まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

日本への切手

2011-01-30 | 日常


午後は全員揃って 今度は一つ一つ丁寧に島の見学である。

要塞、博物館、街並み等々歩いて・・・

途中で郵便局があり ヤッター・・・とばかりに駆け込む、

今迄に書きためた十数枚のハガキを出そうと 日本への切手を注文すると

何と何と 1枚のハガキに大きな切手を19枚

ドルに換算すると1枚のハガキに2,5ドル分の切手 高~いのにビックリ。

こんなに沢山の切手をどうやって貼るの??? 

束ねてホチキスででも留めない限り無理、貼りようがない

仕方なくここで投かんするのは諦めた。



マラウィにしてもモザンビークにしてもホテルにはショップが無い、

勿論絵はがき1枚がないのだ、これらの国に絵はがきというものが存在しないようである。

その様な話を添乗員さんに聞いていたので 南アフリカのヨハネスブルグの空港で

買い込んだハガキを書き溜めていたもの。

国によってはハガキ1枚、切手1枚を手に入れるのも大変、

日本では考えられない話である。

モザンビーク最後のディナーは 何と大きなロブスターを背中で切り開き

焼いたもの、これがまたたまらない美味しさである。



食べ終わった殻をくっ付けたら ご覧のとおり・・・・。




島クルーズ

2011-01-28 | 日常
 


1時間後に 今度は我々半分のお仲間と島クルーズに出る。

島クルーズは何れも添乗員さんが付き添う。

小さなボートで島を一周するわけであるから

昨晩通った橋の下をくぐった、意外とシッカリした橋であった。



夜は周りの状態が分からないから とんでもない想像をしていたものである。

海の穏やかな午前中にしたはずのクルーズが 外洋側は相当波が荒く胆を冷やした。

岸辺では 女、子供達が岩場に張りついた小さな貝を取っており長閑な眺めである。





ホテルに帰りランチ、 このランチに出たサラダにはビックリ

じゃが芋が少しと、その他の殆んどがロブスターの身がごろごろ・・・・



それが お皿に山盛り、そのサラダだけでお腹いっぱいになる。

何とも贅沢なランチであった。


島探検

2011-01-26 | 日常



朝ホテルの前の海岸で一人の女性が砂に穴を掘り

流れ着いた海藻を埋めていた。



砂浜はキレイになりそれは良いが海藻と一緒にペットボトルも埋めており???

