まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

バラエティなコップ

2012-03-31 | 日常

日本からの中古車と思われる小型のマイクロバスに乗り込み

まずは 街外れのレストランへ

午後2時近くなっており誰もお腹がすいているが

なかなか料理が出てこない、何とかコップがでてきたが???

13人の所へ8個 それも一つとして同じのが無い

オシャレで一つ一つ違っている・・・と見ればいいが

どう見ても 寄せ集め の感じである。

数が足りな~い! なんて言っても持って来るわけはない。

別のテーブルのお客さんが帰って少ししたら残りのコップを持ってきた。

そうか~・・・ この店にはコップは15個くらいしか無いんだ~・・・

空港の事件が強烈で写真を撮ることをすっかり忘れて写真が な~い のである。



空港でまたまた・・・

2012-03-17 | 日常

あまり大きくない飛行機から下りた人は少なく

とても国際空港とは思えない空港である。

通路の真ん中にポツンとある入国審査所を通り ターンテーブルから

出てくるトランクを待つが これがなかなか出てこない、

こんな時 もしや何処かの国へ間違って行ってしまったのでは・・・・と

ハラハラする。

お仲間の皆のトランクは出てきたのに私のトランクは最後の最後であった。やれやれ・・・

数する旅の中でトランクが出てこなかった人がいたことがあった。

その時は4日後に届いたが トランジットの時、別の飛行機に乗せてしまったらしい。

トランクを受け取り 空港の建物から出ようとした時

男性が我々のお仲間のトランク3個を運んでくれたので 

我々は添乗員が頼んだポーターだと思っていた。

その時 先ほど夫のカメラを引きちぎった警官がそこにいて

その男性の背中、頭をこん棒でいきなりひっぱたいた。

男性は気絶して倒れ頭から血を流している。

我々は何が何やらただただ呆然と立ちすくんでしまった。

出迎えの人たちが沢山いるが それを見ても誰も気にする様子はない。

この国ではいつもあることで 別に珍しいことではないらしい。

我々は「大丈夫かしら? 死んでしまうのでは?」ハラハラして心臓がドキドキであった。

迎えに来ている現地ガイドに促されるままに先に進んだが 

どうも その男性は我々のトランクを運びチップが目的だったらしい。

それにしても 警官の何とも酷いやり方に

「カメルーンは恐ろしい国」と言う印象を受け

気を引き締めて旅をしなければ・・・と寝ぼけ頭に 喝

カメルーンの空港にて

2012-03-13 | 日常

長い空の旅の末 午後1時過ぎ カメルーン第1の都市ドゥアラに着いた。

空港はタラップを降りて歩いて空港に入ったがとても空港とは思えない

まるで南国のホテルの回廊の様な吹き抜けの長い通路、

所々に木彫りのお面がかかっている。

今 何処にいるのか長い道中で時間、場所の感覚がイマイチ、

ダラダラ歩いていた時 荒々しい声に 何だ? 何だ? と思ったら

我が夫が空港の警察と何やら争っている。

話を聞けば 長い回廊を歩いた時木彫りのお面の写真を撮ったらしい

空港内で写真を撮ったから・・・と大変な剣幕である。

確かに空港で写真を撮ってはいけないが 空港らしくないため

空港にいることを忘れついウッカリして撮ったようである。

首からストラップで掛けているカメラをいきなり引きちぎられ

カメラを持って行かれてしまった・・・との事。

言葉は通じないし、添乗員さんの力を借りすったもんだの末

何とかカメラは返してもらえたが 到着早々いやはや大変な思いをした。



カメルーン共和国

2012-03-09 | 日常


国旗の緑は南部の豊かな国土を、黄色は北部のサバンナを、

赤と中央の星はカメルーン全土の一体を象徴している・・・とか


通称カメルーンは 中部アフリカに位置する共和制国家。

西にナイジェリア、北東にチャド、東に中央アフリカ共和国、東南にコンゴ共和国、

南にガボン、南西に赤道ギアナに隣接し、南西部が大西洋のギニア湾に面する。



首都   ヤウンデ

最大都市 ドゥアラ

人口   1950万人

面積   475,442平方キロ(日本の約1,3倍の広さ)

言語   フランス語、英語(公用語)、その他各民族後

人類   バンツー系、スーダン系、キルディ系、バミレケ、バムン他

宗教   カトリック(35%)プロテスタント(25%)イスラム(20%)他にアニミズム

国旗   緑は南部の豊な国土を、黄色は北部のサバンナを、赤と中央の星はカメルーンの
     一体を象徴している・・・とか。

気候   国土の大半が熱帯に属し、沿岸地域と南部は高温湿潤な熱帯雨林気候、
     中部はサバンナ気候、北部は高温乾燥のステップ気候
     首都ヤウンデの平均気温は23度、平均湿度は82%



