まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

ブログ1周年

2008-12-31 | 日常


 今年の元旦から ブログなるものを始めて丁度1年になりました。

ブログとは何ぞや?・・・の私が、パソコンを買って2ヶ月後の

今年のお正月 娘に何が何やら分からぬままに ブログなるものをセッテングされ 

言われるままに始めた次第。

手とり 足とり教えてもらったお陰で何とか無事1年を迎えました。

そして 多くの方が覗いて下さり 本当にありがとうございました。

か く のは恥、冷汗専門 恥は山ほどかきますが 国語の苦手人間が文章を 
か く・・・??? 

日常の出来事、旅日記を思いつくままに書きました。

また ブログをとおして多くの事を学び 少しはボケ防止の役に立ったのかな?


新しい年からは また日常の事 旅の思い出を日記として書く予定です。

覗いて下さい。



私のブログを読んで下さった 皆様 どうぞ良い年をお迎えくださいませ。




おせち作り

2008-12-30 | 日常
 目下 日持ち順におせち作り励んでいる・・・と言っても毎年同じような物である。

おせち とはそんなものであろうが・・・

くろまめ、たつくり、数の子、栗きんとん、なま酢、出し巻き卵、きんぴらごぼう、

酢れんこん、ごぼうの牛肉巻き、鴨のロースト、玉子かんてん、冷凍しておいたいちじくの含め煮、

そして紅白かまぼこ、伊達巻、柚釜にいくら等々・・・

煮物は一品ずつ炊いて合わせて詰める。
(くわい、こんにゃく、昆布、ごぼう、竹の子、人参、しいたけ、里芋、生麩、ぎんなん、百合根、
彩りにさやいんげん等々)

いづれも 少量づつ作る事にした。

これらを 3段のお重に詰めれば で き あ が り ~・・・・


そして 今日も白鳥さんに玄米を持参してあげてきた。

今年は尾長鴨が沢山飛来しており 白鳥のおこぼれに与かろうと寄ってくる。

これがまた かわいいのだ。 水底の米を逆立ちして食べるのであるが

「頭隠して 尻隠さず・・・」のスタイル。まるで水からタケノコが生えたようである。

尾長鴨のお陰で 今年の餌やりは楽しみが増えました。

明日もタケノコが生えるのが楽しみ~!!


餅つき

2008-12-29 | 日常
 昨日28日 お餅を搗いた(と言っても もちっ子で・・・)

