まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

ヌビア人とファルーカ

2009-05-31 | 日常

 ナイル川の上流のヌビア地方では アフリカンのイメージの強い色黒の人が多い。

彼等は独自の言葉、文化を守ってきたヌビア人で 温厚で人なつっこい性格である。 

アスワンのファルーカ(帆船)の漕ぎ手もヌビア人が多い。

我々もファルーカに乗り ナイル川の中にある島のホテルへ向かう。

ホテルまでは1時間かかるとか・・・

船には 漕ぎ手ともう一人の男性が乗っている。

船が動き出すとナイルの風が心地良く 爽やか~! 気持いい~! 昼寝でもしたい感じである。

現地ガイドが男性を指差し「この男は有名な音楽家である・・・」と

だったら 聴かせてくれ~~~! と言うと やわら直径40cmk位の太鼓を取りだした。

太鼓はタンバリンの様なもので 顔の前で両手で持ち両手の中指、薬指を器用に動かして

リズミカルに演奏しながら歌ってくれた。

我々ものせられて 狭い船の上で彼の太鼓に合わせ お尻を突き出して踊る

ヌビアの踊り? そして彼の演奏する日本の歌を歌ったりして楽しんだ。

彼の熱演に チップ! チップ! と全員がなにがしかのお金を渡した。

が、が、が、彼が やわら風呂敷包みらしきものを広げた。

風呂敷の中は 貝や水牛の骨、角、ビーズ等で出来たネックレスやブレスレットがごっそり・・・

なんと 商売が始まったのである。

誰ものせられてご機嫌のところであり 財布の紐が緩みっぱなし

欲しくもないのについつい気分で買いまくった次第である。

上手く時間の調整が出来ており 買物が終わった時 島のホテルへ着いた。

何のことはない 10分か15分の所を た の し ま せ て??  くれたのである。

日本人の お人好しを ここでも体験。 

(ナイルに浮かぶファルーカ)





砂漠の砂

2009-05-29 | 日常

 早朝 アプシンベル神殿にて日の出観賞があったが キャンセル

昨日 アプシンベル神殿へ昼間の観光、夜の音と光のショーに行ったり来たりで 

ピラミッドで痛めた足が 文句を言いだしたからである。

今日も昨日と同じで また コンボイ連隊 での出発である.


昨晩夜行バスでアプシンベルへ来て 朝一番で神殿を見学して すぐに折り返すのは欧米人ばかり

その上 大きな体格で バスもびっしり満杯状態、欧米人のタフさには驚きである。

連隊を組んで9時出発予定が アタフタ欧米連隊が時間に間に合わず少し遅れての出発

今日は最後尾では無く 警官も乗らず前の方であった。

いつしか 連隊もバラバラになりそれぞれの観光場所へと・・・

砂漠道路を走っている時 キレイに蜃気楼が見えた。

本当にヤシの木と水をたたえたオアシスがあるように見える。

食べ物も水も無くなった 砂漠の旅人 が水を求めてオアシスと思って這って行く

姿を映画か何かで見たことがあるが 気持ちが分かるような気がする。

本当に水がキラキラ輝いて 水があるように見えるから不思議である。

途中で サハラ砂漠のサラサラしたきれいな砂を記念に拾う。

この砂で 砂時計を作ったら・・・・と思う。

我が家には サハラ砂漠でも モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、

エチオピア、スーダン、マリ、そしてイエメン、サウジアラビア、

タクラマカン砂漠、メキシコ・カンクンビーチの砂等々がある。

サハラ砂漠の砂も国によって 色が違うのが面白い。

小さな瓶に入れて棚に並べているが 砂のコレクションである。

(写真はその極一部)




ラムセス二世

2009-05-25 | 日常


 アプシンベル神殿を見ると 何処もここもラムセス、ラムセス、である。

彼は如何に自己顕示欲が強い王であったかが容易に想像できる。

アプシンベル大神殿はラムセス二世、隣の小神殿はハトホル女神を祀ったもので

これはファラオ(ラムセス二世)の妻 ネフェルタリ王妃のために建立されたものである。

何れの神殿も内部の柱、壁画は素晴らしく見事なものであるが 撮影禁止 残念!

隠れて撮るのは不可能である。万が一撮って見つかればフイルム没収、

デジカメは全部を消されてしまうとか・・・

盗み撮りしたい気持ちをぐっと堪えての見学であった。

夜はライトアップされた神殿で音と光のショーを見学。

丁度その日は 日本語の日 ラッキーであった。

大小の神殿をスクリーンに見立て音と光で幻想的なショーを展開 

声は日本の有名な俳優さんの様であるが誰だかは???