2002年ワールドカップで中津江村をキャンプ地にして 村が有名になったが

サッカーに全く関心が無いため 中津江村騒動でカメルーンを知ったと言っても

過言ではないくらいの 国 である。

香港の空港にて

2012-03-05 | 日常
成田から香港までに出た機内食


香港空港でのトランジットの時間が6時間半余、この長には参った、参ったである。

ブランド店がずら~り並んでいるので覗いて見るものの欲しいものは無い。

お腹がすいてきたから何か食べようと 大衆的なセルフサービス的レストラン

を物色し 並んではみたものの注文の仕方がさっぱり分からない。

ブラブラ、ウロウロの挙句 ここなら・・・と思われる高級そうな雰囲気のお店に・・・



さあ 何を・・・・散々悩んだ挙句に選んだのは

夫は あわびとどんこ椎茸の麺

私は と言えば海鮮パスタ

夫の麺は アワビが3個も入った豪華なもの、お味もグー

私のは 味はいいが当たり前のパスタ。

 

夫と同じのにすれば良かった~・・・と後悔する。

居場所に困るからなるべく時間をかけて食べるようにと苦労するが何時間も粘るわけにはいかない。

それにしても6時間半余の時間は長い、何故旅行会社はこんな効率の悪いプランを立てるのか?

何のことは無い 少しでも安い飛行機会社を使うから・・・・である。

パンフレットを見る限りでは 待ち時間まで知ることが出来ない。

出発が決まり「旅のしおり」が送られてきて始めて分かること、

マイナーな所はホテル、バスなど全てに酷いものであるが

乗り換えなしの多くの方が好まれる国、コースではないだけに旅行代金がどうしても高くなる。

その為に 旅行会社も苦労しているのであろう。

今回の旅も元気で楽しい旅であることを願って・・・・








「アフリカの縮図・消えゆくチャド湖を訪ねて」に出発

2012-03-03 | 日常

成田のホテルに前泊して8時45分集合場所に行く。

成田からは8名 香港で合流する関西組5名の計13名のメンバーである。

何とその中にスーダンで一緒だった方が2名参加しておられ 

出発早々から スーダンの思い出話で盛り上がった。

しかし カメルーン迄の道中はなが~い・・・・

まず 成田~香港(5時間20分)間はキャセイパシフィック

この飛行機に乗るのは 40年前の初めての海外旅行(香港、バンコク、

シンガポール、マレーシア)の時以来である。

あの頃は 飛行機に乗ると色々なプレゼントを山程もらったものである。

その時に もらったものの1つである トランプ が今も残っている。

香港~バンコク(3時間25分)香港からはエチオピアン航空

この飛行機は 2001年エチオピアへ行ったときにバンコクから利用したが

乗客は中国人ばかりだったのに驚いたものだが

今回はアフリカの肌の色が黒い方が殆んどである。

バンコク~アジスアベバ(9時間15分)

アジスアベバ~中央アフリカ・バンギ(3時間40分)

バンギ~カメルーン・ドゥアラ(1時間45分)

乗り換えごとに待ち時間があり 目的地まで2日がかりである。ふぅ~・・・






何故カメルーンの旅?

2012-03-01 | 日常


ご無沙汰しました。お久しぶりです。

ブログ 長い間お休みしてしまいました。

カメルーンの旅から帰り2ヶ月半近く経ってしまい 記憶も大分薄れてきてしまいましたが

思い出しながら書きたいと思います。



2011年は本当に大変な年であった。

地域的に津波には合わなかったものの地震の被害は甚大で

修繕には長い時間と大きな費用を費やしたものである。

心身共に疲れた夫は 珍しいことに「何処かへ旅に出よう・・・」と言いだした。

12月に行くのは今迄の経験からあまり気が乗らなかったが夫の希望では・・・

11月半ば近くになってから行き先を探すのは大変なことであった。

夫の希望はアフリカ、アフリカ大陸はもう20カ国近く行っているので

限られたコース、限られた国の中で ここならと言うのが「カメルーン」であった。

「サッカーのカメルーン」以外は全く知らない国である。

旅行会社にTELを入れたら「もう催行が決まって締め切っている・・・」とのたまう。

ホテルの部屋、飛行機の座席が確保できるまで待ってほしい・・・とのことであった。

旅行会社にすれば1人でも多ければ「ラッキー」である。

そこは 命がけで確保するであろう・・・と思った通り 参加OK

即パスポートを送った。

何故だか預金の「残高証明」がいるとのこと、ブラジルもそうであったが 

何故先進国から途上国に行くのに「預金残高証明」が必要かしら???

これは郵送では間に合わず FAXで送信、慌ただしい旅の準備である。

1週間くらいの間に 留守の間のあれこれを手配したり

持って行く荷物の準備、忘れたものがあっても「えぇ~い 何とかなるさ」と

今回くらいいい加減な荷物の準備をしたのも初めてである。