まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

ラダックの家庭

2010-05-30 | 日常

 民家の居間兼台所は8帖位の広さで 小さな窓が2つ 窓側に1.5mくらいの板敷きの

場所がくつろぐ場所である。

部屋には女性が2人と昼寝中か? 男児が寝ていた。

案内された場所に座って部屋を眺めると、

部屋の真ん中辺にかまど? の様な物があった。

L字型に棚があり左手の棚には幾つも積み上げた鍋がズラリと並んでいる。

鍋は財産であり 沢山あれば生活が豊かと言うことらしい。

正面の棚にはガラス瓶に入ったスパイスと思われるものがずらり

彼らの食事はナンかチャパチィに野菜を煮込んだ色々なカレーが当たり前

そのカレーも気候、家族の体調等々により何十種類かのスパイスの調合を変えるから

沢山のスパイスが並んでいるのを納得する。


民家訪問

2010-05-28 | 日常

車を降りた所からホテルまでの道は細いがなんとか平らな道、

その道の脇は細い水路で冷たい水が流れており 女性がヤク牛に水を飲ませていた。

一歩脇の道に出れば 何処も上り下りの坂道、それも石で凸凹 

そう石の間に土がある・・・まるで山道といった感じである。

常に足元を見て歩かないと石につまずいたり足を挫きそうになる道である。

そんな道が家々を繋ぐ生活の道である。

何処の家も、石を積み上げた塀?がありその中でヤクや羊の鳴く声がするので 

背伸びをして覗くと狭い所にヤクが2頭ぐら、また羊を飼っている家もある。

標高が高く寒い所では普通の牛やヤギは生きられないようである。

そんな所ではヤクが大切に育てられている。。

乳を搾りチーズやバターを作り、また畑を耕す大切な家畜である。

1軒の民家の庭に若い女の子がいたので あつかましくΓ家の中を見せてくれ」と

ジェスチャーで言ったら? 快く招き入れてくれた。

1階は納屋? 2階から上が生活の場の様である。

階段を上って入った部屋は、台所兼居間である。

部屋は薄暗いが目が慣れてくるとハッキリ見えてきた。









散歩

2010-05-26 | 日常
 午後は高度順応の為 ホテルでゆっくり・・・と自由行動です。

暖房無し、電気無し、机も無しのヒンヤリ寒い部屋にいても何もすることが無く

寒さを感じるだけ、お仲間と4人で散歩に出た。

人を見かければ覚えたての挨拶の言葉Γジュレー! ジュレー!」(ラダック語)と手を振る

すると ニコニコ笑顔で必ずΓジュレー! ジュレー!」 と答えてくれる。

この言葉は 一日中何時でも使える挨拶言葉である。

朝なら おはよう! 昼なら こんにちは! 夜なら こんばんは!の意味を 

この一言で OK 便利な言葉である。

雪山に杏の花 ほんと~に美しい眺めである。


アルチのホテルに

2010-05-24 | 日常


 アルチの町? 村? のホテルに到着する。

ホテルに着いたと言っても玄関まで車が着くわけではない。

町の中心の少し広い所で道路は行き止まり、そこで車を降りた。

トランクはホテルの人が運んでくれるから 手荷物を持って後を付いて行くのであるが

標高3165M、狭い道、なだらかな上り坂、息苦しくて休みながら過呼吸を心がける。

ホテルは2階建ての部屋数15室くらいのこじんまりした外観は 洒落たホテルである。

ホテルの庭から眺めるすぐ裏手の山も、遠くの山も雪をかぶっている。

村のいたる所で 満開の杏の花は 綺麗! キレイ! きれい!

まずレストランでランチを頂いた後 

不公平が無いように 部屋はくじ引きで決める。



アルチまで 2

2010-05-22 | 日常
途中景色のいいところ、花の美しい所では写真ストップをする。

お茶したホテルを出発し 左手にインダス川を眺めながら1時間ほど走ると

左手よりインダス川、正面からザンスカール川が合流するポイントに到着。

ザンスカール川は冬になると完全に凍りつき 氷の回廊(チャダル)を形成し

ザンスカール地域と外界を繋ぐ唯一の 道 となるとのことである。

ムニー村で満開近い杏の花と雪山の写真ストップ、

しばらく走り また向かいの川岸の満開の杏の花でもストップする。

杏の花の美しさ その美しさには言葉が無い。


アルチまで 1

2010-05-20 | 日常

アルチまでは約67km 全部ではないが道路の良いのにはびっくりする。

何故? インドの北の外れの人口の少ない地であるのにインドとは思えない道路である。

ここラダックはカシミール地方、パキスタンと常にゴタゴタ争っているところである。

その為 アルチへ行く間にも何ヵ所かの軍事施設があった。

そうか~・・・いざ出動 と言う時ガタガタ道ではどうにもならない ということのようである。

出発前にインド全土の地図を渡されたが 地図にはラダック(カシミール地方)だけは

何故か道路や地名などが書き込まれていない。書き込むと不都合なことがあるのかな?