外人さん達はガイディングシステムで英語で聞いているみたいであった。

昨日か 明日だったら 我々がガイディングで日本語を聞く・・・今日で良かった!


アプシンベル神殿

2009-05-23 | 日常
 
 今回の旅の一番の目的が アプシンベル神殿 である。

15年前は アプシンベル見学の分トルコのイスタンブール観光のコースに参加したため

アプシンベル神殿は見ていない。

それで今回の旅は これが目的・・・と言ってもいい。

アスワンダム建設で水没してしまうのをイギリス、フランス、ドイツ、等の国々(日本は入っていない)

が 資金 技術を供与して一大移設計画となったのである。

1036個に切断され 元の所から60m高い場所に移設されたわけであるが

それは 想像を絶する大変な事業であった様である。

その様なわけなのかアプシンベル神殿は 世界遺産第1号 でもある。

アプシンベル大神殿、小神殿共に説明されて気づくくらい 移設の為に切断されたところが

分からない位にきれいに復元されている。 すごーい!

2月20日のラムセスの誕生日と10月20日(確か即位した日)は 

東から昇った太陽の光が アプシンベル大神殿の一番奥の至聖所の

20cm四方のラムセスの顔を照らすように設計されている。

凄い設計である。 しかし 元の場所から移設した時に少しずれてしまい

今は パッチリ正確に顔に光が当たらなくなった・・・・とのことであった。

2月か10月のその日に来て自分の目で確かめてみては如何?

アプシンベルのホテル

2009-05-21 | 日常
 ナイル川に面したリゾート感漂うコテージ風のオシャレなホテルである。

キラキラ水面が輝いたきれいなプール 気温は40度、飛び込みたい心境である(実はカナズチ)

