まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

道端の商売

2009-12-31 | 日常
 目的地に着いたがプジャには少し時間が早い

ガイドさんが道端で売っている ティーを買ってくれた。

おちょこ位の小さな素焼きのカップに熱いミルクティーを入れてくれる。

リキシャでカチカチになった身体には熱々のティーは甘くてとても美味しい。

飲み終えた素焼のカップは地べたに叩きつけて割る、要するに使い捨てである。
(珍味入れにグーと持ち帰った)

南インドに行った時はステンレスの小さなカップを買って(確か日本円で12円だった)

その都度 マイカップと称して取り出しては使っていた。

そのカップは今も健在で重宝している。

ティーをすすりながら脇を見れば オバさんが小さな台に17~18センチの長さの

細い棒を並べて売っている???

これは? とガイドさんに聞いたら はみがきの木 との事

そうだ~ イスラム圏ではこのてのはみがきを何回も見た。 納得、納得。

この はみがきの木で歯を磨くと虫歯にならないのと歯が白くなると聞いた事を思い出した。

また ガンジス川へ供養? お願い事を? して流す花のかを売っているオバさん、

そのまた脇では台の上にコインが何枚かずつ積み重ねたのが沢山並んでいる。

また これは? の質問に 両替 との返事 

何で・・・???に  ガンジス川への道端の両側に座っている貧しい人

一人一人にあげるために・・・とのこと。

ガイドのグプタさんも沢山両替していたので 我々も倣って取り換えた。

が 10ルピー札で9ルピー分のコイン、20ルピーで18ルピー分が来る???

足りないが・・・?? そうか~ 1割は手数料と言うわけか~、なるほど、なるほど・・・・

両替屋さんも 道端でお皿を置いて座っている人もみ~んなお仕事であり商売である。

道端の人々は 両替屋で11ルピーで10ルピー札にでもしてもらうのかな?

1ルピーは日本円で2円位、チリも積もれば・・・なかなかいい商売では?



今年も終わりました。
ブログを覗いて戴き有難うございました。
また 頑張って書きたいと思いますのでどうぞよろしく!!

ブログを覗いて下さる皆様元気でどうぞ良い年をお迎えくださいませ。
                   まだむ 





ガンジス川へのリキシャ(力車)

2009-12-29 | 日常

 ベナレスはヒンドゥー教の聖地であり 

ガンジス川は彼等にとっては切っても切れない聖なる川である。

夜はその川沿いで行われるプジャなるものの見学である。

ホテルの前からリキシャ1台に2人ずつ乗って出発である。

自転車の後ろに人力車が付いており バングラデッシュでも乗ったが

ここら辺の国では非常に多い乗り物である。

座る所は板そのまま、座り心地はいまいち? いや全く良くない。

スプリングも何も無いからガタガタするのがもろにお尻にひびく。

何しろ街中はオート三輪、リキシャだらけ、前後左右ビッシリ、もの凄い数である。

リキシャ同士こすれたりぶつかったり・・・ヒヤヒヤである。

路面がデコボコのところにきて リキシャは勿論、人を避けたり、車を避けたり、

時には牛や羊も避けたりの運転?である。

お尻は痛いが 振り落とされては大変と

支え棒を足で踏ん張って、手はホロの支柱を握りしめているから 

足は痺れて痛くなってくるし、肩は凝ってくるし全身カチカチ状態

そんな状態で 40~50分乗るわけである。

我々のリキシャは やせ細った男性(細い人ばかりであるが)が力強くこいでいる。

彼等にとっては 生活のために大切な仕事、日本なら差し詰め 個人タクシー である。

まして観光客となれば チップがあるから上客である。

インドの人には慣れた乗り物であるが 我々には辛い物があった。

いやはや と~んでもなく長~~~い時間に感じたリキシャの乗り心地であった。

お陰で 写真を撮る余裕など全くなし。


ムラガンダ・クティ・ビハーラ寺院(初転法輪寺)

