャ、人間様も歩いている。

おおっ!! 何だ! 何だ! 反対側からトラックが向って来る。

しかし ドライバーさんは慌てる様子もなく 車線をずらすだけ・・・我々は冷や汗ものである。

ガイドのグブタさんに聞けば 遠回りしたくないから てっとり早い方法で出口へ・・・とのこと。

いやはや ビックリである。

車道は上り下りの中央分離帯がシッカリあるが 道路わきには少しの段差があるだけで柵もなにもない。 

人間、動物、自転車、リキシャなどは ヨイコラショ と跨げば出入り自由である。

トラックはそうはいかないため 一番近道できる方法を・・・

そこはプロ、出口の場所を心得たドライバーのこと、反対車線を走って出るわけである。

日本の高速道路とはまるっきり比べられないインドの高速道路である。 


ベナレスのお金持ちは・・・

2010-01-19 | 日常
 ベナレスは人口150万人の都市 お金持ちも沢山いるが

街などを見てもお金持ちらしい家はまったく見かけない??

それに 以前来たときは綺麗なシルクのサリーを着た女性をいたるところで見たが

今回は全くと言うくらい見かけない?? 

ガイドさん曰く ここのお金持ちはお金持ちらしい家には住まず、

身なりも質素で車も高級車には乗らない・・・・との事である。

何故??? に それはお金持ちの子供は誘拐される心配があるから・・・とか

でも 一歩家の中に入ればその豪華さは半端ではない・・・とのこと。

でも 子供がお友達を連れてきたら分かられるのでは? の質問に

大人は勿論 子供も家には友達は入れない・・・とのことである。

しかし 他人を全く入れない訳ではない、

そう 同じ生活レベルの者同士とは行き来しているとのことであった。

そして 彼等は近くでは遊ぶことはせず 飛行機で離れた場所へ行き豪遊するとか

日本なら お金は無くとも見かけは豪華な家、ローンで買っても高級車に乗るのに・・・

えらい違いである。

日本はそれだけ安心、安全の国ということなんだ~・・・と思う。




ベナレスのサリー

2010-01-17 | 日常

ベナレスはサリーの産地である。

最高のサリーはベナレスのサリー・・・と言われている。

以前来た時寝込んで観光に行けなかった時 観光の1つとしてサリー工房の見学があった。

ホテルで寝ていると夕方観光から帰った夫と一緒に一人のインド人が部屋に入ってきた。

何が何やら訳が分からないまま 私を立たせて寸法を測っているのである。

なんと 一人で参加した夫はサリー工房で勧められるままにサリーを注文したのであった。

翌朝ホテルにシルクの超豪華なサリーとシルクのパンジャビースーツが届いた。

夫は承知の上だが お値段が半端じゃない

持ち合わせの20万円を現金で支払い残りの大半はカードで支払った。

このサリー、金糸、銀糸で織られており日本で言えば花嫁さんの打ちかけの様な豪華なものである。

このサリーはサリー圏の国々へ行ったとき(南インド、ネパール、バングラデッシュ)の旅で一番立派なホテルの時着たが

何れの国でも 皆が目を見張った。

そのサリーで飛び入りで結婚式に参加したこともある。

そのサリーは重いのでを今回は持参しなかったが 

スリランカで作ったシルクの軽いサリーを2枚持参した。







ベナレスの路地

2010-01-15 | 日常


 火葬場から路地を通り脇道を入った所にビシュナート寺院がある。

聞き洩らしたが、何トンかの金で出来た塔のあるヒンズー教の寺院である。

ここの見学は大変厳しくバック、カメラどころかペン1本も持ち込みがダメである。

以前来た時はこんな事は無ったが・・・・

黄金目当てなのか爆弾が持ち込まれたという事があり それ以来厳しくなったとか。

入口の所で添乗員さんが我々の持ち物全部の番をしてくれたので手ぶらで見学に・・・

それにも関わらっず ボディチェックをされた。(カメラが持ち込めず写真は無し)

しかし 夫はベストのポケットの中の物を取り出すのは面倒だから・・・と行かなかった。

夫は息子と2人旅の時にも来ておりもう2回見ているから・・・と。

以前来た時はグチャグチャした路地の両側に黒い塊が・・・??

