まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

ラパスの夜

2008-11-30 | 日常

ボリビア最後の夜です。

ホテルから歩いてペーニャと呼ばれるレストランへ行く途中サガルナガ通りの

・魔女の通り・でお買い物です。

民芸品店が軒を連ねていますが 薄暗い店の中には得体の知れないものもあります。

リャマ? イタチ? ねずみ? 何かよく分からない動物のミイラです。

魔除けなどに使う・・・との説明であったが薄暗い所では何とも気持の悪いものである。

そう言えば 西アフリカ・マリでもいろいろな動物のミイラを道端で売っていた。

ペーニャと呼ばれる店はステージがありそこで南米の音楽であるフォルクローレ等が演奏され

それを聴きながらの食事です。

あの曲「コンドルは飛んでいく」はボリビア・アンデスのインディヘナの人達の音楽である。

店は小さく20人も入れば満杯です。その日は我々10人だけの貸切

次から次と踊ったり、歌ったり、演奏したりと何十人もが出演です。

出演者1人一晩 いくら貰うのかな? と日頃の生活が首をもたげ余計な事を考えてしまった自分が情けない。

明日朝 予定どうり飛ぶことを願って 予定どうりの時間に空港に行かなくてはならない・・・

それも 明日の朝・・・と言うより午前2時半のモーニングコール、

時計は後少しで10時である、ペーニャで呑気に楽しんでいるわけにもいかず 

途中で全員コソコソと店を出た。

ラパスの街

2008-11-29 | 日常


 ラパスの街は すり鉢状 である。

夜 ホテルの最上階レストランから360度見回すと ぐるり宝石を散りばめたような

きれいな斜面の夜景、 見事なまでのすり鉢状である。

相当急斜面になっており 中にはエンジンを切って下りてくる車もあり危険だといっていた。

すり鉢の底の方には ホテル、銀行などの商業施設が軒を並べ 病院、学校などがある。

その 回りは高級住宅 坂の上に行くほど低所得者になるのである。

これはペルーでも同じであったが 日本なら山の手は高級 下町は庶民であるのに・・・。

所変われば・・・である。

でも すり鉢の底の排水は? 気になるところである。

広~い敷地が立派な塀で囲まれた 一戸建ての半端じゃない超高級住宅が2千万円とか

持って帰れるものなら買いた~い!
 

ボリビアに入国してからと言うものまだボリビア、アメリカ相互間の乗り入れが出来なく 
添乗員は帰りの便の事ばかり心配している様子である。

帰りの日が伸びても大丈夫か? の質問に予定日には帰らないと・・・の人が多く

もし ダメな時は陸路でペルーへ行き ペルーからフライトする・・・との事である。

行きはよいよい・・・いや 行きも帰りも大変な旅である。

(ラパスの街)

ラパスでゴルフ

2008-11-28 | 日常

 怪我をした痴呆気味の方と もう一人ラパスに滞在した方がいた。

この方 今回の旅の目的は ラパスでゴルフをすること・・・である。

彼女が申すにはある新聞で みなみらんぼうさんが 

標高の高いラパスでゴルフをしたら もの凄くよく飛んで面白かった・・・

の記事を読み私もやってみたくて来たわけ・・・との事。

ゴルフウエアーや靴は持参して クラブは借りたが が が・・・

さっぱり飛ばず さっぱり面白くなかった・・・と2日目はキャンセル

らんぼうさんは嘘を書いた・・・と言っていたがゴルフを知らない私にはサッパリである。

日本はおろか世界の名門ゴルフ場を歩いている70歳近い女性が(飛行機は勿論ビジネスクラス) 

標高4000Mの高地、薄い空気の上 起伏の多いゴルフ場をカート無し、18ホール自分の足で歩いたとか・・・

何とも お気の毒! ものずきの極め付けかな? (人のことは言えないが・・・)

(ボリビア国花)