2009-12-27 | 日常
 
 サールナートの次は仏教寺院の見学

この寺院には日本人、野生司香雪の釈尊の生涯を描いた壁画がある。

インド、ダルマ・パーラから壁画を描いてほしいとの要請があったのは

1931年(昭和6年)のことである。

最初に依頼された画家は桐谷洗麟であったが出発直前に急死してしまい、

野生司香雪になったと言う経緯がある。

これにはインドでは「インド美術界を軽視するものだ」として強い異議が出たがダルマパーラは

日本人画家の招聘に頑として固執し反対を退けた。

お寺と言っても正面にお釈迦様の御本尊があるだけで後は何も無いガランとした部屋、

見あげる高さの正面を除いた3面の壁面ぐるりにお釈迦様誕生から入滅までの絵が描かれている。

80年近く経っているのに 今描いたばかりと思われるほど色鮮やかである。

この寺院を訪れたのも、壁画を見るのも2回目である。

以前来た時 このお寺のお坊さんと一緒に写真を撮り 帰国してからその写真を送ったら

返事の手紙と彼が撮った写真と白檀の数珠、腕に巻く黄色い糸のお守りが送られてきた。

その後も何度か手紙が来た。

これらの品を戴いてしまうのも気が重く 何かを送ろうとしたが

お坊さんからは「送らないでくれ、日本からの品物やお金などは届かないから・・・」とのこと。

借りがある・・・の気持ちを持ち続けていたが

その3年後2回目のインド、南インドへ行く機会に恵まれその折 

帰国間際のチェンナイ空港のポストへ 

お布施 と書いて50ドル札を入れて手紙を出した。

後日お礼の手紙が届き、借りを返せたような気持ちになりホッとした。 

その後「スリランカのお寺へ帰る・・・」の手紙を最後にお坊さんとの交信も途絶えた。 
そんな お坊さんとの思い出のあるお寺である。

今回 居るはずもないお坊さんの姿をもとめつつ 

いろいろな事を思い出しながら手を合わせた。

(ツーショットは以前お坊さんに送った写真)


サールナート(鹿野苑)

2009-12-25 | 日常
 サールナートは釈尊の初転法輪の地である。

鹿が沢山住んでいたから鹿野苑と言う名が付いたとか、

ベナレス郊外にあるこの地でお釈迦様はかって共に修行した

5人の僧に出会い、始めて説法をし 彼等はお釈迦様の弟子となった。

レンガ造りの僧院には 説法した場所が残っており

説法の時座った場所や壁面には信者が貼ったとみられる金箔がキラキラしていた。

お釈迦様ののち アショカ王が造った石柱や47メートルの高さのダメークストーパーなどを見学。

ストーパーの脇には美しい幾何学模様や唐草風のレリーフが

きれいに残っており往時を偲ばせていた。

日本人は全く見かけないが ベトナムからの熱心な仏教徒がお参りに来ており

彼等一団は男女問わずお揃いのあずき色の巻きスカートに白いブラウス姿で

石の床に座り一生懸命お経を唱えていた。

日本人は観光目的? であるが 他の国の人は宗教、信心で来ているようである。

芝生の上では若い青年が一人瞑想していたが 日本人? みたいに見えたが違うかも?

昔来たときは ここで日本人のお坊さんを見かけたが・・・。



考古学博物

2009-12-23 | 日常
 まず この旅の最初の観光はサールナート考古博物館である。

現在インドの国章になっているアショカ王の獅子頭、

1世紀にマトゥラーで作られた菩薩像

5世紀グブタ朝時代の初転法輪の座像など 数多くの仏像などを見る。

どれも インド仏教美術の最高傑作である。

しかし 写真撮影禁止、残念! 

昔来た時は確か写真 OK であったが・・・

博物館の入口で出会った おじさんの髪の形が面白く写真を撮らせてもらったが

聞く所によると バラモンのしるし とか、その意味が良く分からない・・・。

彼と一緒にいた 若者たちは彼を指差し teacher、teacher と言っていたが

何の先生なのか???