ここ4年前からお正月のお餅 昨年からお鏡餅も手作りである。

お鏡餅は 形づくりが難しくどんぶりや お椀や湯飲み等の容器にラップを敷き

搗きたてのお餅を入れる・・・。 熱が取れた頃形を整えるのである。

が 写真のごとく、な~んかチョット形がいまいちである。 来年こそは・・・

切りもちは 空き菓子箱にやはりラップを敷き 搗いた餅をいれる。

明日が切り頃である。やはり 自分で搗いたお餅はよ~く伸び、と~っても美味しい。


歳の瀬になると必ず思いだすことがある。

確か暮れの28日の早朝 祖父が風呂に入り身を清めて山へ門松を迎えに行っていた。

門松と言っても 高さ2メートル位の そよごの木 である。

この木は 1年じゅうつやつやした葉っぱをつけ、冬は真っ赤なかわいい実をつける。

そよごの門松は玄関前の庭に 左右に2本づつ4本の杭を立てそれに荒縄で縛り付ける。

そして 裏庭では祖母や母が、かまどで蒸したもち米を 父と母が石の臼で餅を搗く・・・。

たいてい28日に餅は搗くが 都合が悪く搗けない時は

29日に・・ 2(ふ)9(く)ふく餅(福餅)と称して搗いていた。

大きなお鏡、そしてお仏壇や神棚、氏神さま等々に供える小さなものを沢山作っていた。

切り餅にするのは 1メートル四方のまな板の親分みたいなのに とり粉を敷き 

搗いた餅を載せ これまた 太くて長い麺棒で熨しては脇に何枚も重ねていた。

もち米をふかすあの匂いは お正月を迎えるワクワクした気持ちになった。

大晦日の夜は家族揃いお歳取りの食事の前に 父が台所の戸棚の上段に祀ってある 

えびすさまと大黒様に 灯明をあげ一升ますに札束を入れ、お供えをしていた。 

毎年この時期 そんな事を懐かしく思い出す。




年の瀬

2008-12-28 | 日常
 歳の瀬・・・となると、ろくに大掃除をするわけでもないのに な~んかせわしい気持ちになる。

今年こそは おせち 作りを止めようと毎年思うのであるがついつい作ってしまう。

紅白かまぼこと伊達巻以外は一応全部手作りである。

秋の京都展でおせち用に梅花の形の生麩を買い冷凍、栗もきんとん用に裏ごしして冷凍してある。

でも 今年こそは本当に手抜きを・・・と考えているところであった。

しかし 大枚を出して 買い揃えた輪島塗りの蒔絵のお重や、お雑煮椀等々が

 1年に1回も出してもらえない・・・と泣くのでは? とも思うし・・・。

塗り物は洗い方一つにしても、またしまうために1つ1つ木箱に納めるにしても大変である。 

でも お正月の用意・・・と木箱から1つづつ取り出す時、緊張するが 何故か新鮮な気持ちになる。

そんな気持ちを 知らず知らず心の何処かで求めているのかも・・・。

沢山の輪島塗りは、後々 誰が受け継いでくれるのか・・・?? と気になる.

先のことなど余計なことかもしれないが やはり気になるものである。

さあ 今年も新鮮な気持ちに・・・・



同窓会・その3

2008-12-26 | 日常
 高校卒業後は名古屋のT女学院へ2年間、シュシュポッポッの汽車で(1時間半)通った。

この学校の生徒は 高卒が半分、短大や大学卒が半分であった。

生徒は良家の子女やお金持ちのお嬢さんばかり 要するに花嫁学校である。

そこは花嫁学校 洋裁、和裁、お茶、お花、お作法、料理、等々何でもござれである。

毎日楽しく通ったが お昼休みにお仲間の会話などに耳を傾けると

海外旅行の話、新婚旅行は何処へ行くか・・・とか(昭和の30年代のことである)

また 「結婚したら女中さん使う?」に「私は使うわ・・・」とか「私は使いたくないわ・・・」

そんな会話がごく日常的にされている学校であった。

時代は 昭和30年代後半 私の生まれた町には仕事上のライトバンは

あったと思うが 自家用車のある家は1軒も無かった。 

そんな中 自分専用の自家用車で通学している人も珍しくなかった。

その頃 我が家に車がきた。

父が車好きであり (トラックは私が生まれるズーッと前からあったが・・・)

車はイギリスの車 オースチン、色はワインレッドとオフホワイトのツートンカラーである。

我が町で、我が家は自家用車を持った第1号であった。

そんな父の勧めで女学院を卒業と同時に車の免許を取った。 

町で1人目から3か月後の 2人目の女性ドライバーであった。

そして2台めの車、新型車の日産ブルーバードが我が家に・・・

その車を乗り回していたころ T女学院の同窓会の知らせが来た。

勿論 参加する予定でいたがドタキャンをしてしまった。

それは お見合いとぶつかってしまったのだ。(自慢にもならないがお見合いは21回した)

今の夫?? お見合いした人の中にはいませんでした。 

お見合い相手は断りまくり 今の夫のもとへ嫁いできたのである。

車は父が 嫁入り道具の1つとして持たせてくれた。

結婚以来 車は何台も変わったが ブルーバードのキーだけは40数年経った今でも

私の大切なお守りとして、キイホルダーに付けいつも一緒である。

その後 T女学院の同窓会の知らせは1度も来ていない???。

 

同窓会・その2

2008-12-25 | 日常

 ど田舎 育ちの私は小学校は隣村の小学校へ行っていた。

それは 本来の小学校へは6キロあり 幼い子供の足では無理というわけで

隣村の小学校へ(そちらへは約4キロ)昔からそうなっていた。 

今で言う越境入学である。(そのズーッと後からはスクールバスになった)

この小学校の同級会は2年に1回ある。

そして 中学校は本来の学区の中学へ近所の同級生6人と自転車で通った。

中学校も田舎のことゆえ 1学年50数人のクラスが2つのみである。

この中学校の同級会が1年半おきにある。

なぜ 1年半なの??? これは毎年では忙しい、2年に1回では寂しい・・・

と言う事で1年半おきになったとか。

何年か前? 2泊3日の還暦同窓会旅行の時(会費がなんと10万円)

参加者半数余 これにはビックリであった。

今年も5月に1泊2日の同級会バス旅行があったが 遠隔地に住んでいる私は現地合流である。

そんなわけで 1年に3回の同級会・・・と言う事になるかも、いや4回になるかも
 
それは 高校の首都圏同窓会が毎年5月に東京である。

私は首都圏在住ではないが入れてもらっている。

同級生、先輩、後輩、関係なくお国言葉でのおしゃべりは本当に楽しいものである。

遠隔地在住の為 何れの同窓会も新幹線や飛行機を使い ささやかながらご当地のお土産を

持参しての参加であるが それには変えられない喜びがある。

同級会や同窓会はふるさとに繋がっており懐かしく、心嬉しいものである。

まさに 島崎藤村の「血つながるふるさと、心つながるふるさと、言葉つながるふるさと」 である。

(新幹線からの富士山)

