まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

未婚・既婚

2010-03-21 | 日常

 インド人女性は未婚か、既婚か一目でわかる。

これは便利で色々都合がいいのでは? と日本人的考え

何故分かるかって? それは女性は髪の毛を額の真ん中で分け後ろでキッチリ束ねている。

既婚女性はその額の分け目の少し上に赤くティラカを塗っている。これがティカと言うと思うが・・・

ガイドさんの説明が曖昧でティラカとビンディーの区別がよくわからない。

ガイドさんはビンディーは額に貼るシール状の物で赤く付けるのはビンディーではないと・・・

豪華に着飾った時、髪の分け目から額にかけて飾る宝石をビンディーとも言うし・・・?

ティラカは硫化水素を含む赤い顔料、スィンドゥールと言う物とか

我々が寺院などへ行き お賽銭を入れるとバラモンのお坊さんが額に赤いものを付けてくれる。

これが 本当のティラカだと思うが・・・?

以前南インドの旅で 旅友と2人で飛び入りで結婚式に参加したことがあった。 

花嫁のお母さんが 我々珍客を大変喜んで迎え入れてくれ 

これは娘の友人、こちらは大学の恩師・・・・と沢山の人を紹介してくれた。

帰り際に 日本の引き出物にあたる大きな包みを渡され・・・辞退しきれず頂戴した。

その中に スプーン1杯位の赤い粉が・・・その時は何だか分からずじまいであったが

今回 ガイドさんにその話をしたら練って額に付けるティラカだと・・・

お祝いの時の品に添えるのが習慣とか・・・そうだったのか~と何年も経ってから分かった。

その時の引き出物の品は ご飯茶わん大のガラス鉢の5客セットであったが

割れもののため日本へ持ち帰ることは無理、ドライバーさんに差し上げ大変喜ばれた。

日本にも江戸時代に 既婚の女性はお歯黒をつけるという習慣があったが

インドはそれが その様な形で残っている・・・ということかな?





ジャイナ教

2010-03-20 | 日常
 インドにはジャイナ教というインドだけにある宗教がある。

仏教の開祖お釈迦様と同時代にマハーヴィーラを祖師と仰ぎ、不殺生の誓戒を厳守し

徹底した苦行・禁欲主義を持って知られるインドの宗教。ジナ教とも呼ばれる。

人口の0.5パーセントにも満たないが商業関係の職業に従事し

商才にたけたジャイナ商人は有名である。

このジャイナ教の人達は ベジタリアンもベジタリアン 極めつけである。

土の中から収穫されるもの(玉ねぎ、人参、芋類、大根、ピーナッツ等々)は絶対口にしない。

肉、魚はおろか バター、チーズ、玉子、も食べない徹底したものである。

したがって農業をしている人はいない。

何故か? と言えば土を耕す時 虫 を殺すかもしれないから・・・・

ジャイナ教のお坊さんは裸で一糸纏わずのスタイル(この宗教の御本尊様は男性の裸スタイル)で

口には紙を当て(口に虫が飛び込んで死なないように)手には箒を持ち

自分の歩くところを掃いては歩く(虫を踏んで殺すことがないように)というわけである。

移動中のバスから チラッとではあったがその裸スタイルのお坊さんを見た。

この宗教は南インド方面に信者が多く 以前のインド旅行の時 

ムンバイでジャイナ教の寺院を観光したが半端じゃない立派なものであった。

お参りのご婦人方のサリーそして装飾品が凄い! 見るからに お金持ち~・・・がわかる。

ジャイナ教の人達の職業は先にも書いたが商業関係 

例えば 銀行関係、鉄鋼、宝石関係等の経営者が多いと聞いた。

お金持ちばかりであるから寺院への寄進も凄い・・・ということである。

サリーのご婦人方は限られた野菜だけの食事でも肌は美しいし、元気だし・・・

我々は何でもかんでも口に入れてしまうばっかりに身体を悪くしているのかな???


