まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

ジェンネへ

2008-01-31 | 日常
             バニ川の夕日

合計4泊したモプティのホテルを出発です。
4泊すると何か離れがたい気持ちになる。

相変わらずのボロ・マイクロバス、
いつものことであるがバスの中を蚊が何匹も飛んでいる。

小さなバスの中で蚊取り線香を3巻も焚くのであるが蚊には全然効き目なし 土ぼこりがはいるだけあり 線香の煙もどこかえ消えてしまうのです。

大騒ぎして蚊を叩いてはガイドのダンテに見せる。

「これはマラリア蚊じゃない、これはマラリア蚊だ・・・」ダンテが言うには「1~2匹は大丈夫3匹に刺されるとマラリアになる」

マラリア蚊(羽まだら蚊)は刺している時羽根を震わせているから分かる・・・とか。刺している蚊をジーッと見ていろ!ってこと? 

あまりに我々が蚊に大騒ぎするのでダンテは 蚊!蚊!の度に笑い転げていた。彼は10回マラリヤに罹ったと、さも自慢げに話してくれた。

何と言われようともマラリアはこわいよ~。

トンブクトゥ~モブティへ帰る

2008-01-27 | 日常
           フラニ族の女性

朝7時 黄金の都トンブクトゥを後に昨日来た同じ道を帰ります。

車はやはり何回も故障、その都度何処からともなく物売りの女の子などがくる。

お盆にアワかヒエの粉で作ったのか だんご の様なものが並んでいる。

どんな物か口にしてみたい気持ちはあるが 行く前に主治医から「A型肝炎は口からですから気を付けるように・・・」が頭をよぎり諦める。

ホテル着後ホテルの前のバニ川沿いを散歩、ここは洗濯屋さんの洗濯場の様である(皆若い女性)。 川で洗い、そこら中に干してある。

これが不思議なことに地べたに広げて干すのに土が全然付かない、白いものは白く、色ものは色鮮やかにとてもきれいに仕上がっている。

乾いた順にたたんで風呂敷様の布に包む。全部洗い終えると今度は皆一斉に自分の身体の洗濯、若い女性だから美しい胸である。

その中の一人が口の周りにいれずみ、これはフラニ族のしるしである。(オシャレも兼ねているそうです。)

ちなみにボソ族は下口びるの周りにだけいれすみをしています。頬の傷も意味あってつけたものだとか・・・その意味は 部族の印、頬の傷は生まれて間もなくつけるとか。 いたそ~!


村の子供たち

2008-01-26 | 日常
           村の子供達

この旅で沢山の村を訪問、見学しましたが どこの村へ行っても子供の多さには驚きます。

少なくて20~30人、多いときは40~50人位の子供が私たちにゾロゾロついて歩き 
ボンボー ボンボー(キャンディの事)とか カドゥ カドゥ(プレゼントの事)とおねだりします。

子供のために・・とキャンディを沢山用意して行きましたが 何しろ1か所にすごい数の子供、とても配りきれません。

皆から離れた所で写真を撮らせてもらった子供にソッと手を握るふりして飴を渡すと、子供も心得たもの 飴を握ると腕を組んで脇の下に入れるのです(ポケットがない)。これも知恵でしょうね。

また 私達に向かってトウゥバ トゥバ と言うんです。何のことかと思ったら 白人 白人と言っているとか、彼らにすれば我々黄色人種は白人に見えるらしいです。 
お腹を出している子供を見ると皆 出ベソ これは生まれた時のヘソの緒の始末のせいでしょう。でもここではそれが当たり前、

だって木彫りの人形が大きな出ベソに作ってありますもの・・・。大人もみんな出ベソかな? きっと出ベソでしょうね。

やっとトンブクトゥに・・・

2008-01-23 | 日常
          ラクダに乗りサンセット見学?

黄金の都トンブクトゥに着くとローカルガイドのトワレグ族のモハメド・アリさんが 遅い!遅い!と待っていた。

砂漠の民であるトワレグの人が旅人に「遅い!」と言う言葉には???

