……水利省の鄂竟平次官は25日、地震による土砂崩れで川がせき止められてできた「危険な状態」の地震湖が四川省だけで34カ所あり、周辺住民約70万人が危険にさらされていることを明らかにした。堤防崩壊の恐れのあるダムも69カ所あるという。
■子供達が学ぶ校舎がアレですから、人里離れた谷川に建設されたダムの中身がどうなっているのか、考えただけでもゾッとします。見た目には立派なダム設備のように見えましたが、やっぱり外側だけ真似して作った張りボテである可能性は消えません。決壊してから、ああだった、こうだったと言われても家と財産を押し流された後では何の意味もありません。学校の校舎を施工した悪徳業者を、草の根分けても探し出して復讐してやる!と呪いの声が上がっているようですが、孫受け仕事の大元が人民解放軍や共産党のエライ人と親族だったらどうしましょう?
25日の政府発表によると、地震による死者数は6万2664人で行方不明者は2万3775人。負傷者は35万8816人に上る。地震発生から26日で2週間となる。
5月25日 毎日新聞
■徐々に明らかになる道路の崩落状況を見れば、意図せずとも調査に入れない場所がたくさん有ることは想像できますし、最初から調査の対象外か結果を発表しないと決められた場所の被害は含まれていないはずです。特に、大きく動いた活断層の「西側」が調査・救援の対象外になっているのが本当に気になりますぞ!1976年に発生した唐山地震の犠牲者は「公称24万人」だそうですが、100万人近い!という声もあるそうです。共産党の発表は、大日本帝国の大本営発表よりも「正しい」のですから、地震学者や歴史学者が手や口を出す余地はございません。今回も、パンダの被害は詳しく分かっても、人民が受けた被害の全貌は永久に分からないままなのかも知れません。
25日付の中国紙・新京報は、北京五輪聖火リレーのチベット自治区通過が中心都市ラサの1日だけに短縮されると報じた。四川大地震の犠牲者追悼の3日間、リレーが中止され、五輪組織委員会が日程調整を検討していた。チベットが調整対象となったのは、独立分離感情が根強く聖火を標的にした抗議行動への警戒も理由とみられる。……チベット自治区での聖火リレーは6月19日に山南地区で、同20~21日にラサで実施される予定だった。同紙によれば、チベットで2日間短縮するほか、予備日3日間のうち1日を取り消すことで影響を最小限に抑えるという。
5月25日 時事通信
■神をも恐れぬチョモランマ登頂に、チベット人を無理やり参加させるという暴挙が、山の神々や地の神を怒らせたのだ!と多くのチベット人は心の中では思っていることでしょう。仏教を深く信仰しているチベット人ですが、もっと古くから続く山岳信仰は実に根強いものがありますから、霊峰に土足で踏み入って神々の宿る頂上に国威発揚の聖火の缶詰を運び揚げるなど、想像もできない罰当たりな所行だと思われている事でしょう。実名報道されてしまった登頂チームに参加したチベット人達には多くの縁者が居るのでしょうに?!意地になってラサ市でチョモランマに担ぎ上げた罰当たり聖火と合体させる計画を実行したら、大変な反感を呼ぶのは火を見るよりも明らかですぞ!
……四川省は水力発電ダムが特に集中しており……天然ガスの備蓄が多いことでも知られており、中国の経済成長を支える電力、エネルギーの不足は今後、地震被害が明らかになるにつれ、ますます深刻さを増すとみられ、成長率に影響を与えるのは必至との見方が強まっている。
■ダムが作れるような山奥は、有名な『三国志』にさえ登場しません。諸葛孔明が征服したのは雲南地方で、神の如き深謀遠慮の才能に恵まれた孔明でさえ、今回の大震災があった西の山岳地帯には足を踏み入れたことは無いのです。毛沢東の「長征」と自称する大逃亡劇の舞台になった事は書きましたが、今回の震源地周辺で大規模な軍事作戦を行ったのは30代のフビライだけではないでしょうか?時は1252年~1256年、モンゴル帝国第三代皇帝モンケ汗の命令で、南宋包囲作戦の一環で、大理国の攻略を命じられたフビライは、渋々?大軍を率いて甘粛省を出発し、チベットの支配地を南下して行きました。丁度、今回の震災で動いた活断層に沿うようなコースを取ったようですが、何と、大理国に到着する前に全兵力の8割を失った!と記録されております。
■馬が足を滑らせて谷底に落下する事故が頻発した上に、モンゴル高原では一度も経験したことがない湿気と熱気で体力を消耗した騎馬軍団は、次々と謎の感染症で落命!後にモンケ汗自身が南宋攻略戦に親征し、四川省で病没!したのは有名な話です。険しい峡谷に水力発電用のダムを並べて建設したのは、核兵器を開発するための大電力を得るためだったはずです。中にはオカラ工事のダムも数多いはずで、どうせチベット人や羌族の土地だからと、安全性を無視して核関連設備が作られていたことも想像できます。「蜀犬、陽に吠ゆ」と言われる曇天多雨の土地が、これから本格的な雨季とフビライ軍を苦しめた暑気の夏を迎えます。しかも、昔は無かった巨大なダムと原爆工場、その他、化学薬品を多用する工場や鉄筋が入っていない高層住宅。救われるのはパンダだけかも?『わたしは貝になりたい』ではありませんが、『我は熊猫になりたい』などという小説が書かれるかも?
