まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

カジノ

2009-06-30 | 日常
 ディナークルーズに行く前に早目に部屋を出て ホテルの地下にあるカジノに行った。

カジノの部屋の入口にはカウンターがあり 黒いスーツに蝶ネクタイでビシッと決めた

スマートな男性が2人

やってみたいが・・・と言ったが パスポートか車の免許証がなければダメ とのこと。

しかし パスポートは添乗員さんが預かっている、免許証は家に・・・

では 覗くだけ覗かせてくれと頼んだが ダメ

パスポート等の写真と 今ここで撮った写真の顔が一致しなければ入れないシステムである。

エジプト人は絶対入る事ができないらしい。

あまりうるさくせっつくものゆえ 片がわのドアを少し開けてくれた。 

一歩入って見ようと思ったら ノー!ノー! 部屋には一歩も入れない。

広い部屋の中には ルーレット、スロットマシーンがズラ~リ

ディナーの後 今度は添乗員さんに付き添ってもらい 再びカジノへ・・・

今度はすんなり中へ・・・物珍しくてキョロ キョロである。

その中の1台へ、まずチップを買う。

アラブ人らしい先客のを見ていたら た~くさん積み上がっていたチップが

あれよあれよと言う間に消えて行った。

聞くところによるとチップは色によって値段が違う。

1枚が1$、5$、10$、20、30、50、100?・・・とあるようだ。

先客のは1枚が何拾$もするチップだとか

こちらは と言えば1ドルのチップを50枚 ちびりちびり1枚ずつ ここに? あそこに?

と生年月日の数字や子供、孫の誕生日とか・・・

あれこれ考えた数字の所にチップを置くのであるが

何とも見当違いの場所ばかり 50ドルはツユと消えた。

でも 未知なる事を体験出来て面白かった~。

(因みに カジノで儲けた人がそのチップの何枚かを ルーレットの玉を転がす人 に渡したのが 今で言う チップ と言う言葉の語源である)


ナイル川ディナークルーズ

2009-06-29 | 日常

 今夜はナイル川に浮かぶ豪華な船でベリーダンスを見ながらのディナーである。

前座の歌に始まり、イスラム独特の音楽をバックにスカートの様なのを履いた男性が

クルクル、クルクル回り続けるダンス? 何しろ40分余の時間を回り続けるのである。

目が回らないのかしら?? と誰もが思う。

回り続ける事で無我の境地に入り、神と一体化する踊り? らしい。

まだ? まだ? 何時まで回るの? 見ているだけで目が回るようで疲れてしまう気持ちである。

我々は ベリーダンスを見にきたのに・・・

食事のお味は相変わらずであるが エジプトのビール、サッカラビールとステラビールは

日本のビールに劣らず大変美味しい。(のんべいの夫曰く)

そして 一番美味しいだろう・・・と思われるワインを注文したら

これがまた グー! 大変美味しくて夫もご満悦である。

そんな頃 ベリーダンスが始まった。

スタイル、顔、抜群の若い女性がこぼれんばかりの胸、スリットからあらわに見える太もも

その 姿態をくねらせて踊る様は女の私でもうっとりするくらいである。 

まして 熱い視線で見つめられた 殿方の顔は涎を垂らさんばかりのでれでれのとろけそうな顔である。 

踊りもさることながら その殿方の顔を見るのも楽しいものがある。

イスラムの国でしか 本物のベリーダンスを見ることが出来ないが・・・

肌を隠すのが当たり前のイスラム圏で 隊商を慰める為 が始まりとは言え・・・不思議である。

(トルコ、モロッコ、そしてエジプトと3カ国のベリーダンスを見たが
 個人的にはトルコのベリーダンスが一番素晴らしい様に思う・・・)


エジプトのお国がら?

2009-06-28 | 日常
 エジプトはもの凄い勢いで車が増えている。

ガイドさんが エジプトでの車選びの人間性の話をしてくれた。

ベンツに乗るのは成金かヤクザ(日本でもそんなところあり?) 

日本の車に乗る人は エリート、

フランスの車に乗る人はデリケートな人、

色から見ると 赤い車は女好きが・・・

白い車はもの知らずが乗る・・・といっていた。

因みに ガイドの父親はベンツに乗っていたが 亡くなったので売ってしまったとか

今 彼が持っている車の車種、色を聞きそびれてしまった。想像するに色はグレーかも??

