まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

イエメンが助けてくれた?

2011-03-31 | 日常


イエメン・ソコトラ島の旅がドタキャンになりチョッとガッカリしたが 

今思えば 出発前日にイエメンで暴動が起き 外務省の「危険情報」が発令され

渡航禁止となったことは 大変幸いなことであった。

今回の旅は短くて日曜日に行って日曜日に帰る8日間

この旅が 催行されていたなら大地震が起きた事を知るのは帰国2日前

(地震の当日11日)ソコトラ島から首都のサナーに着いた時であろう。

そして 13日成田へ帰ったとしても自宅へ帰る手段がない。

新幹線は勿論、在来線も不通 道路は寸断されて自宅へは帰れない。

ましてや トランクなどいつ届くのかも分からない。

そんな こんなを考えるとドタキャンになったことは有難かった。

我々の為に 神様か仏様かイエメン様かがその様に導いて下さったのでは?

どう考えてもそうとしか思えない。

旅行会社も「前日にツアーが急にキャンセルと言うのは

長年この仕事をしているが初めてです・・・・」とのことであった。

神様、仏様、アッラーの神様に、感謝! 感謝! です。




備えあれば憂いなし

2011-03-28 | 日常


我が家は床暖のため停電なるとさむーい、でも反射式ストーブがある。

今回はこのストーブが大活躍している。

部屋や身体を温める暖房器具としては勿論であるが

湯を沸かす、煮物が出来る、アルミ箔に包んで焼く事も出来る。

これほど便利なものはない、絶対常備しておくべきである。

でも 灯油が思うままには手に入らないから 必要な時以外は消している。

そして 日常買い込むこと、ため込むこと大好き人間であるから 

乾物類、乾麺類、缶詰め類、それに 色々な保存食が広い冷凍室に沢山入っている。

お店から商品が消えても 十分食い繋ぐことは出来るから慌てないですんだ。

消費期限なんて気にしない人間 こう言う時には助かる。

備えあれば憂いなし・・・・まさに今回それを実感、痛感した。

被災者のことを思うと我々は天国である。

自分の家で 自分のベッドで休める。

暖かいご飯をいただく度に 当たり前と思っていたことが 

今は 心から感謝し手を合わせていただいている毎日である。




電話、メールの雨

2011-03-25 | 日常


電気が灯り 電話が通じるようになったら

郷里が遠いと言う事もあり 本当に沢山の同級生が安否確認やら

お見舞いの電話、メール、そしてお手紙をいただいた。

また 多くの旅友からもご心配いただき 電話やメール、手紙をいただいた。

その誰からも 「困ったこと、欲しい物があったら・・・・」とか

「必要な物があれば車に積んで届けるから・・・」とも言ってくれる友もいた。

700キロの道のりを来るのは到底無理な話であるが 気持がうれしい。

災害から日が経ってくると今度は何人かから「郷里の味を」とか

「何か必要なものがあれば送ってあげたいが・・・・」とか

「家までは配達できないそうだから集荷所まで取りに行けるか?」との電話

でも「その気持だけ 大変、大変有難く頂戴します、その分被災地の方に・・・」と伝えている。

旅友、同級生、同窓生、友人、知人には感謝の気持でいっぱいである。

ありがとう! ありがとう! 感謝! 感謝!  です。




耳はいい加減

2011-03-22 | 日常


地震の直後から電気、ガス、水道は止まってしまった。

でも 我が家は小さいがビルであるため水は受水槽から高架タンクに送水して

各部屋へ・・・・の仕組み、その高架槽の水を大切に使えば水は大丈夫である。

明かりは40年近く前に買った大変太いロウソク(キャンドル)が2本ある、

それを リビングと通路に灯した。

その上 用心深い夫のこと 懐中電灯は大きなのが4つも常備してある。

