まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

ヘミング・ウェイ 2

2016-01-29 | 日常




ヘミング・ウェイの家の見学の後はコヒマル漁村へ
ヘミング・ウェイお気に入りのレストラン「ラ・テラサ」にてランチです。



彼がいつも座っていた席は海側の隅の席、そこはロープで囲ってあった。
彼の好きだったと言う「ダイキリ」がウエルカムドリンクで出た。


彼は糖尿病であったため砂糖抜きの「ダイキリ」や「モヒート」を飲んでいたとか
ワタクシもキューバに来たからには・・・と「ダイキリ」や「モヒート」を何回も飲んだが
ヘミング・ウェイは砂糖抜き、ワタクシはアルコール抜きであった。







漁民達が彼を偲んで建てたという「ヘミング・ウェイの像」を見学


その後市内に戻りラム酒博物館の見学、ここでお土産用のラム酒を買い込んだら重いこと、重いこと

ラム酒も新酒、3年物、5年物、7年物、10年物、15年物、と年数が経つごとに高くなり
高級売店にはラム酒のほかに葉巻も売っており
ワタクシは7年物のラム酒を4本と頼まれていた葉巻を求めたが葉巻の高いのには驚きであった。
1本何千円から1本1万円余のものまである。






ちなみにラム酒は15年物?とやらは20万円であったがそれを買うのは「日本のオバさん」と言っていた。
我々のお仲間のご夫妻が確か10年物を求めていたがお値段は????



ヘミング・ウェイ 1

2016-01-25 | 日常



今日がキューバ観光最後の日である。
朝 ホテルを出発して ホワイトハウスそっくりの旧国会議事堂(カピトリオ)


その後 郊外のサンフランシクコ・デ・パウラのヘニング・ウェイの家(フインカ・ビヒア)へ
邸宅をぐるりと家の外から見学 家の中は彼が生活していた時のままに保存されており
管理人たちが掃除をしていたが 部屋は開けっ放しにすると湿気で痛むから・・・とガラス越しの見学である。
















本が9000冊あるとか
愛用の品々がそのまま置かれ、友人であったゲーリークーパーが泊まるために特別ロングサイズのベッドを作ったとか
それも窓越しに見た。








見た目には平屋のこじんまりした家であるが 部屋数は6~7部屋暑い国ゆえ床はタイル貼り
庭には当時からのものだと思われるキレイな花が沢山さいていた。

広い屋敷には彼専用のプールと愛用のヨット(ピラール号)、その脇には猫好きだった彼がつくった
愛猫のお墓もあった。












支倉常長さまと面会

2016-01-23 | 日常


ランチは対岸に旧市街が一望できるレストランLA DIVINA PASTORKにて
午後は支倉常長の像のある公園へ

ワタクシが住んでいる地と縁の深い御仁支倉常長さま 
まさか ここキューバでお目にかかるとは考えもしなかったので驚きであった。
像は持っている扇子でこれから行くであろうローマの方を指していた。
親しい友人に久し振りで会ったような感覚を覚えた。


銅像の回り四面には鳴子のこけし、七夕まつり、青葉祭りの山車、どんと祭の陶板が
嵌められており何かキューバにいることを忘れてしまうひと時であった。








ローマに行くとき立ち寄ったとのことであるが
ワタクシの住む地の高校が寄贈したものであることが説明書きにあったが
旅のお仲間は勿論、帰ってから皆に聞いたが誰もそれを知る者はいなかった。











夕方ホテルに戻り旧市街のレストランと本場のキューバ音楽を聴くのであるが今晩も全て パス



ハバナの街の観光

2016-01-20 | 日常

朝の散歩も朝食もパス 体調イマイチであるが それでも 高いお金をかけてきたキューバの旅である、
それも首都ハバナの観光となれば何が何でも 這ってでも見学しなければ・・・・と

お仲間との行動には遅れを取らないようにしているが お喋りなワタクシが静かであるため 
皆が大丈夫?大丈夫?と気にかけてくれる「拡声器が故障したの・・・・」と返事するのがやっとであった。
さすがキユーバの首都 クラッシックカーのオープンカーが あるは、あるは い~っぱい










新市街の革命広場、内務省(ゲバラ)、情報省(カミーロ・シェンフェゴス)、そして世界遺産の旧市街へ




カテドラル広場、ヘミングウェイが定宿としていたホテル アンボス・ムンノスのロビーにも入っての見学、3階?4階?の角の部屋がいつも彼が泊まるへやとのこと。











ヒエハ広場ではカーニバルの竹馬踊りをしていたが踊る方も見ている方も陽気で楽しいものであった。
小さな子供も音楽に合わせてお尻をふりふり踊っており、動きは板についたもの 環境の影響は凄~い。