午前の波の穏やかなうちに 我々は2組に分かれ

一方の組は島一周クルーズ、もう一方はアメリカ人ガイドに着いて島探検である。

夫と別々の組になり夫はクルーズ組、私は島探検組、ミニバスであまり説明もないまま

まず 岬に立つ教会、奇跡的にサイクロンにも負けずその形をとどめているのも

神のご加護・・・・と島の人々は言っているとか。

この島の子供たちの元気なこと 内陸の子供に比べ魚などを多食しているから

栄養バランスが良いからだろう、スリムな身体でバネの様な動きをしていた。

元気のあまりか 我々にうるさく付きまとい注意しても聞くものではない。

これが本当の 悪ガキ というのでしょう。



顔に白いものを塗っている少女、ミャンマーのタナカと同じである。



これは 日焼け予防と虫除けも兼ねたお化粧の一つである。



モザンビーク島とは

2011-01-24 | 日常

この島は 縦に3㎞横幅が500m狭い所は200mの

モザンビーク北東部から3㎞沖のインド洋に浮かぶ小島。

1991年世界遺産に登録された。

今でこそ訪れる人も少ない小島にすぎないが、

歴史的にも文化的にも大変興味深いところである。

この島は 古くはインド洋貿易で栄えていたがその運命を大きく変えたのは

ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマである。



1498年の終わりヴァスコ・ダ・ガマがこの地に立ち寄ったことで

喜望峰回りのインド航路が開かれた。

この時 彼らを迎え入れた君主の名前、ムーザ・アル・ビックが変化して島名となったという。

その後 ポルトガル人はこの島を拠点として、インドの香辛料や綿花、

内陸の象牙や金、奴隷などの交易を始め港はアフリカ征服の拠点となった。



スエズ運河が出来たのと 1898年現在のマプトが首都となり

港湾も大陸側のナカラ港に移され、モザンビーク島は次第にその重要性を失った。

現在は ポルトガル、インド、アラブなどの多様な文化が交差する美しい

街並みが残っており人々を魅了している。

小さな島の中にはかっての栄華を偲ばせる要塞、モスク、教会が同居し

東アフリカの交易語スワヒリ語が飛び交っている。



しかし 数年前のサイクロンによって島は壊滅的になり

ホテル、劇場等大きな建物もサイクロンで破壊されたまま手直しされることなく

今は その姿のままで世界遺産となっている。





ホテルのディナー

2011-01-20 | 日常
 

橋の長さは3Kmとか 長いか? 短いか? は分からないが

スピードを出せなくノロノロ運転ではとても長く感じた。

真っ暗の遅い時間に着いたホテルは海辺にあるらしく波の打ち寄せる音が聞こえる。

こじんまりしたホテルの客は我々9人だけらしい、





ディナーは大きなロブスターの半身とイカ、エビ、魚の炭火焼き

盛りつけはいまいちであるが

毎食これだけ美味しい海鮮料理が出ては 痩せて帰るつもりがとんだ誤算である。

エビ、カニの類はあまり好きではないが 

ここのロブスターの美味しさでは 大好きになりそう~



モザンビーク島への道のり

2011-01-18 | 日常

いつまで走ってモザンビーク島には着かない。

アメリカ人ガイドは後ろの方の席に座り静かなもの

何の説明も案内も無い、これでガイド? と言いたくなる。

お腹はすいてくるし、喉は渇く 座席は目いっぱいでアシスタントの席は無く

彼は足元の乗り口の床に座ってこちらを向いている。



彼にもせんべいなどを分けてあげ 夫は日本からのお茶を飲んでいると

彼の飲みたそうな顔に ペットボトルを渡し一口飲むように差し出すと

ごくっと飲み 夫に手を差し出した???

何とペットボトルのふたをくれ・・・という仕草

蓋を渡すと 嬉しそうな顔をして蓋を閉めペットボトルを大切にしまい込んだ。

中のお茶だけのつもりが彼はペットボトルごとくれたと思ったらしい。

日本のペットボトルはデザインが変わっているから欲しかったのであろう。

外はとうに真っ暗、車のヘッドライトは自転車のライトと間違えるくらいの明るさ

何処をどう走っているのかサッパリである。  

相当な時間の後 橋らしいものを渡っているのに気づく。

橋の幅は狭く1車線、欄干は手すり程度で簡単なもの

下はどうも海のようである、これが島への橋の様である。

暗くて様子が分からず、いつ海に突っ込んでも不思議ではない簡単な橋の様に思える。

ハラハラドキドキの橋はとてつもなく長く感じた。




ひたすらモザンビーク島に向けて走る

2011-01-16 | 日常



市場の見学の後は ひたすらモザンビーク島に向け走る。

島へは船で? 陸との距離は? 



ビュンビュン、ガンガン走る車では会話も聴き取れない有様。

ミニバスの後ろには トランクを積んだ荷車を牽引しているのに

よくスピードが出せるものと感心する事しきり、

そのもの凄いスピードに気持は穏やかではない。

それと言うのも 道中で聞いた ミユージシャンーのKさんの話を思い出す。

このKさん、妹さんと2人世界あちこちの鉱山で宝石の原石の採掘をするのが趣味とか

たしかロシアでは鉱夫と一緒の小屋で寝泊まりしたとか、イスラエルでは・・・

スリランカでは・・・・等々色々な話をきいたが



ブラジルでの話には背筋が寒くなった。

宿泊場所と鉱山の送り迎えを頼んでいる車がもの凄いスピードで走っていた時

20メートルの崖を回転して落ち、車は逆さまに川にはまる事故

この時 彼女は両足と右腕骨折、頭 顔はザグザグの怪我

妹さんは何とか無事で同乗していたドライバーの子供を引きずり(通訳の為)