エチオピアに行った時、幼い少年少女の頭がどの子もツルツルの丸刈りであるが

頭のてっぺんの髪の毛だけが刈り残してあり不思議に思った。

それは チャンスの神様が引っ張りあげてくれるから・・・との事であったが

今回の おじさんの頭も元をたどれば同じかも?・・・と勝手に想像する。





メンバー紹介

2009-12-21 | 日常
 空港からまずホテルに入りインド料理(カレー)のランチである。

食事の後に 簡単な自己紹介をする。

我々夫婦以外は全員一人参加 何れの方も旅の達人と見うけられる。

奈良の男性70代(イギリスに駐在していた方で英語ペラペラ))

岡山の男性70代(会社の社長さん、この方も英語ペラペラ))

愛知県の女性50代(物静かな女性、私の郷里の近くでもあり特に親しみを感じる)

岩手の女性50代(凄いカメラでプロ級の写真を撮る方、留守を守る夫は開業医)

東京の男性60代(ベネゼイラに15年間住んでいたとか、英語、スペイン語ペラペラ
          この方 画家であり 木の博士 世界の巨木を求め歩いている)

東京の女性40代?(女医さん、メンバーの中で一番若い)

ガイドのグプタさん(デリー大学史学科卒、日本語は大学で学んだとか)

添乗員さん20代?30代?(オーストラリアに留学していたとのこと)