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■子供達が学ぶ校舎がアレですから、人里離れた谷川に建設されたダムの中身がどうなっているのか、考えただけでもゾッとします。見た目には立派なダム設備のように見えましたが、やっぱり外側だけ真似して作った張りボテである可能性は消えません。決壊してから、ああだった、こうだったと言われても家と財産を押し流された後では何の意味もありません。学校の校舎を施工した悪徳業者を、草の根分けても探し出して復讐してやる!と呪いの声が上がっているようですが、孫受け仕事の大元が人民解放軍や共産党のエライ人と親族だったらどうしましょう?
25日の政府発表によると、地震による死者数は6万2664人で行方不明者は2万3775人。負傷者は35万8816人に上る。地震発生から26日で2週間となる。
5月25日 毎日新聞
■徐々に明らかになる道路の崩落状況を見れば、意図せずとも調査に入れない場所がたくさん有ることは想像できますし、最初から調査の対象外か結果を発表しないと決められた場所の被害は含まれていないはずです。特に、大きく動いた活断層の「西側」が調査・救援の対象外になっているのが本当に気になりますぞ!1976年に発生した唐山地震の犠牲者は「公称24万人」だそうですが、100万人近い!という声もあるそうです。共産党の発表は、大日本帝国の大本営発表よりも「正しい」のですから、地震学者や歴史学者が手や口を出す余地はございません。今回も、パンダの被害は詳しく分かっても、人民が受けた被害の全貌は永久に分からないままなのかも知れません。
25日付の中国紙・新京報は、北京五輪聖火リレーのチベット自治区通過が中心都市ラサの1日だけに短縮されると報じた。四川大地震の犠牲者追悼の3日間、リレーが中止され、五輪組織委員会が日程調整を検討していた。チベットが調整対象となったのは、独立分離感情が根強く聖火を標的にした抗議行動への警戒も理由とみられる。……チベット自治区での聖火リレーは6月19日に山南地区で、同20~21日にラサで実施される予定だった。同紙によれば、チベットで2日間短縮するほか、予備日3日間のうち1日を取り消すことで影響を最小限に抑えるという。
5月25日 時事通信
■神をも恐れぬチョモランマ登頂に、チベット人を無理やり参加させるという暴挙が、山の神々や地の神を怒らせたのだ!と多くのチベット人は心の中では思っていることでしょう。仏教を深く信仰しているチベット人ですが、もっと古くから続く山岳信仰は実に根強いものがありますから、霊峰に土足で踏み入って神々の宿る頂上に国威発揚の聖火の缶詰を運び揚げるなど、想像もできない罰当たりな所行だと思われている事でしょう。実名報道されてしまった登頂チームに参加したチベット人達には多くの縁者が居るのでしょうに?!意地になってラサ市でチョモランマに担ぎ上げた罰当たり聖火と合体させる計画を実行したら、大変な反感を呼ぶのは火を見るよりも明らかですぞ!
……四川省は水力発電ダムが特に集中しており……天然ガスの備蓄が多いことでも知られており、中国の経済成長を支える電力、エネルギーの不足は今後、地震被害が明らかになるにつれ、ますます深刻さを増すとみられ、成長率に影響を与えるのは必至との見方が強まっている。
■ダムが作れるような山奥は、有名な『三国志』にさえ登場しません。諸葛孔明が征服したのは雲南地方で、神の如き深謀遠慮の才能に恵まれた孔明でさえ、今回の大震災があった西の山岳地帯には足を踏み入れたことは無いのです。毛沢東の「長征」と自称する大逃亡劇の舞台になった事は書きましたが、今回の震源地周辺で大規模な軍事作戦を行ったのは30代のフビライだけではないでしょうか?時は1252年~1256年、モンゴル帝国第三代皇帝モンケ汗の命令で、南宋包囲作戦の一環で、大理国の攻略を命じられたフビライは、渋々?大軍を率いて甘粛省を出発し、チベットの支配地を南下して行きました。丁度、今回の震災で動いた活断層に沿うようなコースを取ったようですが、何と、大理国に到着する前に全兵力の8割を失った!と記録されております。
■馬が足を滑らせて谷底に落下する事故が頻発した上に、モンゴル高原では一度も経験したことがない湿気と熱気で体力を消耗した騎馬軍団は、次々と謎の感染症で落命!後にモンケ汗自身が南宋攻略戦に親征し、四川省で病没!したのは有名な話です。険しい峡谷に水力発電用のダムを並べて建設したのは、核兵器を開発するための大電力を得るためだったはずです。中にはオカラ工事のダムも数多いはずで、どうせチベット人や羌族の土地だからと、安全性を無視して核関連設備が作られていたことも想像できます。「蜀犬、陽に吠ゆ」と言われる曇天多雨の土地が、これから本格的な雨季とフビライ軍を苦しめた暑気の夏を迎えます。しかも、昔は無かった巨大なダムと原爆工場、その他、化学薬品を多用する工場や鉄筋が入っていない高層住宅。救われるのはパンダだけかも?『わたしは貝になりたい』ではありませんが、『我は熊猫になりたい』などという小説が書かれるかも?
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