まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

チュナグン村

2010-07-30 | 日常

 インド、パキスタン防衛線に近いチュナグン村の見学に行くが

ここは少し標高が高いためあんずの花はまだ蕾である。

対岸のモスクを眺めΓあんずの木々の中のモスク」と銘打った今回の旅の

パンフレットの写真のベストポイントである。

あんずの花が満開ならばピンクのあんずの花の中にブルーの屋根のモスクが・・・

満開ならどれだけ美しいことでしょう。

次に ハルダス村へ ここも対岸に位置しKさんの絶叫吊り橋つきである。

しかし 彼女はお仲間の姿が先に進んで見えなくなってから そろりそろりと手すりにつかまり

渡るようで 帰りは皆が帰る前に渡って橋のたもとで絵葉書を書いていた。
(この彼女、旅先から80~100枚の葉書を書く)

花は7分咲きであるが、その美しさは半端じゃない。

もう気がおかしくなりそうなくらい あんず、アンズ、杏の花の美しさ。

何回 綺麗! キレイ! きれい! 美しい! うつくしい! すご~い! を発したことか。

この村へ外国人観光客が来たのは初めてとのことで 好奇心旺盛な子供たちを含め

大勢の村人たちの歓待を受け楽しい時間をすごした。




シラツェ村

2010-07-28 | 日常

 あんずの花、花、花、 その美しさと言ったら言葉がない。

本当に、本当に 美しい、美しい、綺麗 綺麗、

西行の Γねがわくは花の下にて春死なむ・・・・」むしょうにこの言葉が思い出され

この花の下なら 今ここで死んでもいい・・・と心底思ったほどである。

日本の桜も美しいが 何故か違う。周りのロケイションが違うからであろうか。

畑には5~6センチに伸びた麦の緑が一面に・・・ そしてあんずの花の淡いピンク色

真っ直ぐに伸びたポプラの木 コントラストが素晴らしい。

満開のあんずの花を眺めながら歩いていると2~3人の子供が・・・・

そのうち 4人、5人、6人とどんどん増えて そのうち大人達も増え

まるで 有名人さながらの様相である。

この日は昔のインドの偉大な政治家の誕生日で祝日、

学校が休みとのことで、大勢の子供たちに会えてラッキーであった。



吊り橋

2010-07-26 | 日常

 今日はあんずの里を訪ね歩きます。

車を降りて吊り橋を渡りシラツェ村へ。

吊り橋を渡り始めたら 後ろから キャー!! いや ギャー!!の絶叫???

なんと お仲間のKさんが 吊り橋の手すりにしがみつき泣き叫んでいるではないか???

Kさん お歳は還暦過ぎのオバサンである。

聞けば 彼女は吊り橋が怖くて渡れない・・・とのこと

手を引いてあげるから 一緒に渡ろう・・・と言えば

あんたは 橋の真ん中で絶対揺するから・・・と 

そう言われたならば いたずら大好き人間、ご期待に応えなければと先に渡り

彼女が渡り始めたら・・・・と待てど暮らせど彼女は来ない。

諦めて 先へ進んだが

彼女は何故か吊り橋の揺れるのが 何としても恐ろしいとのことである。

きっと 幼い時揺れて怖い思いをした体験をしており それがトラウマになっているのでは?

重い布団

2010-07-24 | 日常

 イスラム教徒のここでは女性の従業員の姿は無く 男性ばかりである。

部屋は大きなダブルベットが1つ トイレ、洗面所はタイル貼りの広いスペース。

蛇口をひねったら 湯が出るヤッター! ヨーシ!今のうちに・・・・

となりの部屋の夫にも 今なら湯が出ることを知らせ(沸かした分しか湯が出ないから
早いもの勝ち)

