オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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浅草・三松館を惜しみつつ追懐する

2020年08月09日 21時50分42秒 | ロケーション
今年の1月、浅草六区にあった「三松館」が閉店するというニュースに接し、いずれ拙ブログでも取り上げなければと思っていたのですが、なかなか手を付けられないままもう閉店から半年以上も経過してしまいました。何しろ浅草の名物の一つでしたから、ウェブ上には既にたくさんの関連情報が見つかるので今さらながらなのですが、それでも一応ワタシなりの記録をとどめておこうと思います。

「三松館」とは、今や絶滅危惧種である遊技「スマートボール」と「アレンジボール」(関連記事:シリーズ絶滅種:アレンジボールを記憶に留めておこう)専門の遊技場です。開業は1948年とのことですから、70年以上の歴史を持つロケーションでした。

三松館の末期は、週末と祝日のみの営業でした。建物と遊技機の老朽化からそろそろ潮時と閉店を決められたそうです。今後建物は壊されるが、遊技機は区役所や福祉施設などに寄贈すると聞いています。その後どうなったのか追跡調査はしていませんが、多少なりとも廃棄されずに済んだ台があるならなによりです。




三松館のエントランス(上・人物はワタシの女房)と店内(下)。店内左手の壁沿いにはアレンジボールが並んで設置されていたが、故障で稼働していないものも少なからずあった。この画像は2010年に撮影したもの。




スマートボールの機械と裏側。光が透過すると美しい青いガラス製のボールは、後になって作られたものと思われる。


スマートボールの製造元の銘板。パチンコ誕生博物館(関連記事:【特報】パチンコ誕生博物館オープン(1))によれば、三葉産業は最後のスマートボール製造企業だった。


   
 
アレンジボール各種。いずれも1978年~79年頃の機械のように見える。ほとんどはさとみ(サミー)の製品だが、太陽電子の機械もわずかながらあった(最後の画像)。

ワタシがこの三松館に初めて行ったのは1990年頃だったように思います。勤め先の後輩数名と、仕事をさぼって昼間から、既に天然記念物級の希少ゲームとなっていたスマートボール(とアレンジボール)を経験しに訪れ、出た玉との交換でポラロイド写真を1枚撮ってもらいました。

大阪の「ニュースター」もそうでした(関連記事:大阪レゲエ紀行2019(1) DAY 1・午前)が、今のスマートボールは、パチンコやパチスロのように目を血走らせて熱中するようなゲームではありません。この程度なら、保護者同伴であれば18歳未満の年少者にも遊ばせても良いではないかと思われる程度の射幸性です。海外では、子供向けの娯楽として、ゲームの結果によって払い出されるチケットを貯めて景品と交換できる「リデンプションゲーム」というジャンルが存在しますが、日本でもその程度のことは許してもいいのではないかと思います。それがAM業界の守備範囲なのか、それとも4号業界の守備範囲なのかはわかりませんが、どこでもいいからそろそろ風適法を見直そうという機運が高まって欲しい関連記事:ゲーセンと法律の話(3)新概念「特定遊興飲食店」をゲーム業界に活かせないものか)ものです。