オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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大阪レゲエ紀行:エレメカ研究所(大阪・北区中崎町)その5(最終回)

2023年05月07日 19時40分46秒 | ロケーション

エレメカ研究所探訪記録の最終回のテーマは「リプロダクト」です。「リプロダクト」とは、通常は「複製品」の意味で使われることが多いですが、「再生」の意味でも使えるようです。エレメカ研究所には、オリジナルのままでは到底稼働が叶わないオールドゲーム機に手を加えて動作できるようにしてある機械が結構たくさんあります。例えば前々回の記事で採り上げた「コインパンチ」も、プレイフィールド部分はオリジナルのままですが、キャビネットは独自に作成されたものです。他にもおそらく、外見からはわからないけれども筐体内部でリプロダクト行われている機械もあるものと思われます。

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エレメカ研究所の最も奥には、水族館の水槽を思わせる大きな赤い箱があります。ウィンドウの上部には、「Helicopter」との銘板が取り付けてあります。

「Helicopter」の銘板が付いたゲーム機。


プレイフィールドの拡大図。中央のインストラクションには、「コインを入れますと、飛行可能ランプ(緑)が点きます。およそ50秒 / 緑ランプが点いている着地点に着地してください / 着地しますと確認ランプ(赤)が点き、しばらく / して、確認ランプ(青)が点きますと / 認定ランプが点きます / 3つ認定ランプが点きますとコインが出てきます」と書かれている。

この「Helicopter」の銘板は、セガが1968年にリリースした「Helicopter」のマーキーから持ってきたものと思われます。

Helicopter (Sega, 1968)のフライヤー。

エレメカ研究所のHelicopterは、操作するヘリコプター、ジオラマ、操作系部品までかなり手が加えられており、その違いはフライヤーの絵でもいくらかは察せられますが、Youtubeのこちらの動画を見る方がよりわかることと思います。

この動画と見比べると、エレメカ研究所の機械は殆ど原形を留めていないとさえ言えるかもしれません。しかし、なんとか動く状態で展示したいという強い思いを感じます。オリジナルのまま動けばそれが理想ではありましょうが、動かない機械をどこまで弄って構わないかは人により様々な考えがあり、最終的にはオーナーの意向に沿うものであるべきかと思います。

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コインを投入する娯楽機が黄金時代を迎えるのは1920年代の終わり頃からのことです。「ディガ―マシン(Digger machine)」と呼ばれるクレーンゲームは、その中でも早くから登場していました。エレメカ研究所には、おそらく1930年代のものと思われるアメリカ製の古いディガーマシンがあります。

エレメカ研究所のディガ―マシン。「今の『UFOキャッチャー』の元祖」との説明がある。

ただしこの機械は、オリジナルから機構部分のみを取り出し、その動作を見ることができるようにしてあるもので、実際に菓子類を掴み取るところまではできません。それでも、100年近く前に作られた機械が動くところを見ることができるのは大変に興味深いものです。

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もう一つ、リプロダクトを記録しておこうと思います。こちらは上記二つと違い、もはや「魔改造」の域に達していると言っても良いのではないかと思います。

エレメカ研究所の「魔改造」ゲーム機。バックグラスには「国盗りレース」とある。

バックグラスには「国盗りレース」と書いてあるので、たぶん国盗りレースと言うゲームなのだと思いますが、実はこのバックグラスは、1980年レジャックから発売された「国盗り合戦」という10円ゲーム機に使用されていた表示パネルに手を加えたものです。

「国盗り合戦(レジャック、1980)」の筐体。wikipediaより。

そして筐体は手作りで、プレイフィールドは関西精機の「ミニドライブ」を流用したものであるように見えます。

「ミニドライブ(関西精機、1958)」の筐体。ただしミニドライブは何度かリメイクされており、「国盗りレース」のベースとなっているのは別のバージョンかもしれない。

「国盗りレース」の筐体には、「最右・左からの切り返しはは一旦車を真っすぐにしてください」とイラスト入りの説明書きが張り付けてありました。しかし、ワタシが訪問した時は調整中とのことで遊ぶことはできませんでした。この、どこから流用したのか見当が付かないハンドルでの操作感を試してみたかったのですが、残念です。それにしても、ここまで自力でやってしまうエレメカ研究所のオーナーの努力には本当に頭が下がります。

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実はエレメカ研究所は、かつて大阪駅ビルでレトロゲームを多く設置しているとして斯界では有名だったゲームセンター「ZERO」のオーナーが、ZEROを閉めた後に始めたロケだったのだそうです。

ワタシがZEROを訪れたのは2019年の春(関連記事:大阪レゲエ紀行(7・最終回)) DAY 2・その2:大阪駅前第2ビルB1「ZERO」
のことで、ZEROが無くなってしまったら「ウルトラガン」、「ホームランゲーム」、「バッティングゲーム」、「アレンジボール」などの貴重なオールドゲームはどうなってしまうのかと心配していましたが、こちらに移設され、今も健在で稼働していました。公的な機関がこれらの文化遺産を保存する気が無いとなれば、民間の篤志家の頑張りに頼るしかありません。どうぞ皆様も機会を作ってエレメカ研究所にお参りに行き、いくらかなりともお布施をいただけますようお願い申し上げて、このシリーズを終えたいと思います。

大阪レゲエ紀行:エレメカ研究所シリーズ・おわり


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2 コメント

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Unknown (tom)
2023-05-07 20:43:07
流石エレメカ研究所と名の通り、所長の研究熱心さに頭が下がる思いです。

国盗りレースは所長に伺う機会があったのでお聞きしましたところ、ご苦労して入手した思い入れのあるマシンを動くようにされているそうです。

ハンドル部分は回転しないため、お客様が力いっぱい左右に操作をすると壊れやすいとの事で、現在はゴムストップオーバーが装着されています。

私も時折来所して色々なマシンを遊んでいます。
Unknown (nazox2016)
2023-05-08 23:07:25
エレメカ研究所の店内にはゲーム機本体以外にも見るべきものがたくさんあり、何度も行きたくなりますね。お近くのtomさんが羨ましいです。

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