彼の日本語は我々よりも堪能と言ってもいいほどである。

漢字,カタカナ、ひらがな、ことわざ、たとえ、言い回しなど完璧である。

日本に行ったことは無いが エジプトにいる田中さんに教わった・・・と言っていた。

彼のメールアドレスの中にも tanaka が使われていた。

彼は「私は生涯世界中を旅して遊んで暮らす事も可能であるが 目的があるから・・・」とか

それは 学校を作り子供に教育をうけさせることである・・・と夢を語ってくれたが

相当考え方が 右か左に寄り過ぎている感じであった。

ユーモァーは全く無い・・・これは観光客にはつまらない。

確かに彼は優秀なガイドらしく 

日本の安倍首相夫妻がエジプトを訪問した際の専任ガイドをしたとか

その時のガイドが我々のガイドであるのは ラッキー? かな?

彼は優秀すぎるのか、説明するのに 歴史の資料より 

自分の歴史観を 我々に強く押し付けられる・・・これは少々いただけないものがあった。

我々には歴史とか年代等を完璧に事細かく説明されるより 

観光客を楽しませてくれる配慮の方が有り難い・・・と つくずく思う旅であった。

因みに 彼はキリスト教である。


カーペットスクール

2009-06-27 | 日常

 ホテルへ向かう途中 カーペットスクールへ寄った。

スクールと言うからには 何か絨毯の勉強をする所だと思っていたが

入口から入るとそれ程明るくない、ひろ~いコンクリートの土間のあちこちに絨毯織り機が置かれており

少女達が一つの織り機に2人づつ座って絨毯を織っていた。

確かに絨毯を織るのはどこの国でも指の細い若い女性が適していると言うが

それにしても10歳~15歳くらいの少女達ばかりである。

1台の機織り機の少女は あまりにも幼さそうであったから 

歳を聞いたら何と5歳とのこと 幼稚園の年齢である。

幼稚園や小学校へ行くことも無く ここで働いているのである。

まだ 始めてから間もないのか太い糸で一生懸命織っていたが あまりの幼さに可哀そうになる。

普通なら やんちゃを言って親に甘えている年齢である。

一人前に織れるようになれば何がしかの給料がもらえると思うが

幼い子は ここに来ればお昼ご飯が食べさせてもらえるから・・・とか

お昼ご飯の時間以外は朝から晩まで絨毯織りをしているわけである。

途上国を旅していると形は違えど この様な光景はよく目にするが 胸が痛む。

案内された二階は 彼女達が織った絨毯の販売所であった。



階段ピラミッド

2009-06-26 | 日常
 世界最古のピラミッド 階段ピラミッドの見学である。

この近くに 吉村作治先生の発掘現場があるとか それは見学コースに入っていない。

エジプトでも吉村先生は大変有名人のようである。

15年前彼の住まいと言う ルクソール西岸にある大きな屋敷をバスから見たのを思い出した。

階段ピラミッドは 今回の旅の大きな目的の一つでもある。 

気分は ヤッホー~・・ この日を楽しみにしていた。

バスを降りて歩きだしたら雲行きが怪しい しかし ここは砂漠 雨の心配は無用・・・

と思いきや ポツンポツンがだんだん多くなりザーザー降りの雨である。

雨宿りをする所も無くバスに戻るには遠い 濡れネズミである。

現地の人たちにとっては恵みの雨、涼しい顔であるが 我々観光客には泣き出したい心境である。

濡れながら 雨でかすんでいる階段ピラミッドを濡れるカメラをかばいながら 

何枚か写真を撮ったが 何れの写真もいまいちのばかりであった。

砂漠での雨 稀有の幸運と思う事にしましょう。

屈折ピラミッド、赤 黒ピラミッド

2009-06-25 | 日常

 霞んだ様な中をバスを走らせて 屈折ピラミッドと

赤のピラミッド、黒のピラミッドの見学である。

屈折ピラミッドは ピラミッドの真ん中辺から 斜面の傾斜の角度が違うからその名前が?

赤と黒のピラミッドは造られている石の色からそう名前を付けた様である。

ラクダに乗った警官がウロウロしていて 近くからその姿を入れて写真を撮ろうとすると

ノー! ノー! と言うがどうもチップ(モデル料)が欲しい様である。

遠巻きに ピラミッドを撮るふりをして チャッカリ撮らせてもらった。

クフ王のピラミッドとアプシンベルで 痛かった足の事をすっかり忘れ

ここでまた 赤のピラミッドにもぐったのである。

クフ王の時は入口から登りであるが ここは 入口の穴から傾斜を下るのである。

いきはよいよいルンルンであるが 帰りは登らなければ出られない、又足が痛くなる。

懲りないで何回でも同じことを繰り返す おバカさんである。

(屈折ピラミッド)



エジプトの豚

2009-06-24 | 日常

 エジプトは郊外へ出ると 何処もここもゴミだらけである。

何故ゴミをこんなに捨てるの? とガイドに聞いたら

昔は 家のゴミを売っていた・・・とのこと

(日本でも落語に「屑い~・・おはらい~・・・」と屑屋が出てくるから同じである)

