オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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プッシャーに関する思いつき話(2):日本におけるクロンプトン

2018年09月09日 18時16分02秒 | 歴史

プッシャーの歴史に首を突っ込んではみたものの、資料も情報もあまりにも少なくて難儀しております。そこで昨日、前回の記事で言及した英国のウェブサイトの有料情報のアクセス権をついに購入(費用は年間5ポンド)してしまいました。

有料エリアには、クロンプトンの創業者であるジム・クロンプトン氏によるクロンプトンの歴史全7章があり、今回はそれを解読して概要を記録しておこうと思っていたのですが、当然ながら記述は英語のため読み下しに若干苦労しており、まだ半分程度しか翻訳できておりません。そこで今回は、日本におけるクロンプトン社製品の扱われ方についていくつか述べて、お茶を濁しておこうと思います。

日本のメダルゲーム業界においても、「クロンプトン」は長い間プッシャーの代表的なメーカーでした。1970年代の前半から中ごろにかけて、英国の娯楽機メーカー数社の輸入総代理店をしていた「ジャパン・オーバーシーズ・ビジネス」と言うディストリビューターは、その取扱商品の中でもクロンプトンの「ニュー・ペニー・フォールズ」を、「メダルゲームのロールスロイス」と喩えて大きく扱っていました。


業界誌「アミューズメント産業」1973年7月号に掲載された「ジャパン・オーバーシーズ・ビジネス」社の広告。「ニュー・ペニー・フォールズ」を「ロールスロイス」と謳う宣伝は、その後クロンプトン社の日本の代理店となったsigmaにも引き継がれた。

そのジャパン・オーバーシーズ・ビジネス社は、1977年の夏ごろに不渡事故を起こしてしまいます。それが結局どのように終息したのかまではわかりませんが、クロンプトン社との輸入代理店としての繋がりは、おそらくこの機会に解消されてしまったものと思われます。

そして1979年、sigmaが米国IGT社の前身であるSIRCOMA社(関連記事:ワタクシ的ビデオポーカーの変遷(3) 米国内の動き)の日本における総輸入代理店となった時、SIRCOMA社は米国でのクロンプトンの輸入総代理店だった縁により、sigmaが日本の新たなクロンプトンの輸入総代理店になったようです。



sigmaが1980年前後頃に頒布した、クロンプトン・プッシャーのフライヤーの表と裏。三つ折りの表裏に5機種が掲載されている。スプラッシュダウン、グランドキャニオン、ペニーフォールシングルサイドが新製品とされている。ペニーフォールの紹介には、ジャパン・オーバーシーズ・ビジネスが謳っていた「ロールスロイス」の形容が継承されている。

sigmaはその後もクロンプトンのプッシャーをいろいろ輸入していましたが、2000年にアルゼ社に吸収された時、sigmaの社員の中には、アルゼ以外の会社に移ったり、自分で新たな会社を興したりする人たちも多くいました。そのうちのひとつに、おそらくはsigma時代のコネクションで始めたものと思われる、クロンプトンの製品を日本で輸入販売する会社があったのですが、それが何と言う会社で、いつ設立されたものだったかを確認できる資料が見当たりません。その会社は少なくとも一度、AOUショウかJAMMAショウに出展しているところを見ているはずなのに、全く我ながら不覚です。この社名や時期などについてご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただけますようお願い申し上げます。確か、「カジノ・ナイト(Casino Nights, 2000年)」や「ラクソー(Laxor, 2000年頃)などを扱っていたように思います。


カジノ・ナイト(上の機種)。2000年頃にクロンプトンが頒布した総合カタログより。

(つづく・次回はクロンプトン社の歴史の概要の予定)