なんとそれはボロ布?らしきものに包まっている人間であった。

そんな人を多く見かけたが、今回は全く見かけない。

それだけ国民の生活が豊かになった・・・と言うことであろう。

以前来た時 それを見たとたん同じ人間なのにあまりの酷さに胸が苦しく具合が悪くなり

ホテルへ帰って朝食も取らず寝込んでしまったのを思い出す。

路地には野良牛がノソノソと 野良犬もいたるところにいる。 

また葉っぱを束ねて売っている人が・・・・

この葉っぱはきっとカレーを食べるお皿でしょう。



人が亡くなると・・・

2010-01-13 | 日常

 火葬場から持ち帰った骨は 13日後にバラモンを呼んで、日本でお葬式に当たる行事をする。

他人を呼んだりはしないが お金持ちは13人のバラモン(お坊さん)に来てもらい

大変なご馳走をしてもてなすとのこと、

バラモンが遺骨を見て 何に生まれ変わったかを占う?見る?そうである。

誰もが生まれ変わりを信じておりバラモンの言葉の影響は大きい様である。

そして死者が「この世に未練を残さない様に・・・」と長男が頭蓋骨を叩き砕く。

その遺骨?遺灰?をガンジス川に流す・・・・これが ヒンズゥー教の死者の弔い方である。

また 家庭では亡くなった人の写真などは飾らないとのこと、

それは 無くなった人に思いを残さない様に・・・亡くなった人のことは忘れる様に・・・と、

生と死のけじめをつける・・・というのがインド流のようである。

死体を焼く時も お金持ちは白檀の木、次は菩提樹の木、次はガジュマロの木、

そして雑木、薪代のない路上生活者などは、生のままガンジス川へ・・・・

5歳以下の子供が亡くなった時は焼かないで 川岸の砂に埋める・・・とのことである。

ボートに乗っていた時 ボートの脇を生の死体が2体流れているのを

お仲間2人が見た・・・・と言っていたが 

好奇心の塊人間は「見たかったー・・・」なんて不謹慎な言葉が口から出てしまった。





火葬場

2010-01-11 | 日常
 ボートでガンジス川の川上へのぼり 川岸の光景を眺めながらゆっくり下る。

沐浴をしている人々、ヨガをしている一団、バラモンの老人が祈っている姿、洗濯をしている人

また 死を待つ家などを眺めながら・・・

ここ ベナレスで亡くなると天国に行けると言われているため

ここで死を迎えたいとの願いから 終末の家(死を待つ家)がある。

病気で死にそうになると家族が付き添い週末の家で死を待つのであるが

なかには直ってしまう人もあり その時は家に帰る・・・・とか。

それが出来るのは豊かな人達の様である。

ボートを下りたところは 火葬場

胸くらいの高さまで積まれた材木の様な薪の上に精悍な顔をした男性の死体が載せてあった。

焼き場で薪に乗せると家族は帰るらしく 焼く人が1人いるだけである。

すぐ脇では 白いこぶ牛がお供え物か何かを食べている。

焼き場の入り口の所には材木の薪が沢山積み上げられている。

ここの焼き場は段違いになって4つ?5つ?あり 隣の場所は焼き終えたのか灰を掃いている・・・

死体が焼き終えた頃 家族が来て お骨は持ち帰るとのことである。

火葬場の写真は禁止されており撮ることはできないが船から景色を撮った中に

それとなく入っていた。(煙が立っているから・・・)

そんな光景を目の当たりにしても 気持ち悪いとか、嫌な光景、という感じを全く受けないのは何故かな?

それもインドの自然な風景の1つであるからだろうか?

瀬戸内寂聴さんのお話では 生焼けをガンジス川に流す・・・と言っていたが

ガイドのグプタさんはそんな事はしない・・・・とのことであった。