うろ覚えライフ。

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昭和グループサウンズ

2017年03月12日 | ミュージックログ
 
 
 
 

 人気ミュージシャンのかまやつひろしさんが、2017年3月2日、病気で亡くなられました。享年78歳でした。

 
 

 かまやつひろしさんは、日本のロック、ポピュラー、ニューミュージック、Jポップなど、日本の商業音楽の発展に関係し、今のJポップを作り上げるに至った、日本商業音楽の道程に影響を与えた数多くのミュージシャンの一人でもあり、往時はヒット曲を飛ばし、デビュー当時から楽曲制作を行いシンガーソングライターの先駆けでもありました。60年代のGSブームの立役者の一人でもあります。

 
 

 昭和のGS ブームの折り、かまやつひろしさんはザ・スパイダースのメンバーでした。後の芸能事務所、田辺エージェンシーの社長、田辺昭知さんらが1961年に作って活動していたグループ、ザ・スパイダースに63年に加入し、ボーカルやコーラス、リズムギターを担当していましたし、時にはスパイダースの楽曲の制作もやってました。

 

 

 

 享年78歳のかまやつひろしさんは、1939年=昭和14年生まれで、グループの中では田辺昭知さんと共に年長の方のメンバーでした。

 
 

 また70年代の後半にTV のCM ソングから火が着いて日本でヒットした陽気で明るい曲、カナダ人女性シンガー、タニヤ・タッカーが歌った全部英語歌詞の曲、「ハロー・ミスターサンシャイン」は、実はかまやつひろしさんの作曲でした。タニヤ・タッカーのこの歌は当時はけっこうヒットしたので、後でかまやつひろしさんの曲だと知って驚きました。

 
 

 吉田拓郎さんの作詞・作曲の「我が良き友よ」は当時大ヒットしましたね。1975年のリリースか。吉田拓郎さんとかまやつひろしさんのツインボーカルのデュエット曲、「シンシア」とドーナツ盤でそのB 面曲「竜飛崎」も当時話題になりました。曲リリースは「我が良き友よ」前年の74年ですね。

 
 

 僕自身は、かまやつひろしさんはそんなに好きなミュージシャンでもなかったんだけど、僕は70年代を通して吉田拓郎さんの大ファンだったので、「シンシア」や「我が良き友よ」は興味津々でしたね。僕はこの二枚のドーナツ盤は買わなかったけど、当時の友人が持っていて友人の部屋で聴いてました。

 
 

 「我が良き友よ」の思い出というと、当時の入社した会社の同期で、同じ職場の同僚だったIK 君が、職場の飲み会で歌ってたのをよく憶えてます。当時はまだカラオケが普及する前で、みんなアカペラでみんなの手拍子で歌ってた。その前の飲み会では、僕が大好きだった沢田研二ソロのヒット曲、「危険なふたり」をアカペラで熱唱してた。懐かしいなぁ、IK 君。ふだんはそんなに仲の良い友人でもなかったけど、正月に上司の家への年始に僕を誘ってくれたりした。良いヤツだったなぁ。

 
 

 沢田研二さんは60年代後半はザ・タイガースのボーカルで、タイガースは大ヒットを幾つも飛ばしてた。60年代後半GS ブームの御三家は、ザ・スパイダースとザ・タイガースとブルーコメッツの三大バンドですね。

 
 

 60年代後半は、グループサウンズの大ブームで、とにかく若者から子供までグループサウンズに熱狂してた。30代以上の大人は眉を顰めて好もしからざる思いだったみたいだけど。良識派の大人たちから、グループサウンズとそれに熱中するファンの若者は不良、って思われてた時代。

 
 

 日本のロックバンドはそれ以前からあったけど、とにかくグループサウンズの一大熱狂ブームに火を点けたのは、1966年のビートルズの来日だな。あれを境にバンドの数が一気に増えた。ビートルズ来日前から十倍くらいに増えたんじゃないかな。

 
 

 加山雄三の大ヒットシリーズの青春映画、「エレキの若大将」のロードショー公開が65年12月だから、ビートルズ来日以前に若者にバンドブームは静かに盛り上がって来てはいたんだけど。

 
 

 子供だった僕もよく憶えてる、大晦日のNHK紅白歌合戦の裏番組の民放特番で、四時間くらいぶっ通しでたくさんのグループサウンズの演奏を流して行くライブ番組をやってた。僕はまだ小学生だったから、67年の大晦日かな?このとき、ザ・ダイナマイツが持ち歌の「トンネル天国」を歌ったんだけど、学校で、クラスメートのKT君が、ダイナマイツのことを話して、「♪ラララ トンネル抜けて~‥」と歌ってたのを印象深く憶えている。それが紅白の裏番組見た後の年が開けて三学期のクラスでの話か、それとも、当時は今と違って歌番組がいっぱいあったから、他の歌番組で見た翌日に学校で話したのか、そこまでは憶えてないけど。

 
 

 この間、TVで吉田拓郎さんが映ってて、かまやつひろしさんと大ヒット曲「我が良き友よ」の話をしていたんですが、いきさつは最初、かまやつさんが拓郎さんに「曲を作って」と頼んで、「我が良き友よ」を持って行ったら、「こういう歌は嫌だ」とかまやつさんは拒否したけど、プロデューサーに説得されて、しぶしぶレコーディングしてリリースしたら大ヒットしたんだとか。

 
 

 また一人、昭和のポピュラー音楽界を作った人の一人が逝ってしまいましたね。昭和はどんどん遠くなる。寂しいものですね。

 
 
 

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