かって金と塩の交易で栄えた都も 今はその姿はなく静かな街で 少々ガッカリ。

モスクや1826年に来たイギリスの探検家レイングの家、1828年に来たフランスの探検家ルネ・カイエの家、野外博物館等を足早に見学後 ラクダで砂漠のサンセットです。

このラクダに乗ったのはいいが乗ったラクダがハズレ、座る椅子?が傾いている、そしてアリさんは両足をラクダの首の上で交差させろ!とうるさく言うのです。

今迄何回もラクダには乗っているが必ず鐙があった、今回のは鐙が無い 足を組むのはトワレグの乗り方であるがトワレグ族は背が高く足が長い 

それと同じ乗り方を足の短い我々に強要するとは・・・。
ここからが大変 座っている板が斜めだから 尾てい骨と板が擦れて痛いこと

 痛いこと タイミング良く?と言うかラクダを引いている6~7歳の男の子が「らくだらくじゃないね らくだらくじゃないね・・・・」
と歌う様に何回も言っている?? 日本人がいかに来ているかを痛感。

30分位乗り目的地に着いた時には 完全にサンセット終了、トホホ・・・。
イタイ、イタイで帰りの道のりは何時間にも感じました。

このお尻の傷はこの後の旅を苦しめ、日本へ帰ってからもしばらく悩まされました。本当にラクダはらくじゃないね。

黄金の都 トンブクトゥ2

2008-01-21 | 日常
 船着き場で見かけた母子

トンブクトゥへ急ぐのですがなかなか大変です。

何回もの車の故障 そして雨期に出来た大きな沼を筏の様な船で渡らないと目的地に行けません。

その船に車が乗らない、乗せろ・・・のすったもんだの末やっと乗ることが出来やれやれです。

小1時間の船旅で、私は現地の人達にマジックをして見せたのです。それは60CM位のひも1本と大き目の安全ピンと指輪があればOK。

これが大うけで、もう1回 もう1回とさせられ 指輪に細工がしてあるからこれでやれ・・・と自分の指輪を渡す次第。

現地人同士で ああだ1こうだ!と大騒ぎ、このマジックを見ていたガイドのダンテが「こっそりタネを教えてくれ」と言ってきましたが

自分で考えてみて!分からなかったらマリを離れる空港で教えるから・・・。

こんな事をしているうちに1時間はあっという間、対岸に着きました。
この3日後、さすがガイドをする人だけあり頭はいい、

汚い紐とその紐の切れ端で環を作り(リングが無いから)
夜も寝ないで考えた・・・と言ってやって見せてくれました。

日本へ帰ってからインターネットで彼に写真を送ったら、返事が来て 「私はマリの偉大なマジシャンになりました。」とありました。

黄金の都、トンブクトゥへ

2008-01-20 | 日常
            トゥワレグ族のローカルガイド(モハメド・アリさん)

旅の6日目・今朝もアザーンで目覚め朝の身支度、蚊除け装備完了。

1泊分の用意をしていざ・・、トンブクトゥまでは400KM 道路が悪い為ランドクルーザーです。
(メンバー10名ですが高熱を出した人がいてご主人が付き添いモブチィに滞在)2名づつ4台に分乗して7時出発です。

先頭の車に乗っているスルーガイドのダンテが青い紙を掲げて立っていれば 

トイレ休憩、黄色なら写真ストップ、赤なら食事です。

我々の車は私達夫婦とドライバーの3人、ドライバーとは全く言葉が通じないから キヤンディープリーズ!