日本食レストラン

2008-11-27 | 日常

 ラパスに帰り着いたのはお昼も随分過ぎた時間であったが それからランチである。

「ニュートーキヨー」と言う名前の日本食レストランでランチです。

ご飯、味噌汁(わかめと豆腐)、てんぷら、きゅうりとわかめの酢の物、鮭の煮魚、肉じゃが、

いんげんのごま和え、お漬物3種

箸には浮世絵の模様、おしぼりもある。ここは日本? と思うくらいである。

食べ終わったころ 経営者の奥さんが白衣で調理場から出て来られ 2人で会話をした。

彼女は高知から移民した1世であった。

日本へ帰りたくないですか? の質問に 11歳でボリビアに来て50年 ここが私の生きる場所です。日本の事は幼くてよく覚えていません・・・・と

移民のコロニーに住んでいたが 子供の教育の為 ラパスへ出て来て夫婦でレストランを始めて21年とか

子供3人は日本に住んでいて 娘は日本で結婚し子供もいて家も持った・・・

「私は3年前日本で胃ガンの手術をしました、ガンが進行していたが日本で手術してもらったから

助かりました・・・ボリビアの友達は胃がんの初期発見であったがみんな死んでしまいました・・・」とも。 

別れ際に 「日本は平和でいいですね」 の彼女の言葉が強く胸に応えました。

*住めば都* とは言え今日までの彼女達の苦労は計り知れないものがあると思いました。




コパカバーナの教会

2008-11-26 | 日常
 
 昨日 バスから船に乗り替えた港に戻り 港の近くの立派な教会の見学です。

今日は日本で言う 大安吉日 なのか多くの結婚式があるようで着飾って式に参列する人々で教会の庭は賑わっていた。

女性はヒラヒラ、フワフワのスカートにレースのショール 頭にはチャップリンの帽子

どのご婦人も最高のオシャレでしょう、色とりどりできれいである。

日本でいえば留袖、訪問着・・・ってとこでしょう。

新郎新婦が教会の中からでてきたが 頭、肩の辺が真っ白い粉のような物がかかっている。

何回か結婚式を見かけたが どの新郎新婦も必ず白い物が・・・ライスシャワーのボリビア判かな? 

教会の門前には面白いおもちゃ屋さんが何軒も店開きしていた。

ほしい物のミニチュア判のおもちゃを買って教会でお祈りすると願いが叶う・・・とか

家、車、赤ちゃん、お金、何でもござれである。

私も お金 を買おうかな?・・・と思ったが ボリビアのお金では・・・と思いやめました。 

月の島

2008-11-25 | 日常

 太陽の島から船に乗り 月の島へ渡ります。

月の島では処女の神殿を見学、島民200人ほどの小さい島です。

神殿の特徴はアンデスの十字架(4つの季節と4つの要素<火、水、土、空気>をあらわす)で

壁などに多くのデザインが施されていました。

一部残っている石組みはペルー・クスコの かみそりの刃も入らない石組み・・・に似ていた。

この島はかっては 女性だけが立ち入りを許されたため 女性の手によって建てられたとも・・・

船着場から若い女の子とオバさんの物売りが 土産用の民芸品を持ち

我々にすすめるわけでなし ただついて歩くだけ おまけにかわいい黒い犬(名前はシャドー)も一緒に・・・

値段を聞いたら今までの店の10倍の値段にビックリ、 

でも優しい? 我が夫 若い女の子からリャマの人形を買った。

観光客などいつ来るかわからないこの島 高くしないと成り立たないのかな?

(修復した処女の神殿)

インカの泉

2008-11-23 | 日常

 翌朝 我々の荷物は若い女性達が 例の縞の風呂敷に包み船まで運んでくれる。

我々は人やロバがやっと通れる位の道を歩て(島には車は存在しない)インカの泉の見学、

泉は別名 若返りの泉 とも呼ばれミネラル分を多く含み お肌がスベスベに・・・。

島民が一生懸命汲んでいる所を邪魔するのも悪いので飲まず終い・・・残念!! 

泉には3つの口から常に水が流れ出ており人々はポリタンクに汲んではロバの背に縛り付け運んでいた。

インカの泉から湖面迄 かっては真っ直ぐに365段の石段があったが 

泉の水脈で壊れ 今はガタガタの204段の石段しか残っていないが 

インカ時代からの大切な生活の道である。

かっての365段の石段は種蒔きや収穫時期を知る暦でもあったのだろう・・・とのこと

階段の途中で現在の水耕栽培の 原点 を見る。

インディヘナのお婆さんが荷物を背負って石段を下りてくる姿は なんとも言えないいい光景でした。






太陽の島のホテル

2008-11-22 | 日常

 ホテルはコテージスタイルでなかなかオシャレである。

野菜たっぷりのスープに焼きたてのパン、メインはお肉(牛肉)

食事を終えロビーに行けば荷物は届いていた?? いつ? 誰が?

