■パンダ大震災の救援活動に関する報道だけでも、チャイナの実態が次々に明らかになっているのは、不幸中の幸いかも知れません。しかし、激甚災害が発生したからと言って、「チベット問題」が解決したわけでもありませんし、人命救助を最優先にするにしても、天災で落命するのも政府による残虐行為で殺害されるのも同じく「生存権」の問題でしょう。パンダ大震災を愛国精神の高揚と人民を団結させる手段にしてしまおうという悪巧みが着々と成功しつつあるのは恐ろしい話で、その勢いで聖火リレーは続行され、海外での宣伝活動もますます盛んなようですから、同情心に訴えられて情報操作に乗せられるのだけは御用心、御用心。
訪英中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は22日、下院議会外交委員会で中国の人権状況について証言。3月のチベット暴動後も住民の逮捕や拷問が続いていると非難するとともに、漢族の大量流入によりチベットの「文化的虐殺」が進んでいると訴えた。……「彼ら(中国当局)は人々を逮捕し、事情聴取する前に暴行などのひどい拷問を加えている」と指摘。また中国軍筋の情報として、当局は北京五輪後、100万人の漢族をチベットに新たに移住させることを計画しているとし、「意図的でないにしろ、ある種の文化的虐殺が起きている」と中国の政策を批判した。
5月23日 時事通信
■「文化的虐殺」の代表がチベット人の誇りとする言語の破壊ということになります。拙著『チベ坊』はそのチベット語自体を主人公に仕立てた変わったドキュメンタリーになっておりますが、さすがにこれほど激しい表現は書き込めませんでした。チベット仏教には優れた「言語哲学」とされる中観思想を中心とした巨大な思考体系がありますから、言語を根絶やしにされたら致命的な打撃となります。最初は商売などの日常会話が北京語になり、経済的な余裕がある家庭の子供たちは学校の初等教育で政治的な北京語を習得し、成長するに従ってチベット解放神話を刷り込まれて行く内に、自分のアイデンティティが崩壊している。
■そして、気が付けば町が漢族に占領されて看板も広告も北京語一色になってチベット語は寺院の奥でしか使われなくなり、その寺院は常に監視され何かと圧力を受ける立場にあるという具合です。チベット語の最後の牙城が仏教寺院であり僧侶たちなので、抗議行動が起こるのは決まって寺院から、という事になります。こういう恐ろしい話は日本の国会内では永久に聞けないのでしょうなあ。
チャールズ英皇太子は22日、ロンドンで訪英中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談した。会談内容は公表されていないが、チベット情勢に国際社会の注目が集まる中での会談は、皇太子がダライ・ラマへの共感を明確に示したものだ。会談は、皇太子の邸宅「クラレンスハウス」で行われ、ダライ・ラマは庭で記念植樹を行った。両者は、1991年に知り合って以来、会談を重ねてきた。皇太子は2004年、ダライ・ラマの講演録に寄せた文章で、「長年、苦難と迫害を受けてきたチベットの人々を英知と愛情で励ましてきた」と、ダライ・ラマを高く評価した。
5月23日 読売新聞
■北京の五輪大会への不参加!を欧州で最初に公言したのがチャールズ皇太子でしたなあ。映画の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』にはハーラーさんと少年のダライ・ラマ14世との交流が描かれていましたが、もしかするとダライ・ラマ法王はチベットが「解放」される前の幼少期を思い出しながら、皇太子と対話しておられるのかも知れませんなあ。日本の皇族は政治的な言動が禁じられておりますから、このような会談は望めませんが、先日の胡錦濤主席が来日した際には、天皇陛下から遠回しながら人権問題につながりそうな表現が少し聞かれたようですが……。勿論、ホイホイ首相からは何も聞こえません。
ドイツ訪問中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は16日、ドイツ西部ボーフムでの記者会見で、チベット亡命政府のシンボルである「チベット旗」に毛沢東がお墨付きを与えていた、との秘話を紹介した。……中国当局が、「チベット独立」を求める証拠として敵視するのに対し、ダライ・ラマは共産中国建国の偉人である毛沢東を引き合いに出して擁護した形だ。……中国軍のチベット進駐後の1954~55年、北京に長期滞在して毛沢東と会談を重ねた際、毛沢東はチベット旗について、「中国国旗に加え、(チベット旗も)使い続ければよい」と助言したという。
5月17日 読売新聞
■これは「秘話」ではなく、多くの歴史本に書かれている有名な事実です。御存知ない方は、法王の発言にある年号に御注目!この年を挟んで、人民解放軍のチベット侵攻後の1951年5月23日に『17条協約』と呼ばれる甘言を並べた「チベット平和解放に関する協約」が締結され後にすべての条項が破られ、1956年4月、ラサに乗りこんで来た陳毅元帥が「チベット自治区準備委員会」という悪い冗談のような組織を作ります。この期間だけは、北京政府は「基本的人権」を尊重すると言い続けておりましたなあ。ヒトラーは「条約は破るために締結するのだ!」と非常に分かり易い言葉を残しましたが……。