懐中電灯は要所要所において大変重宝した。

電気が点くまでの4日間 ロウソクの明かりで携帯ラジオのニュースを聴いて過ごした。

耳から聞く地震の様子、津波の様子、被害の事等々しっかり聴いていたが

4日後に電気が点き テレビを見てその凄さ、酷さを目にして言葉を失った。

4日間一日中ラジオから耳を離さなかったが 全くその凄さ、酷さを想像できなかった。

地震が起きてもの凄い揺れの中にいる時よりも 

テレビの画面を見た時の方が身体、心の震えをおぼえた。


地震は恐ろしい

2011-03-19 | 日常

宮城県沖地震やその後も結構大きな地震に何度か見舞われているご当地

常に 地震の事は頭から離れなかった。

そんな思いがあり 地震対策として観音開きのカップボードやサイドボードは取っ手に

飾りチエーンなどで固定していたが 大きな揺れでチエーンが引きちぎれてしまい

中のものが見事に全部飛び出して粉々に・・・・

食器戸棚は買い替えの時 地震の事を考えて引き戸の物にしたが

これも ガタガタする揺れに戸が開いてしまいました。

この戸棚大きくて重くて動かせない戸棚のはずが 20センチも移動していた。

同じく 重い仙台タンスも同じである。

酢や醤油のビンが倒れたり割れたりして調味料の海、

蓋がしてあるメダカの水槽の水も半分は飛び出して水浸し・・・

部屋は割れたガラスで足の踏み場もない状態である。

でも 物が壊れただけで人間様が無事だったのが何よりと思う他ない。

被災者の方達のことを思うと我が家の被害はその比ではない。

避難生活をしている方達のことを思うと胸が痛む。




地震

2011-03-17 | 日常



23年3月11日の地震では

多くの友人、知人、同級生、幼なじみ、そして学校時代の先生方から

心配して沢山の電話やメールを頂戴しありがとうございました。

お陰さまで無事で元気です。

ご心配戴き本当にありがとうございました。



あの日

朝 起床したらもの凄い目まいに襲われ

朝食の支度を・・・と思っても起きていられない状態

ズボンだけ脱ぎ またベッドに・・・・

お昼もそこそこで休んでいたら

もの凄い揺れに??? 起きだしてリビングに来たが 揺れは酷くなるばかり

ゴゥーという音の中にガタガタガタガタ・・・・ガチャンガチャン・・・・・

この揺れ方が半端じゃなく立っていられない、何時までも止まらないので

これはいかん・・とズボンをはこうとしても 地震の揺れと目まいで

足を上げズボンをはく事がなかなか出来ない、やっとはいて外に出ても揺れは収まらない。

何が何だか訳が分からず、夢なのかうつつなのか 自分に戻るのに時間がかかりました。



トランク帰る

2011-03-10 | 日常



イエメン・ソコトラ島の旅がドタキャンになり

成田で3泊したトランクが帰ってきました。

秤にのせてはやっと20キロに納めた中味を取り出して、

それぞれお決まりの場所に戻すのはへ~んな気持である。

パスポートもお金も殆んど返金された。

パスポートにはイエメンのビザが取られているが 

ビザの有効期間は3か月 今度行くとしたら新しく取り直しである。



改めて パスポートをペラペラ見直して感じること、

それは イスラムの国のビザはキラキラ光るスタンプ? 模様?が

ありとても美しいことである。







ただいま~

2011-03-07 | 日常

           

早、 ど こ か から帰ってきました。

ではありません、行けなかったのです。

イエメンは2008年に行っていますので

今回はイエメンのソコトラ島、インド洋のガラパゴスと言われている島です。



4日トランクを成田空港へ送り出し、6日の出発を待っていたら

5日朝9時のラジオニュースで我々が行こうとしている所で

2万人規模のデモ発生・・・・と耳にする。 ええっ! 