でも お金持ちは 我が家はゴミなんか売らないわ・・・と表にぽいぽい捨てる。

「家の前のゴミはお金持ちの象徴のようなもの、その名残です」とガイドの言葉。

ビニール袋、レジ袋、ペットボトルが吹きだまりには足の踏み場もないほど捨ててある。

ドイツがそのゴミに目を付けて ゴミを買いたい・・・と言って来たが

その話はまとまらなかった・・・とも言っていた。

カイロの街の残飯は郊外の山の麓で飼っている豚に食べさせている・・・とか

「ええっ イスラムの国でその豚はどうするの?」と尋ねたら

エジプトにあるアメリカの基地に納めているとか???

「じゃぁ アメリカ人はエジプトの残飯を召しあがっている・・・って事ですね?」に

ガイドは首を縦にも横にも振らなかった。


ラムセス二世の巨像

2009-06-23 | 日常

 霞んだ様な カイロの朝である。

今朝もアザーンの声は聞こえない。ルクソールのホテルでは一朝聞こえたが・・・

だんだん厳しいイスラムの教義色が若者達の間では薄れているのかな?

朝一の観光は アラバスター製(アラバスターとは雪花石膏で光を通す石)

のスフィンクスと ラムセス2世の巨像である。

このラムセスの巨像は建物の中に仰向け? 寝姿? 状態で2階の回廊から見下ろして見る。

その ラムセス2世の顔の美しさ ものすご~くハンサムである。

このラムセス2世の像に恋する人は多い・・・と聞くが 本当にその気持が分かるような気がする。

私もその一人かも・・・???  離れがたい場所であった。



豪華ショッピングモール

2009-06-22 | 日常

 ランチはナイル川に浮かべた船での中華料理であったが 

これが意外に美味しい 今回の旅で一番美味しいかも?

ランチの後は カイロで一番大きくて立派なショッピングモールで自由行動

10階位のビル全体がお店ばかり、真中は吹き抜けの豪華なビルである。

でも ここへ買い物に来るのはエジプトの一部のお金持ちばかりとか

「値段も街のお店の3倍です・・・」とガイド曰く

「僕はここでばかり買い物をします・・・」と言っていた(相当お金持ちらしい)

我々は地下の食品雑貨の方へ・・・何しろ広いのと品数の多いのに驚きである。

キョロキョロ見て歩き 行きつくところはいつもどこへ行っても

チーズ売り場へ、あまりにも沢山のチーズには目を瞠るばかりである。

チーズ党の娘、孫娘の為に一生懸命探すが 味が分からない、そして重いし・・・

と思いながら あれこれカートに入れたが相当な目方である。

次は スパイス売り場・・・何十種類というスパイスがズラリ

アラビア文字で表示されており 何と言うスパイスかサッパリである。

片っぱしから どでかいスプーンですくってはクンクンである。

馴染みのある匂いの物を4種類、適当に好きな量だけビニール袋に入れて値段を付けてもらった。

勝手に入れたのであるから売り場の男性に これと、これと・・・と教えると

OK!OK! 彼は全部色? か何かで分かっていた。

袋に張られたシールを見たら値段とスパイス名がアラビア文字と英語で

CARRY POWDER, FISH SPICES, TUREMERIC POWDER, CHICKEN SPICES

な~んだ 英語でもでるじゃ~ん 英語でも表示してあればクンクンしなくていいのに・・・

(このスパイス、帰ってから全部混ぜてガラス瓶に入れてカレーを作っているが お味は最高にグー)


モハメドアリモスク

2009-06-21 | 日常

 ホテル6時出発、ルクソール空港7時35分の飛行機でカイロへ 

カイロ着8時35分 迎えのバスでモハメドアリモスクへ

カイロの街が一望の高台にあるこのモスクはトルコのアヤソフィアを模して作ったとの事である。

トルコのアヤソフィァは3回見た、このモハメドモスクは2回目であるから

中はさらっと見て表に出た。 

物売りの若者達大勢にとりかこまれてしまった。

民芸品のパピルス、香水瓶、冷蔵庫にくっ付けるマグネット等など千円!千円!のオンパレードである。

相変わらずパピルスは10枚千円、20枚千円、30枚千円・・・ 

またもや 夫はとうとう根負けして買う羽目に 千円ならまぁいいか~・・・と私

売れた青年の嬉しそうな笑顔は 千円には変えられないものがあった。

絶対買わないつもりが これこそ 本当の が ら く た である。

(そのパピルスは30枚そっくりそのまま 今に至ってテーブルの上に鎮座している有様、
 ご希望の方には差し上げま~す)