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訪英中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は22日、下院議会外交委員会で中国の人権状況について証言。3月のチベット暴動後も住民の逮捕や拷問が続いていると非難するとともに、漢族の大量流入によりチベットの「文化的虐殺」が進んでいると訴えた。……「彼ら(中国当局)は人々を逮捕し、事情聴取する前に暴行などのひどい拷問を加えている」と指摘。また中国軍筋の情報として、当局は北京五輪後、100万人の漢族をチベットに新たに移住させることを計画しているとし、「意図的でないにしろ、ある種の文化的虐殺が起きている」と中国の政策を批判した。
5月23日 時事通信
■「文化的虐殺」の代表がチベット人の誇りとする言語の破壊ということになります。拙著『チベ坊』はそのチベット語自体を主人公に仕立てた変わったドキュメンタリーになっておりますが、さすがにこれほど激しい表現は書き込めませんでした。チベット仏教には優れた「言語哲学」とされる中観思想を中心とした巨大な思考体系がありますから、言語を根絶やしにされたら致命的な打撃となります。最初は商売などの日常会話が北京語になり、経済的な余裕がある家庭の子供たちは学校の初等教育で政治的な北京語を習得し、成長するに従ってチベット解放神話を刷り込まれて行く内に、自分のアイデンティティが崩壊している。
■そして、気が付けば町が漢族に占領されて看板も広告も北京語一色になってチベット語は寺院の奥でしか使われなくなり、その寺院は常に監視され何かと圧力を受ける立場にあるという具合です。チベット語の最後の牙城が仏教寺院であり僧侶たちなので、抗議行動が起こるのは決まって寺院から、という事になります。こういう恐ろしい話は日本の国会内では永久に聞けないのでしょうなあ。
チャールズ英皇太子は22日、ロンドンで訪英中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談した。会談内容は公表されていないが、チベット情勢に国際社会の注目が集まる中での会談は、皇太子がダライ・ラマへの共感を明確に示したものだ。会談は、皇太子の邸宅「クラレンスハウス」で行われ、ダライ・ラマは庭で記念植樹を行った。両者は、1991年に知り合って以来、会談を重ねてきた。皇太子は2004年、ダライ・ラマの講演録に寄せた文章で、「長年、苦難と迫害を受けてきたチベットの人々を英知と愛情で励ましてきた」と、ダライ・ラマを高く評価した。
5月23日 読売新聞
■北京の五輪大会への不参加!を欧州で最初に公言したのがチャールズ皇太子でしたなあ。映画の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』にはハーラーさんと少年のダライ・ラマ14世との交流が描かれていましたが、もしかするとダライ・ラマ法王はチベットが「解放」される前の幼少期を思い出しながら、皇太子と対話しておられるのかも知れませんなあ。日本の皇族は政治的な言動が禁じられておりますから、このような会談は望めませんが、先日の胡錦濤主席が来日した際には、天皇陛下から遠回しながら人権問題につながりそうな表現が少し聞かれたようですが……。勿論、ホイホイ首相からは何も聞こえません。
ドイツ訪問中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は16日、ドイツ西部ボーフムでの記者会見で、チベット亡命政府のシンボルである「チベット旗」に毛沢東がお墨付きを与えていた、との秘話を紹介した。……中国当局が、「チベット独立」を求める証拠として敵視するのに対し、ダライ・ラマは共産中国建国の偉人である毛沢東を引き合いに出して擁護した形だ。……中国軍のチベット進駐後の1954~55年、北京に長期滞在して毛沢東と会談を重ねた際、毛沢東はチベット旗について、「中国国旗に加え、(チベット旗も)使い続ければよい」と助言したという。
5月17日 読売新聞
■これは「秘話」ではなく、多くの歴史本に書かれている有名な事実です。御存知ない方は、法王の発言にある年号に御注目!この年を挟んで、人民解放軍のチベット侵攻後の1951年5月23日に『17条協約』と呼ばれる甘言を並べた「チベット平和解放に関する協約」が締結され後にすべての条項が破られ、1956年4月、ラサに乗りこんで来た陳毅元帥が「チベット自治区準備委員会」という悪い冗談のような組織を作ります。この期間だけは、北京政府は「基本的人権」を尊重すると言い続けておりましたなあ。ヒトラーは「条約は破るために締結するのだ!」と非常に分かり易い言葉を残しましたが……。
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