ベジタリアン

2010-03-19 | 日常
 インド人にはベジタリアンが非常に多い。(80パーセントと聞いたことがある)

ガイドのグブタさんも相当なるベジタリアンである。

肉、魚貝類、玉子、ニンニクは絶対口にしない。

彼に日本からのせんべいやクッキーをさしあげると材料を厳しく尋ねる。
(柿の種は好評である)

クッキーは玉子が使ってあるから絶対食べない。

彼曰く 以前玉子は入っていないといわれ食べたら 途端に腹痛をおこし3日間苦しんだ・・・と

彼のお父さんはニンニクは勿論 ネギ、玉ねぎも食べない、

彼は ガイドをするようになってから玉ねぎだけは食べるようになった・・・・と言っていた。

日本に来たら? の質問に食べる物に困るから行けない・・・と言った??

野菜料理があるのに・・・?と思うが 彼が言うには野菜料理をするお鍋は

肉や魚を料理したことがあるだろうから・・・とのこと 

お鍋持参で来たら? と言うより仕方ない、徹底も極めつけ口あんぐりである。

インドで食べる肉はチキンやマトンであるが その肉も食べない人が大半、

我々がランチをとった店は ″ベジタリアン専門レストラン″の看板があり

肉、魚類は一切扱わないし厳格なベジタリアンが経営している店と言うことである。

盛り付けはどう贔屓目に見てもキレイとは言えないが

ベジタリアンカレーの美味しいこと、限られた野菜とカレースパイスだけで

どうしてこんなにいい味が出せるのか??・・・不思議である。

何しろ 美味しい の一言である。

日本へ帰る時 必ずカレースパイスを買って帰るぞー・・・。



サーンカーシャ

2010-03-18 | 日常

 今日は今回の旅の行程で一番長い移動、約450キロの距離です。

アグラまでのガタガタ道を4WD車ならともかく ボロバスで走るわけだから想像を超えた凄さである。

出発にあたり心の準備も必要と言えよう。

が そこは旅の達人の集まり、やわな人は一人もいない。

途中ドライブインや青空トイレ休憩をとりながら走りに走りランチは午後2時ごろになった。

ランチはドライブイン風のレストランでベジタリアンカレー、これが美味しい。

お釈迦様の天界降臨伝説が残るサーンカーシャに寄る。

サーンカーシャはインド8大仏蹟の一つであり、マーヤ夫人の伝説がん残っているところです。

マーヤ夫人はシッタールタ(後のお釈迦様)出産後7日で亡くなり 

シッタールタは実母を知らず育ちました。

仏陀として悟りを開いたのち、ある時祇園精舎よりマーヤ夫人に説法をするため

天界、三十三天へ昇ったというお話がある。

天界で マーヤ夫人に説法をした後 地上に再び降り立った場所がここサーンカーシャと伝えられている。

小高い丘の上にはヒンズー寺院がありビシャールデビとハヌマンが祀られていた。

菩提樹の木には沢山のオウム? 大きいインコ? がいた。 

鳥が大好きな娘や孫娘に捕まえて持ち帰りたいくらいであった。




ラクナウのホテル

2010-03-17 | 日常

 ウッタル・ブラデーシュ州の州都ラクナウへ着いたのは薄暗くなってからであった。

人口500万人の大都会 渋滞に巻き込まれホテルへなかなか着かない

やっと着いたホテルは豪華な5つ星のホテルであった。

外資系のホテルはチエックが厳しくロビーに入る時 荷物始め人間様もX線検査

疲れてやっと辿り着いたというのに・・・・

何やら 些細なもので引っかかり厳しいチェックを受けたお仲間の男性はブーブーであった。

流石 高級ホテル、ご婦人のお客さんのサリーが違う、もの凄く豪華、結婚式でもあるのかな?