そう言うことであろう。

同じ国内で地図に白紙状態の場所があると言う不思議を感じる。





レーの空港

2010-05-18 | 日常
 雪山に囲まれたレーの空港に着いてタラップを降りると

澄んでヒンヤリした冷たい空気の何と美味しいこと

こんなに美味しい空気を吸ったのはいつだったか・・・

しかし ここは標高3505m ゆっくり深呼吸しているわけにはいかない。

そう 過呼吸を心がけ、速足歩き、大声等々ダメ!ダメ!ダメ!

空港には えんじ色の衣をきたお坊さん? のお出迎え。

そうなんです ここラダックはインドであるが宗教はヒンズー教ではなく

チベット仏教である。

ラダックは小チベットとも言われている。

それゆえ ガイドもチベット仏教僧の ラマ・パルダンさん。

ラマとはラマ教の高僧、チベット語でΓ高位の僧」と言う意味である。

ダライ・ラマさんもそうである。

大変偉いお坊さんのガイドということである。

(でも チベット旅行の時はチベット人とかチベット仏教僧のガイドではなく
漢民族の女性であった。おいしい仕事は 全て漢民族が抑えてしまっているようである。)

彼は えんじ色の衣、えんじ?赤?のジャンパー、えんじの帽子、足元のサンダルもバックも同じ色である。

空港には、新車かと思うほどのトヨタのシルバー・メタリックのステーション・ワゴンが

5台並んで我々を待っていた。

今まで3回来たインドの乗り物はボロばかり、今回の車には驚きである。

まず ホテルに向かいお庭のテーブルで暖かいマサラティーを戴く。

暑いデリーから いきなり寒いレーへ、そこでの熱いマサラティーは殊のほか美味しく感じた。

ホテルの庭に杏の木があったが まだ蕾が膨らみかけたくらいであった。

1台に3人ずつ乗り込み 高度順応のためレーより標高の低いアルチへ向かう。





ラダックの中心レーへ

2010-05-16 | 日常

 早朝と言うより夜中の午前3時15分モーニングコール、簡単な朝食が出たが・・・

出てきました 昨日成田のビジネスラウンジから戴いてきた おにぎり3個

旅友Aさんと夫と私の3人で1個ずつ食べた。 やはり日本のご飯はおいし~い!

朝食時 今回の添乗員さんとメンバー全員との初顔合わせをする。

夫婦は我々一組だけ そして男性は夫も含め2人、後はオバサンばかり12名である。

見るからに ツワモノぞろい・・・といった感じがする。

ホテルを4時15分出発して空港へ 

6時国内線でラダックの中心地レーへ向かって飛び立った。

デリーからレーまでのフライトは1時間半、にも関わらず簡単な機内食も出た。

美味しいおにぎりで満足のお腹 機内食はノーサンキュウ、ミネラルウォターだけもらう。

1時間飛んだ頃から、眼下には真っ白く雪をかぶったヒマラヤ連山?

が進行方向左側にす~っごく美しく見えた。



昨年と同じホテル

2010-05-14 | 日常

 飛行機はデリーのインデラガンジー空港に30分遅れて着いた。

ムッとする暑さの中 現地の日本人スタッフが出迎えてくれた。

ホテルへのバスに乗る時

またもや 歓迎のためのマリーゴルドの花のレイを首にかけてくれた。

インドでは必ずマリーゴールドのレイをかけるのが慣わしとなっているようである。

やはり インドのマリーゴールドは匂いが無いことを再確認する。

バスでデリーの街と空港の中ほどにあると言うホテルに着いたが

なんと 昨年11月の時と同じホテルである。

旅行会社が同じであるから この会社の常宿? ということかな?

午後8時からのディナーにレストランまでは行ったが食べたい物も無く部屋へかえる。

明日は早い出発 そして 明日からは標高が高くなるため睡眠薬使用禁止
(永久に目が覚めなくなっては困るから・・・)

今晩はしっかり 睡眠薬を飲んで寝ることにする。

機内食

2010-05-12 | 日常

 機内食は前回のこともあり期待せず、ビジネスラウンジから戴いてきたおにぎりを食べるつもりで

何でもいいや~の気持で 夫はロブスター、私はカレーを注文した。

これが どちらも美味しいこと、美味しいこと 嬉しい期待はずれであった。

前回の時は 美味しくない食事をおばさんクルーがそそくさと運んできたり

そそくさと片付けたりしていたが

今回はほりの深いカッコイイ男性2人と美女2人のクルー達が至れり尽くせりのサービスである。

ビジネスはこーでなくっちゃ・・・なんて言いながら満足! 満足!の空の旅である。