大きなポリタンクに水がいっぱいに入っているが それをぶち空け湯を張った。

何しろシャワーはとんでもない高い所から チョロチョロであるから身体まで届くころは

冷たくなるくらいである。

前もって持参したドライヤーが使えるか試しておき ポリタンクの湯を

汲み出して髪、身体を洗い 久し振りで身体を洗いスッキリする。

しかし ベッドの布団には驚きである。

1枚の毛布の上に重い敷布団様の布団が何と4枚もかけてある。

持ち上げることも出来ないくらいの重さである。

湯を使えた暖かさで 1枚、2枚、3枚と布団を剥ぎ取り 

毛布と1枚の布団と用意してくれた湯たんぽで眠りについた。

(イスラム教徒の女の子は髪を隠している)



カルギル

2010-07-22 | 日常

ガタガタの細い田舎道を走る。

だんだん標高が上がり周辺の景色はまだ冬の様相である。

ナミカラ・ラ(ナミカラ峠)は標高3720m で一休み、富士山の高さと同じくらいである。

ラダックではどの山の頂上にもタルチョ(お経が書かれた旗)がはためいていて

チベットと同じである。

日はとっぷり暮れてしまい暗い中をひたすら走る。

やっとカルギルの街の明かりが見えてきた。

カルギルはインドの中でも珍しいイスラム教徒の街である。

そそくさと荷物を部屋に入れてレストランでの夕食

しかし カシミール地方を繋ぐ道路が冬の閉鎖中で、食料が手にはいらず

少ない食材を工夫しての夕食はスープ、ポテト煮、カレー等であった。

何しろこのホテル 季節外れの客である我々の為に

2日前からオープン準備をしたとのことで不備だらけである。




花の民の村

2010-07-20 | 日常


この村の女性は頭にほうずきと沢山の花を飾っている。

彼女達の長い髪の毛は左右に3本づつみつあみにしている。

今は花の季節ではなく 造花の花を飾っているが夏には生の花で飾るようである。

パルダンさんの弟さんの(本当の弟ではなく親しい間柄の友人をこう呼んで 韓国のヨン様が

フアンの皆に家族、家族と言っていたがそれと同じであろう)家にお邪魔して

マサラティー、あんずの種、アーモンド等をご馳走になった。

弟さんの奥さん、お母さん、叔母さん達4人が正装スタイルを見せてくれた。

そして 広場へ移動し彼女達をモデルに撮影会をする。

ズボンがなんか面白くナウイ? 感じである。

胸飾りが綺麗で 彼女達の大切な財産であろう。

村で見かける女性達は野良仕事をする人も子守りをしている人も

誰もが髪はほうずきや花で飾っている。

これが 花の民 と言われる所以である。

このような村に今少し居たかったが カルギルはまだまだ先、

後ろ髪を引かれる思いで先を急ぎます。





ダー村

2010-07-18 | 日常

 道端で車を降りて 花の民 と呼ばれるダー村へ

しかし 村らしきものは何処にもない、こんな所に村があるの?

石ごろ道というより 岩だらけの道らしくない道をし~ばらく歩くとやっと畑が見えてきた。

またしばらく歩くとやっと人影が・・・・・

お仲間の1人が20年くらい前のこの村の女性の写真が載った新聞を持参していた。

最初に出会ったお婆さんにその写真を見せ尋ねたら Γこれは私の母です」と

彼女も我々もその偶然にビックリであった。

新聞に載った女性の娘と言っても 相当なお婆さんであった。

実際の歳は若いのかも知れないが 紫外線の強い高地暮らしの為 しわが多いのかも?

その記事が載った写真を持ってきたお仲間のSさんは20年前から絶対ラダックに行く・・・と

大切に新聞を保管していて 今回の旅はその夢の実現だったそうである。


パルダンさんのご両親

2010-07-16 | 日常
 この日は1号車が当りガイドのパルダンさんと 添乗員と一緒である。

ガイドのパルダンさんが 間もなく私の生まれた村に着きます・・・・と

しばらく行くと道路の脇に2人の人が立っていた。

パルダンさんのご両親であった。

お父さんもお母さんも精悍な顔立ちで チベット系ではなく中央アジア的な顔立ちである。

お母さんは花の民の正装で我々を待っていてくれ(前もって彼が連絡していたようである)

頭には鬼灯の束と花、リボンの飾りそして豪華な胸飾り、

背中には白いヤクの毛皮が蓑のように背中をおおっていた。

息子であるパルダンさんとは久し振りの逢瀬らしく懐かしげに言葉を交わしているが 

傍にいるわれわれには まるっきりチンプンカンプンのラダック語である。

手持ちの日本のクッキー、タオル、手下げバック等々を渡したが

彼がクッキーの箱書きの説明を添乗員さんに読んでもらっていた??