チョッとオシャレをしてディナーに行く。

サラダの盛り付けの美しさにビックリする。

明日は早い出発、早めにベットに入ったが夜10時頃けたたましい音にビックリ

窓から覗くとホテルの敷地の先のビルとビルの間を白い馬に乗った花婿らしき姿がチラッと見えた。

結婚式の行列である。

飛び出して行って見たいのはやまやまであるが パジャマスタイルではどうしようもない。

楽隊の音楽だけはうるさいく聴こえるが人間様はチラッ、チラッとしか見えないが

大勢な人が行列している様子は窺われる。 

あぁ~見たかったな~・・・の気持。

ナマの楽隊か音楽車(手っとり早く言えば 街宣車の人力の車)か

分からないがインドでは 何しろもの凄いボリュームがお好きなようである。

それを うるさい! と文句も言う人もなく寛大である。

日本だったら苦情の雨で えらいこっちゃ~・・・ でしょうね。 

インドの動物

2010-03-16 | 日常

 サヘート、マヘートを見学して歩いていた時1匹の犬と視線が合ったと思ったら

呼んだわけでもないのに 犬はトコトコ近寄ってきてチョコンと座った。

せっかく来てくれたのに何もあげる物がない、ポケットにあるのは飴玉1つ

飴玉では仕方ないと思ったが 紙を取り差し出すと怪訝な顔をして

くちに入れたがポロリと口から出してしまった。

食べたことがなく、どうも口に合わなかったみたいである。

それにしても 眼差しなどから何か不思議を感じる犬である。

犬に手を振って別れたがいつまでもチョコンと座ったままでいつまでこちらを見ていた。

前世は人間、それも身近な人だったのでは? と思う。

犬といえば 何処へいっても野良犬が沢山いるが犬同士で喧嘩したり

鳴き合ったりしたところを1度も見たことがない。

犬ばかりではない、ヤギ、牛、時には猿もいるが鳴き声を聞いたことがない。

そういえば 子供や赤ちゃんの鳴き声もたったの1度も聴いていない。

不思議に思い ガイドさんに聞いたらΓストレスがないから・・・、赤ちゃんはお母さんが

しっかり肌にくっ付けているから 満足している・・」とのこと。

今は稲の刈り入れの季節であるが 稲が畔道の脇1列が刈り残してある。

それは 野良牛や野良ヤギの為らしい、

また 街中では朝ご飯の残りは野良牛に、夕ご飯の残りは野良犬や野良山羊に・・・とか

追われたり、叩かれたりしたことのない動物たちは何処で見てものんびりして幸せそうである。

生き物への優しさを痛いほど感じるインドである。





サヘート(祇園精舎)

2010-03-15 | 日常

 今日の観光は スダッタ長者が金を敷きつめてその分の土地を王様からもらい

お釈迦様に寄進したサヘートへ・・・

ここはお釈迦様が25年住んでいた所で、樹齢2500年の菩提樹の木がある。

お釈迦様は多くの雨季を過ごし雨安居の説法を25年続けたとか

関西大の網干氏が発掘した遺跡でもあり、我々も焼き物の破片を拾った。

Γこの破片はお釈迦様の茶碗だったんだよ~・・・」なんて遥か昔に夢を馳せる。

赤土のこの焼き物 いくら洗っても色が落ちる?? 