崖を這いあがり助けを求めた・・・・とか

この時 飛行機をチャーターしてサンパウロだか何処だか聞きもらしたが

大都市の病院へ搬送してもらった・・・・・と

「飛行機をチヤーターしたのは初めてだったけで気持良かった~・・・」だって。

その時の怪我の後遺症と足の脛の盛り上がりや傷跡をみせてくれた。

その話を聞いた後だったから「このスピード 怖くない?」と聞いたら

「目を瞑っているのよ」といっていたが その様な恐ろしい思いをしても

凝りもしないで旅を続けられるのに感心する。

掘った原石をどうするのか? 眺めてはニヤニヤ ら し い。




リチンガ空港~ナンプーラ

2011-01-14 | 日常


AM7時モーニングコール、朝食、8時30分ホテルを出発して空港へ向かう。

空港の周辺にもジャカランダが満開でキレ~イ! 散った花の絨毯の上を歩いて楽しむ。



空港は本当に小さな空港である。



オシャレなご婦人に声をかけ写真を撮らせてほしいと言うと

ご覧のようにポーズをとってくれた。アフリカ人は陽気で楽しい。



ナンプーラ空港に着くと大柄なアメリカ人が迎えてくれた。

彼はこの地が気に入り移り住んでいるとのことであるが何をしている人か??? 

ガイドがいなくて彼がボランテアでガイドをしてくれるとのことである。

まず ファテマ教会のロマネスク様式のナンプーラ大聖堂の見学をする。



お昼はレストランにてシーフード料理、エビの炭火焼きは美味であった。

インド洋が近いから魚介類が豊富、ランチの後は市場見学



生きたニワトリや野菜、香辛料、何でもあり・・・



タコの干物が面白い形であった。


モザンビークのホテル

2011-01-12 | 日常



ホテルには午後4時頃に着いた。

ホテルの入り口には 銃を持った警官? 警備員? 

不審者がホテルに入らないように見張っているようである、

やはりモザンビークが危険な国であることを感じる。

鍵をもらい部屋に入ると、




何と白いタイル貼りのだだっ広いガラ~ンとした部屋 うひゃ~・・・

寒々とした部屋ではハガキを書く気にもならず

近くにスーパーマーケットがあるとのことで 夫と散歩がてら出かけた。

教えられた道をいくら行っても見つからない。

危険を考慮して狭い路地には入らないように広い通りだけを通った。

お仲間も三々五々出かけたが 結局誰も行き着けなかった。

どうも 我々が想像するスーパーマーケットとはチト型が違うため見過ごしたらしい。



街路樹は全てジャカランダの木だが 剪定されており花は無かった。

咲いていたら街中紫で見事な美しさであろう。



道端でピーナッツを売っていた おばさんと会話をしたり

写真を撮らせてもらったりして楽しいひと時を過ごす。





トイレ

2011-01-10 | 日常


 

我々の日常の生活で トイレは大変気になるスペースであるが

現地へ行ってもトイレは気になる。

移動中はガソリンスタンドのトイレを借りたり、青空トイレが多く

現地のトイレを借りることはまず無い。でも 覗いては見る。

最初に訪問した村のトイレは とんがり屋根のかわいい形をしていたが

       
この村のトイレはよしずの様なもので囲ってあり、築地塀というかいきなりトイレではなく

入り組んで入るようになっており、なかなか奥ゆかしい作りになっていた。

トイレは穴を掘っただけのものであった。

     
夫はチョイと拝借したようであったが 私は見学だけさせてもらった。

中国の場合 都会から1歩外に出ると 公衆トイレの凄まじさは半端ではない。

シルクロードの旅、内モンゴルの旅の時などの時 汚さ、臭さ等々は言葉がない。

それはそれは恐ろしさを感じるほどのものである。

あな恐ろしや 中国のトイレ。