夜も遅く懐中電気の明かりでそそくさと部屋へ 

部屋に入りビックリ、木製、藤製のステキな家具や調度品でオシヤレ~~! 

温風ヒーターで部屋はがガンガン温まるし、ベットは電気毛布 快適! 快適!

翌朝 ホテルの中庭の散策 手入れの行き届いた庭にはパッションフルーツの花や実がぶらぶら・・・

ゼラニュウム こんもり咲く小菊らしき花もいたる所に綺麗に咲かせてある。

ベンチは葦の船形 ここもオシャレである。

ホテルの前庭に出てみたら 何とすぐ下が湖ではないか なんだー・・・

昨晩 何でそこまで 船を着けなく とんでもない夜道を歩かせるのー????

これは添乗員の判断ミス、明るければ インカ文明発祥の地 である神殿跡も見る事が出来るが

・暗闇に牛・ の状態 何処に何があるやらサッパリ・・・

融通の利かない添乗員に誰もが ブー!ブー!であった。


太陽の島

2008-11-21 | 日常
 バスを降り 目的の港 コパカバーナからは貸切の大きいボートで太陽の島へ向かいます。

何しろ大きい湖 走れど走れどサッパリ着かない。

ペルーまで行ってしまうのでは・・・と思うくらいである。

途中チチカカ湖に沈む綺麗な太陽に歓声を上げていたのに 島に着いた時は真っ暗

これからが大変、ガラガラの岩山の様な所を這いあがるのであるが

真っ暗で何も見えない 懐中電灯の明かりだけが頼りである。

「ここがインカの発祥の地 女王の神殿跡です・・・」???の説明にもな~んにも見えない

適当な方向にカメラを向けて1枚の写真を撮ったが・・・

しばらく這い上がると山に沿った細い道を進むのであるが 月の出は遅く真っ暗

足を踏み外せば崖らしき斜面を落ちてしまう・・・一点の明かりも見えない。

一体全体何処え連れて行かれるのか サッパリである。

星はとてつもなく大きく綺麗であるが 上を向いて歩くわけにはいかず もっぱら足元のみに目を凝らす。

曲がりくねった山道を懐中電灯で足元を照らしながら歩くこと1時間余 長い長い道のりの末

やっと ぼんやりの明かり・・・ ホテルに着いたのである。  は~~・疲れた!!

荷物は船に置いたまま??  誰が運ぶの??

痴呆気味の方はラパスのホテルに滞在で本当に良かったのでは・・・と思う。

健脚の方も足が痛くなりガイドや添乗員の助けを借りて歩く有様であった。





インカの畑

2008-11-20 | 日常
 太陽の島へ向う途中の山の斜面は 細かい段々畑である。

この段々畑は 遠い昔インカ時代につくられたもの でも今は使われていない・・・

よく崩れなく残っているものだ・・・と感心する。

チチカカ湖添いを走っていると鱒の養殖場

これは 日本のNGOが日本の技術で養殖している・・・とのこと。

昨晩大きな鱒の塩焼きが出たが それもここで養殖されたものだと知る。

世界を旅しているといたる所で日本の援助、日本の技術が活躍しているのを目の当たりにする。

しかし 中国などの援助はすごく目立ち 現地の人も中国の援助はよ~く知っている。

日本の方がはるかに援助は多いはずなのに 現地の人は知らない・・・を痛感すること度々である。

日本は宣伝が下手なのかな? 奥ゆかしい国民だから? そんなのは世界に通用しないと思うが・・・。

チチカカ湖は琵琶湖の12倍近くの大きな湖で世界で1番標高の高い所にある湖

この湖がペルーとボリビアの国境でもある。

入り江の狭い部分をバスも人間も船で渡り 海軍の訓練を横目に先を急ぎます。