赤土の色が落ちなくなった頃はきっと土器片は消えて無くなるでしょう。

これで思い出したことがある。

シルクロードからクンジュラブ峠を越えパキスタンへの旅の時

カラクリ湖のほとりでお仲間の1人が土の中から発掘したと思われる高さ10センチ位の仏像を買った。

その方は潔癖症の方でしたからフンザのホテルに着き 汚れを落そうと

洗ったら??? 仏様が消えてしまったのだ。

何と 仏様は型?に入れてそれらしく作った泥人形だったのである。巧みな騙しである。

″消えた仏様″ と大笑いした思い出がある。

ここの土器は高温で焼く技術のない時代の野焼きだろうから仕方ない。

お釈迦様の茶碗で 珍味入れ? お香を焚く容器? 夢は膨らむ。


バスで少し移動して 祇園精舎の鐘を見たが

平家物語のΓ祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・・」と聴くから

祇園精舎・サヘートには鐘があるものと 思っていたがそうではなかった。

後々 京都のΓ祇園精舎の鐘の会」と云う団体が寄進した鐘であった。

お仲間と鐘を交代で撞いたが?? 何だか意味の分からない鐘撞きであった。





インドの床屋

2010-03-14 | 日常
 
 民家とは反対の方には 道端に小さな小屋が2~3軒?? 何だろう? と行っててみたら

床屋さんであった。

1軒?の広さは1.5メートル四方の3方が簡単に囲われており

真中に木の椅子が1つ 前に霞んだような小さな鏡が掛けてあり 

鏡の前の小さい棚には 何やらクリームのようなもの、瓶に入ったものが置いてある。

丁度お客さんが来たのでその様子を眺めさせてもらった。

泡立てた石鹸を塗り髭をそり始めた、隣の小屋を覗くと散髪をしていた。

髭を剃ってもらうと10ルピー(20円)散髪は30ルピーとか50ルピーとか言っていた。

この国の人は自分で髭を剃ることはしない、剃ってもらうんだとガイドさん。

何しろ自分の剃刀を持っていないとか

それもそのはず さっき訪問した家の中はな~んにもなかったのだから・・・

ネパールに行った時 ここよりは少しマシかな? の床屋で夫が散髪してもらったことがあった。

と言っても 夫は丸刈り簡単と言えば簡単

しかしそこは外国からのお客さま 扱いがメチャ丁寧、何時までも頭をいじる。

フィニッシュ! フィニッシュ!と言ってもなかなか終わらない

何やらわけのわからないものを塗りたくってくれたり 白い粉を付けたりで頭じゅう真っ白・・・

お会計は言われるままに支払ったが 後でガイドさんに聞き10倍の値段だったことが分かった。

日本の感覚からすれば10倍の料金でもメチャクチャ安い・・・

面白い体験であった。

今回も・・・と思ったが時間がなくあきらめた。

そうそう 床屋さんといえば ドバイのホテルで床屋さんに入ったこともあった。







田舎の民家

2010-03-13 | 日常

マハラジャの屋敷でのランチの跡はひたすら走ってシュラバスティへ

ど田舎の道端にポツンと建っている3階建てのまあまあ立派なホテルである。

早目に着いたホテルの窓からの眺めは の~んびりそのもの 長閑!長閑!

翌朝 出発前にホテルから出て近くを散策する。

民家を覗かせてもらったが 家の中はな~んにもない。

マハラジャの住まいを見た後だけにその格差には言葉がない。

庭に乳牛が2頭繋がれていて その家の主が 乳はホテルに納めている、と身振り手振りで・・・

畑もあると家の裏へ案内してくれたが畳3帖位の広さ?にささやかに菜っ葉が作ってあった。

冬瓜のような? ウリのような物をくれると言うが、もらってもどうしようもないため

丁重にお断りした。

たいていの民家の屋根にはウリ? とうがん? かぼちゃがの蔓が這わせてあり実が生っていた。



マハラジャの屋敷

2010-03-12 | 日常
かってはマハラジャの住まいで 今はホテルになっている屋敷でランチをとる。

料理も今迄のインド料理とか日本料理とはチト違い盛り付けも味付けも大変良かった。

食事の後は屋敷の内外を見て歩いたが

とてつもなく広い屋敷 建物は勿論 家具、調度品は当時のまま・・・とのことであるが

いやはや全てが豪華である。

何しろ そのままホテルとして使っているわけであるから大きさ広さも想像するにあまりある。

そのマハラジャの生活ぶりは? とうてい我々が想像できるものではない。

かっての この家のご主人や家族の肖像画が飾ってあったが 流石マハラジャ・・・といった風格である。

各部屋の壁には トラ等の頭の剥製や毛皮が飾られており 天井からは立派なシャンデリアまで下がっていた。 

使用人だけでも何十人もいたという おそろしいばかりの生活が窺われる。

誰もが Γこんな家に住んでみた~い!」 なんて言っていたが・・・

庭には手入れされたバラや色々の花々が植えられており

屋敷の入り口のアーチ状に作られた蔓にはブルーの綺麗な花が咲いていた。 

ベネゼイラで15年生活していたという、木や植物全てを知っておられる

Oさんが 蝶豆の花 と教えてくれた。

太い蔓になっており マハラジャの時代からこの木はここにあったのかな? 

色も形もステキ、初めて見る花であった。