ライスクッキー(お煎餅)プリーズ!と食べ物攻め、鮭のトバをあげた時は首を傾

げ これは何だ の素振り(彼らはイスラムだから食べ物に神経をとがらせるのです)シーフィッシュ、シーフィッシュと言うと 

魚のはねる手真似をして口に入れ親指を立てて グッド!グット!でした。

日本の食べ物は彼らの口には良く合うみたいです。
途中1号車故障、早めのランチです。

アルミ箔に包んだ大きなフランスパンに牛肉をサンドしたものです。

このお昼の為に昨晩作ったおにぎりをガイドのダンテにあげると 黒い球? これは何だ??? 
ライスボールだと言っても理解が出来ない様子、

やっと分かり梅干しのおにぎりを口にして やはり何度も親指を立て 美味しい!美味しい!の連発 

うめぼしも顔をしかめることなく親指を立てグー、グーでした。

日本の中古車と思われる車、何回も故障でなかなか目的地に着けません。

ボゾ族の村訪問

2008-01-18 | 日常
             ボゾ族の少女

ホテルの前からボートに乗り ボゾ族の村の訪問です。

この村はバニ川の中州にあり漁村です。川幅は(聞かなかった)

岸が見えない広さで(キロ単位)雨期には中洲の大半は沈んでしまい日干しレンガと泥の家は消えてしまいます。

乾期になると人々は中州に戻り家を作ります。

そしてバニ川から捕った小さな鯉や、30センチ位のなまず(むなびれを尻尾のと

ころに刺して丸くしたもの)を藁の上に並べ火を付けると藁の煙できれいなあめ色

になり それを干せば燻製の出来上がりです。これが川を渡って首都バマコやトン

ブクトゥに運ばれます。乾期には広くなった中州に遊牧民のフラニ族が牛を連れて

中洲の草を食べさせに来ます。

ボゾ族とドゴン族の関係・・・
マリではどの部族同志でも結婚が出来ますがドゴン族とボゾ族は認められていません。
それは 大干ばつの時、飢えに困ったドゴン族はボゾ族に相談すると ボソ族は見えないところで自らの足を切って渡した。

生き残ったドゴン族は後々それを知り 兄弟と認め合った。

それで両族間の結婚は出来ない・・という話です。

ドゴン族 仮面の踊り

2008-01-16 | 日常
           仮面のおどり

西アフリカの農耕民族には仮面文化が発達していて、目に見えない霊的存在や霊的世界を信じている。

文字を持たない社会では伝承や伝統的なものを踊りで伝えることを手段としていた。
ドゴン族の神話では、人間の過ちにより世界に死が出現し 

その混乱を鎮める為に死者をかたどった仮面が作られるようになったと語られている。
人が亡くなり葬式の時 この仮面をかぶり、赤い腰蓑を身にまといタムタムの音に合わせて踊り 死者との別離が執り行われる。

仮面は沢山の種類があり 例えば動物のうさぎ、猿、へび、鹿、等がある。

ドゴン族 ソンゴ村

2008-01-15 | 日常
           写真はソンゴ村割礼の場所

ドゴンの村の中でも特にイスラム化の強い村です。

裏山を登ったこの岩絵の場所は12~14歳の少年の儀式が行われる場所です。

3年に1回12歳13歳14歳の少年が大人になる儀式(割礼)が行われます。

儀式が行われた後 彼らは1週間ここで一緒に生活をして長老達から大人としての心構えや村のしきたりや色々教わるのです。

そして最後の日に 村の向こう側にある神聖な山の頂上まで走って行って帰って来る(往復10キロくらい)。

これで1番になると倉庫2つ(食糧のあわ等が入っている)頂ける。2番は村で1番きれいな女の子をお嫁さんに出来る。

3番は牛1頭です。4番以降はなし。

岩に描かれている絵は1家族に1つの絵があり 色は3色 黒は知性、赤は割礼の時に流す血、白は無知、と言われています。

マリの旅 ドゴン族の村の一つバナニ村

2008-01-14 | 日常
     写真はバナニ村

ドゴン族バナニ村は断崖にあります。村中斜面で平らな所はありません。

それは外敵に襲われにくい場所だからです。

写真の真ん中辺が人の住んでいるところ、上の方はお墓です。絶壁をどうやって死んだ人を上げるのか 

それは 死んだ人をロープで縛り上に登った若者が引き揚げるのです。

そこは 奥の深い洞窟になっておりそこへ死んだ人を置き洞窟の入口を泥でふさぎます。
高い所に葬るのは天国に近い・・・からです。

村ごとに洞窟の穴が決まっており、どの村で亡くなってもここの洞窟に葬ります。