同窓会

2008-12-23 | 日常

 高校を卒業して半世紀に近づいた先月末 卒業以来初めての同窓会が郷里であった。

集まる仲間は全員揃っても女性ばかり15名 1人が亡くなっており14名中10人が参加した。

集合場所に行ったが あまりの時間の経過にお互い誰が誰だか顔が分からない人もいた。

えっ? このオバさん誰??? と思うくらいである。

しかし 時間とともに顔の シワ がなくなり?(気にならなくなり?)昔の顔になっていくのが不思議である。

高校時代の想いでを ああだった・・・! こうだった・・・! とおしゃべりしまくり

卒業してから今日までの人生を一人一人発表し アッと言う間の一泊2日であった。

これからは 1年おきに開く・・・と言う約束で別れたが 同窓会とは人生の先が短くなってくると

せわしなく開催したくなるものの様である。

年賀状書き

2008-12-21 | 日常

 目下年賀状書きに専念の毎日である。

今年戴いた年賀状の1枚1枚に目を通してから 書く事を考えて書く・・・ので時間がかかる。

仕事関係といつも会う方は別として 郷里の恩師や同級生のは特に時間がかかる。

年賀状でお互い1年おきに返事を書く・・・と言う方も何人かある。
(いい写真を貼って一生懸命書いた後で 喪中 のハガキが届くとガッカリである。)

約400枚のうち 約300枚は書き終えた(約50枚は夫の友人等で夫が書く)

後少し頑張りましょう。

毎年 夫と少し整理して枚数を減らそう・・・と言いつつ サッパリ減らないのが現実である。

それどころか 旅で一緒になった方から届いたりして かえって増える羽目になることも・・・。

来年こそは1割カットを目指そう・・・と思っている。


フラの発表会から・・・

2008-12-19 | 日常
 10月下旬 フラの発表会があった。

何ヶ月もいや何回も練習しないで 人前に立つ???

それはないでしょう・・・と先生に言えば 教室の生徒さんばかりの発表会だから全員参加で~す。

猛特訓の末 出たことは出たが やはり若い人たちの踊るのを見たら

鏡に映る我がスタイル・・・ 頭っから冷水をかぶった気分であった。

オバさんのフラはな~んか様にならない。 

そっれにひかえ 若い方のフラは美しい。

今は フラブームとかでいたる所でフラの文字を目にするが、

発表会を期に熱が冷めてしまって お休みばかりしていた。

久し振りで今日 教室に行ったが 動くのは口ばかり 身体はサッパリである。

まあ フラを口実にお友達とランチをして、おしゃべりをするのが目的であるから

へっぴり腰をヒョコヒョコさせ一応フラは続けることにした。

自分の健康のためにやるのである。 

人前に立たないことを条件にフラをやることを先生に申し出ようか・・・と思っている。

今年の教室は今回で終了、来年になったら心を入れ変えって 頑張るぞ~~! (本当に?) 

(写真は先生方)

師走

2008-12-03 | 日常

 今年も師走となりました。

毎年400枚近い年賀状全部に写真を貼っています。

旅行で撮る膨大な写真の中からいいのを選び1冊のアルバムを作成

残った写真は最初のうちは破棄していたが 勿体ない・・・

写真の数も半端じゃ無いし 凄~くいい写真もた~くさんある。

その中から良いのだけを選んで それぞれの写真に合った形にカットして年賀状に貼る・・・

身内や親しい友には 自分の写真を貼る事もある。

これが15年位続いている。

約400枚1枚として同じ年賀状は無いのである。

そして下手な字で手書き(近年、表だけは印刷)・・・この時期は肩が凝る。

こんな年賀状を毎年楽しみにして下さる方もあり頑張っていたが

この年賀状も今年が最後になりそうである。

それは デジカメにしてからはアルバム作り中止、写真はパソコンに保存・・である。

来年からは旅先の ″これぞ・・〝 と言う写真を印刷する事にしたいと思っている。

印刷の年賀状は味気ないし 戴いてもあまり嬉しくないが仕方ない 

待っていて下さる方 ゴメンナサイ! である。

最後になるだろう 写真を貼った年賀状 心を込めて作りましょう。 



ブログは 約3週間お休みします。

また書きます。 

覗いて下さい。