これは大変なこと・・・・と 早速旅行会社にTELをいれたら

旅行会社も大慌ての様子で「今、TEL差し上げる所でした・・・、

外務省から{危険情報}が発出されたので旅行は中止します」とのこと。

トランクは成田に行っているから、近日中に送り返し返します・・・・とのこと

夫は 旅行にあたり留守中の仕事をかたずけやれやれとしたところであった。

10日間留守にするからには 郵便局へ配達を止める手続き(これが最近ややこしくなった)

新聞の配達ストップ、クロネコさんに荷物の預かり依頼(いつもながら大変親切で

「生ものは娘さん宅へ届けておきますね」と有難いお言葉)

最寄りの交番へ留守中の見回りの依頼に伺う(以前 旅行で留守中に

空き巣に入られたため)、友人にメダカの餌やりの依頼、等々

旅行の支度とは別に、留守にするということは大変な準備がある。

それが 前日に中止となるとつっかい棒を外された様なものである。

気持も 旅行に向けての期待と緊張感が頂点に達したところでのキャンセル

これが本当のドタキャンである。

な~んか 脱力感と仕事が手につかない昨日、今日である。


ブログお休みします

2011-03-04 | 日常


今年も白鳥の餌やりに通っています。

1日おきに玄米、籾、合わせて4キロくらいをリュックで背負って行くが

歳のせいかこれがなかなか重く感じられる。



でも 最初のうちは 私のお気に入りの餌やり場に着いてクワァコー!

クワァコー! と呼ぶと川下から羽ばたきながら飛んで来る。

それが 遠くからでも私の姿が見えると呼ばないのに飛んでくるのである。

これが何にも代えがたい嬉しさである。



今年も 白鳥達に沢山の幸せと喜びをもらった。



飛来するようになって今年で4年目 毎年飛来する白鳥の数が増えている。

1年目は6羽、2年目は16羽、3年目は26羽、

今年は一番多い時で36羽 なぜか10羽ずつ増えている。

でも 今年常に居るのは23羽 これくらいが丁度いい数、

来年もっと沢山の白鳥が飛来したら・・・・4キロでは足りない。

来年の飛来数は程々によろしく・・・と 白鳥達に伝えておこう。 

暫く留守にするからその間にシベリアに帰ってしまうとチョッと寂しいなぁ・・・




そうです また ど こ か へ行ってきま~す。

ヒントは この写真です。





ブログは3月下旬までお休みします。


次の写真は白鳥の道すがら出会う鳥たちです。












最後の観光

2011-03-03 | 日常

今回の旅の最後の観光は つづら折れの道を上りマセルが一望に見える高台へ・・・

途中の村で写真ストップ、民家の建物を見たりしながら高台へ





雲行きが怪しくなってきたと思ったら大粒の雨が・・・・

高台までは登ったが 雨と風が酷くなり、その上雷まで凄くなってきた。

雷鳴と沢山の稲光が同時に光る様は始めてみたが その稲光の美しさに驚く。

雷と稲光は我々の旅が無事終えることが出来たことを

祝福しているかのようにも思えた。

土砂降りの中をホテルに戻り旅の最後となるディナーに

一人ドリンク1杯は旅行会社のサービスとのことでビールの人、

ジュースの人、コーラの人、それぞれ注文して旅が無事だったことを祝い乾杯をした。 

料理はと言えば 何とお昼と全く同じ品が同じように並んだバイキング料理

世界中何百回かの食事をしたが 昼、夜、全く同じ・・・と言うのは初めてであった。



明日は帰国の途であるが マセルからヨハネスブルグ迄の飛行機が小さく

荷物は15キロ制限のお達し、此処までにも衣類などを整理してきたが

ここでは 思いっきり衣類を整理した。

まだまだ着られる衣類は 洗濯こそしないが

キレイにたたんでビニール袋に入れゴミ箱へ、

ベッドの上などに置くと 忘れ物だと思い大変な迷惑をかけることがあるから・・・

スッカリ整理して 旅の最後のベッドにつく



そして翌日の朝は マセル空港へ・・・・

レソトを出国して乗り込んだ飛行機のスチュアーデスが可愛くパチリ。



マセル~ヨハネスブルグ~香港~成田 と無事南部アフリカの旅を終えました。