ホテルの敷地は色とりどりのハイビスカスとブーゲンビリア、香りのいいプリメシアの

花がいたる所に咲いている。

こんな所で の~~~んびり過ごせたらいいな~・・・とうっとりしてしまう。

ランチの後は お昼休み 部屋は傾き始めた太陽が照りつけるから カーテンを引きっぱなし

外は暑いし お昼寝の習慣がない者には苦痛の時間である。

夫は隣の部屋「隣は何をする人ぞ・・・」を地でいっているようなものである。

トランクをゴソゴソしたり 絵ハガキを書いて過ごす。

午後4時20分行動開始 アプシンベル神殿見学に出発。


コンボイ連隊

2009-05-19 | 日常


 アスワンを出発する時は 観光バス全部がそろって出発である。

この出発時間に 遅れたバスは夜中に発つ時間まで待つか 明日の同じ時間まで待つことになる。

バスはその日によるが 20~30台が 数珠つなぎでバスとバスの間には他の車を入れない。

連隊を組んで移動、まるでコンボイ連隊である。

これは テロ予防、テロを警戒してのことである。

アスワンからアプシンベルまでは260km 約3時間の道のり

先頭のバスと 最後尾のバスと真ん中辺のバスに銃を持った警官が乗り込んで移動する。

最後尾のバスは 一番乗車人数の少ないバス と言う決まりで 我々のバスが最後尾であった。

観光立国にとってお客さんに何かあれば国の一大事である。

何処へ行っても警察ばかり目につくのはこのためである。

我々のバスに乗り込んだ 厳めしい警官は最前列にポツンと座り 退屈そのもの

ガイド曰く「間もなく居眠りをしますよ、彼等はいつもバスでは寝ています・・・」と

「今回はバスがガラガラですが 満席の時は 私は枕です・・・・」とガイドの言。

バスが走り出して暫くすると コックリコックリ始まり そのうちグッスリであった。

やっぱり ガイドの言った通りである。 どの警官も同じであるようだ。

何とも 楽な仕事である。

警官が目が覚めた頃 アプシンベルのホテルに到着した。



未完のオベリスク

2009-05-17 | 日常
 アスワンには花崗岩の岩山あり 石を切りだす石切り場がある。

ここの石切り場には 切りかけのオベリスクがある。

その大きさたるや凄い 長さは41m 重さは1170t これが完成すれば

世界で一番長く 世界で一番大きな オベリスクになるはずであった。

だが 切りだしている途中にひび割れがして 途中で諦めてしまった様である。

しかし ひび割れが簡単に出来るような細いものでは無い。

このオベリスク 完成してもあまりの大きさ、重さで運び出せない・・・

そこで わざとひびをいれ 王にあきらめさせたのでは? と言う説もある。

この巨大なオベリスクを造らせたのは誰か? 気になるところであるが

この様な凄いことをさせる人物は ラムセス二世であろう・・・・。


イシス神殿

2009-05-15 | 日常

 アスワンにあるイシス神殿の観光である。

イシス神殿は島にあるためボートで島に渡る。

ボートから降りて傾斜面を上ると 列柱と神殿を見た時驚いた、

それは 4か月前スーダンで見た ナカ遺跡の神殿と同じ形である。

スーダンのナカ遺跡の壁画のレリーフを見た時 エジプトとそっくり・・・

と見たが 今度は逆である。

地図で見ればアスワンとスーダンはすぐ傍である。

国境の無い時代の事 当たり前と言えば当たり前である。

「ナイルの真珠」と呼ばれる美しいイシス神殿は古代エジプトにおいて

フィラエ島は聖なる島とされていた。

イシス神殿は死者の保護者とされるイシス女神とその夫で冥界の神オシリス

そして息子のホルス神を祀っている。

列柱室はローマ時代にキリスト教の教会として使われていた。

キリスト教徒がこの神殿を使っていた名残としてコプト十字が各所で見られた。

また 古代エジプトのレリーフがあちこちで削り取られたりしている。

これは イスラム教の偶像崇拝禁止のせいであろう。

アスワンダムの影響でフェィラ島は水没の為 フェイラ島から近くのアギルキア島に解体移築されたが

島の形までフェィラ島に似せての移築であった・・・とのことである。

レリーフの美しさは目を瞠るばかりであった。

ナセル湖

2009-05-13 | 日常

 アスワン空港に着いたのは午前6時20分 今日の観光の始まりである。

ここでも大きな45人乗りのバスに我々たった9人のお客様である。

まずアスワン・ハイ・ダム、ナセル湖、ナイル川の見学をする。

我々のエジプト旅行を案内してくれるガイドは、カイロ大学出のバリバリの男性

このガイドについては また後ほどにして・・・

ナセル湖はエジプト南部からスーダン北部にある人造湖である。

長さ550km 面積5250k㎡

古いアスワンダムはアスワン・ロウ・ダムともよばれ 1901年に完成した。

アスワン・ハイ・ダムはアスワンダムの6.4km上流に建設され1970年に完成

当時のエジプトのナセル大統領がソ連の支援を受けて 国家的事業として計画された。

高さ111m 全長3600m の巨大ロックフィルダムである。

アスワン・ハイ・ダムの巨大な貯水湖、ナセル湖の名は

ガマール・アブドウン=ナーセル大統領の功績をたたえ、彼の名前が付けられた。

そして ダムのそばに彼をたたえてモダンな記念のモニュメントが建てられていた。




夜 活動するエジプト

2009-05-11 | 日常
 午前2時モーニングコール、ホテルを3時出発

寝つく前に起こされた感じである。

エジプトには夜がない、エジプト人は夜活動するのである。

日中は気温が高く暑いので 飛行機も夜中とか早朝に発着するのである。

朝ご飯はボックス弁当、空港の待ち合い所でbreakfastである。

その 朝食の量が凄い チーズをサンドした大きなフランスパン、

大きなバナナ1本、丸ごとリンゴ1個、ジュース、ミネラルウォターその他いろいろ・・・

こんな早い時間にとても食べる気にはなれない。

かと言って食べるかどうか分からないのに持ち歩くのも考えものである。


エジプトのトイレはホテル以外は必ずと言っていい位チップがいる。(レストランでも)

空港のトイレも同じである。

トイレの入口におばさんがいてチップと引き換えにぺたぺたと畳んだ50cmくらいの長さのトイレットペーパーをくれる。

おばさんは(私よりズーッと若い)このチップが稼ぎである。

このおばさんに 夫と2人分の朝ご飯の入った袋の中を見せ「食べないか?」 と聞いたら

「私には5人の子供がいるからとても有り難い・・・」と大喜びであった。

一流ホテルの弁当 普通の人はまず口に出来ないから 尚更であろう。

その喜び様は大変なものであった。

持て余した 弁当でこんなに喜んでくれるとは・・・

こちらも嬉しくなり 日本のキャンディまでプレゼントした次第である。

明るくなりかけた朝5時の国内線でアスワンに向かう。