カッコ内は旅の道々で知った事である。

8人ツアーのお仲間と添乗員さん、ガイドさん、ドライバーさん、アシスタントさんの計12名での14日間の長い旅 である。




バーナーラーシー(ベナレス)へ

2009-12-19 | 日常

 朝 ホテルを出発して空港へ

トランクは部屋の外に出してから 手を触れることなく機上の人となる。

な~んだ トランクの重量など全く関係ナシ・・・である。

大阪からビジネス利用で参加の男性は何と30キロオーバーでも国内線もすんなり

昨夜 夫の部屋へ行ったり来たりして、苦労して手荷物にしたのに・・・何か損した気分である。

インドはそんな事にこせこせしない国のようである。 益々インドが好きになる~。

デリーからベナレスまでは1時間チョットである。

飛行機の席は窓際からインド人の青年、真ん中に夫、通路側に私

夫が青年に日本の飴を差し出したら 彼はそれを口に入れたのはいいが

飴の破片が気管支に入ってしまったのか 咳が止まらなくなり苦しそうである。

彼は咳いて咳いて咳きまくって 機内で配られたミネラルウオーターを飲んでも止まらず

結局ベナレス空港に着くまで咳きっぱなしであった。

どうしてあげる事も出来ず飴をあげたことが悔やまれた。

飛行機は国内線であるにもかかわらず立派なおやつ? 食事? が出たが食べなかった。

1時間はアッと言う間であるから 飛行機のクル―達はあたふたとおやつ?の後かたずけをした。

ベナレスの空港は小さな空港である。

空港には我々がこれからズーッと乗るバスのドライバーさんとアシスタントさんが出迎えてくれた。

ドライバーさんは大柄なプラデープさん、アシスタントは小柄なワンパティさん

2人共 グプタさんと同じく髭をはやしている。

インドでは 髭は男性の象徴で当たり前、髭がないのは男じゃない・・・である。

バスは30人乗り位のボロバスであるがここはインド、当たり前である。

以前来た時はバスの床に穴があいており その穴から道路が見えた。

穴がもう少し大きければ足を落としかねないバスであったが

今回はクーラーも付いており豪華なバスである。

バスは広い運転席と座席は仕切りがあり このてのバスはボリビアと同じである。

インド初日のホテル

2009-12-17 | 日常
 ホテルは街外れ? のこじんまりしたホテルであるが部屋は立派である。

大阪組の3人は遅い時間に到着でもあり 成田組5人でのディナーである。

バイキング料理はカレー、カレー、カレー であるが何れも味はいい。

インドに来たー・・・を痛感する。

しかし 機内食を食べてからあまり時間も経っておらず食はすすまなかった。

明日の朝はデリーからバーナーラーシ(ベナレス)への国内線である。

荷物は20キロを遥かにオーバーしている。

チェックインカウンターで重量オーバーですったもんだするのはかなわない・・・・と

持参した手提げバックに2人のオーバー分を取り出して夫が手荷物で持つことにした。

いい気になって詰めるのもいいがこう言うとき困る。

明日着るパンジャビースーツを用意して 今回の旅行が元気でいい旅が出来る事を祈り

インド初日のベッドについた。


インドの旅の始まり

2009-12-15 | 日常
 デリーの空港に着いたのは 日本より時差3時間30分遅れの現地時間午後6時頃着いた。

日はとっぷり暮れて着いた空港は天井が低くあまり明るくなく薄汚れた感じである。

平成10年1回目の時にもこの空港を利用したわけであるが 全く記憶にない。

ビジネス優先であるから トランクはすぐに出て来たが

添乗員さん、ポーターさんが運んでくれるので手を触れる事もなく有り難い。

7月に行った先進国アメリカはこうはいかなかった。

「空港内の両替所はレートがいいですよ」 の添乗員さんの言葉に

夫は3万円、私は2万円をインドルピーに替えた。

そう言えば2回目の南インドの旅の時 マドラス(チェンナイ)の空港で両替したお金を

ホテルに行ってから調べたら半分くらいしかなかった事があったので 

今回はその場でシッカリ調べた。

空港には今回の旅の最後まで案内してくれるガイドのグプタさんが出迎えてくれた。

彼は小柄で浅黒いが(インド人なら当たり前)髭をはやしたなかなかの男性である。

歳の頃は50歳位かな? インド人らしいインド人と言ってもいいだろう。

バスに乗り込むと グプタさんが歓迎の意味であろう 

マリーゴールドの花を繋げたレイを首にかけてくれた。

この花は 日本では匂いが気になり身近に置くのはチョット・・・・であるが

ここのマリーゴールドの花は全く匂いが気にならない???

空港から泊まるホテルまでは30~40分位のはず、インドでの注意事項を聞きながら

車窓から眺める道路はやたらと車が多く 渋滞時間に巻き込まれたらしくなかなか思うように進まない。

街の中心からはずれた道なのか辺りは明るさが無く薄暗い 

これが高度成長のインド? と首をかしげる。





いざ インドへ・・・・

2009-12-13 | 日常

 11月7日 成田のホテルで前泊

8日午前10時 第2ターミナルAカウンター前に集合

男性4名、女性4名の計8名であるが3名は大阪からの出発でデリーで合流である。

楽しみにしていた インド3回目 仏陀の道 の旅の始まりである。

ビジネス席を予約したから・・・とトランクの荷物も30キロまでOK

何やらかにやら余計なものまで詰め込んで発送した次第である

エアーインディアのビジネスビジネス料金が思いの外安かったので

贅沢だと思ったがビジネス席にした。

出発ギリギリまで仕事に追われる夫にはエコノミー席は辛いものがあることもあり・・・。
とは言え ビジネス料金が安いからエコノミーとあまり変わらないのでは? と内心気がかりでもあった。

いざ 飛行機に乗り込んだ!!! ビジネス席が大変豪華である。ウォ~!!!

早速 座り心地を・・・ なかなかグーである。

コリアンエアービジネスよりも座席ピッチが広い感じがする。

そして休む時は座席が180度のフラットになる。

これは凄~い! ラクちん、ラクちんである。

でも 機内食は豪華と言えば豪華である? がそうでもない?

胃袋様の為には豪華でない方がいいんだ~・・・なんて変な納得をしたりした。

持参した本や機内でもらった週刊誌を読んだり ベット気分で横になったりして過ごした。

相当の時間が経った頃 機内アナウンス??? ヒンディ語? 英語、そして日本語でも

「進行方向右側の窓からヒマラヤ連峰が・・・・」ラッキー! 右側の席である。

雲の上から 綺麗なヒマラヤ連峰がクッキリ見えた。

窓にへばりついて眺める ヒマラヤの姿は飛んでも、飛んでもしばらくの間見る事ができ幸せな時間であった。

そんなこんなで9時間30分のフライト時間もいつの間にやら デリーの空港に着いた。