何と お父さんも、お母さんも厳しいベジタリアンで卵を使っているクッキーはダメ

おじさんだか誰だかは食べるから その人にあげる・・・・とのことであった。

彼らの村は川向こうの斜面にあり沢山の杏の木が満開の花を咲かせており桃源郷そのものである。

崖を降りたところにある吊り橋を渡って来てくれたのである。

我々にと干しあんずの実、あんずの種、干しブドウ、アーモンドがごちゃ混ぜに入った袋と

あんずの種から絞ったオイルをワイン大の瓶に1本戴いた。

後で知ったが 前の晩寝ないで我々の為に絞った杏のオイルとの事 皆で分けることにした。

オイルの絞り方はよく分からないが スクルクチャン村のお婆ちゃんの説明によると

窪みのある石臼にあんずの種を入れ石で擦りつぶしてオイルを取るらしい。

100CC絞るのも大変な仕事、パルダンさんのお母さんのご苦労が偲ばれた。

パルダンさんのお母さん トクジェッチェ!(ありがとう!)







村のお婆ちゃん

2010-07-14 | 日常

 ランチの後は 満腹のお腹をさすりながらスクルプチャン村の散策です。

農作業の忙しい季節であり沢山の村人に会いました。

村の真ん中で4~5人のお婆ちゃんが杏の実を割り種を取り出していた。

平べったい石の上で左手の指で押さえた実を右手に持った握りこぶし大の石で1つ1つ割っていた。

が 小さな実 我々だったら指を叩いてしまうだろうに・・・

彼女達はなれた手つきで次々と上手に割っていた。

物珍しくて眺めていると 尋ねもしないのにジェスチャーで

この種をすりつぶし油を取り 顔や手や身体に塗るんだ・・・・と教えてくれた。

その油が欲しいものであるが 言葉は通じず残念。

トクジェッチェ!トクジェッチェ!(ありがとう!ありがとう!)とお礼を言い後にした。

畑仕事は無理な年齢の彼女達は1年中 こうして種を割っているのであろう。

楽しそうにおしゃべりしながら・・・幸せそうな姿であった。

民家のトイレ

2010-07-12 | 日常

 民家を出る時トイレを借りた。

別棟になっており 階段と言うより梯子に近い物を上ると2帖位の土間? の奥に

布が ぺらん と掛けてあり その布をめくって入るとやはり2帖位の広さの真ん中に

長方形の穴がぽっかり その穴で用をたすのであるが 

穴を覗くと1.5メートル位下には土の様なものが・・・

穴の脇には乾燥した土の様になったヤクの糞がこんもり盛ってあり

用を終えると シャベルでその土状のヤクの糞を穴から下に落としかけるのである。

また 穴の脇にはバケツに水と口の付いた手桶が置いてあり

紙を使わない彼らのシャワレットである。

イスラム圏の旅の時いつも思うのであるが、どういう風にして手桶の水でお尻を洗うのか? 

以前の旅のお仲間が手桶を使って洗ってみたら

衣類がずぶ濡れになりえらい目にあった・・・と聞いたことがある。

こればかりは現地の方にもなかなか聞きにくい話で 今だかって不明である。

我々は民家でトイレを借りた時も青空トイレの時も使用済みの紙は必ず持ち帰り

ホテルのゴミ箱に捨てる。

話は戻るが 下肥は乾燥しているから臭いは感じず それは畑の大切な肥料であり

これこそ 完全有機栽培である。