郵便局の入り口のライオンの口がお手紙投函口、ここで6通の絵葉書を投函したが
ガイドさん曰く、日本に届くのは2ヵ月先になります・・・・と

ハバナのホテル

2016-01-16 | 日常


ハバナのホテルはハバナを代表する有名なホテル ナショナル です。
かって宿泊した有名人の写真がビッシリ飾ってあったが
最近の写真 中国とロシアの有名人?の写真だけをパチリ

 
ワタクシの体調が思わしくなく写真もそこそこ部屋に入り夕食もパス




この日は1日バス移動が長く
バスは中国製のためかエアコンの温度調節が良くなく 前の方は快適でも
後ろの席は寒い、お仲間が申し出ても直るものではなく
寒さで体調が・・・・・トホホ・・・






革命の聖地サンタクララ

2016-01-13 | 日常



サンタクララは革命軍が政府軍を打ち破った所として、ここにゲバラも埋葬されています。
ボリビアから持ち帰ったチェ・ゲバラの遺骨が眠る霊廟の見学の時は 大変厳しく
何も持ち込んではいけない、カメラは勿論小さな鞄も帽子も・・・
パスポートも貴重品も何もかもバスの中に置いて、
これには少々心配だったが運転手さんが責任を持って見てくれるとのこと
そして 霊廟の中は会話は厳禁、それだけチェ・ゲバラの凄さを改めて痛感する。

バスからカメラなどを持ち記念館を見学、
彼の遺骨がボリビアから運ばれた時の棺や


特別展示で女性闘士タマラ・ブンケの展示ゲバラの生涯の写真や愛用のカメラ等の遺品の展示を見る。

最期にゲバラの像を見学して一路ハバナへ



















トリニーダ~サンタクララ

2016-01-10 | 日常

朝 フランス人移民によって19世紀に築かれたシエンフエゴスへ
世界遺産の町の散策です。






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これは床屋さんと美容院ですが店内は一緒で奥が床屋さん、通り側が美容院です。
日本とは随分違います。






公園での自由行動の時 ワタクシ一人トーマス・テリー劇場へ入り中を見学。
天井画が見事でした。そしてロイヤルボックスにも座ってみました。








公園では おや? 銅像?


 


と思いきや 面白いパフォーマンスです。
子供はすっかり作り物と思って見ていたのが動き出してビックリでした。



トリニーダ 2

2016-01-07 | 日常
今日のランチの時にもキューバ音楽を聴きながら・・・
町の民家はお部屋をキレイに飾り通りから見えるようにしています。




午後は 郊外のかって18世紀サトウキビのプランテーションで栄えたロス・インヘニオス渓谷
(砂糖の谷)へ かっての富豪の別荘で圧縮機で絞ったサトウキビジュースをチョッピリ回し飲みして飲んだ。







露店では女たちが自分で刺繍したテーブルクロスやテーブルセンターを売っており
これはかさばらなくお土産にいい・・・と買い込む。






ホテルに戻り夜は再び旧市街に出かけ食事をして 夜はライトアップされた町の散策でした。








トリニーダ

2016-01-05 | 日常


朝の散歩はホテルのビーチ
部屋から50メートルも歩けば朝日が水平線からのぼるのが見える海岸です。
これも旅の醍醐味です。




午前世界遺産の町 トリニーダへ
駅でサトウキビ鉄道の機関車(1914年製)を見学。






次はかっての奴隷売買とサトウキビsw栄えたトリニーダの旧市街へ
ここはまだ配給制であるため 配給所の見学、品は少なく
その時の配給にもよるがこの時は、洗剤、石鹸、油などが棚などに置かれていた。






今日の配給品が黒板に書かれている。


それから 広場、邸宅、教会、革命博物館など見学後





500年前トリニーダはここから始まったと言う謎の木 ラ・カンチャンチャラにて
伝統カクテル・カンチャンチャラ(ハチミツ、レモン、ラム酒)を飲みながらキューバ演奏を聴く





キューバでおにぎり

2016-01-02 | 日常


6人仲良くなったお仲間が「ディナー前にMさんの部屋に集合・・・」との号令
それぞれなにがしかのおやつなどを持参

飲み物は キューバの飲み物と言えば モヒートとダイキリ これをホテルのバーで作ってもらい
勿論タダ それを持ち寄ると

京都から参加のKさんがおにぎりを6個とお味噌汁を作って持参
ご飯は持参した釜で持参した京都の水で炊いたとのこと とろろ昆布でくるみ高級味海苔で包んで食べる。
このおにぎりの美味しかったこと 筆舌に表せない美味しさ、Kさんご馳走様でした。


かってはアルフアァ米を持参しおにぎりを作ったこともあったが
その様な面倒なことが億劫になり作らなくなってしまったが 
砂漠などで食べるおにぎりの味はたまらない美味しさであった。