旅限無(りょげむ)

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北京五輪の内と外 その弐百九

2008-05-06 09:50:45 | チベットもの
■古森義久氏の投稿コラムに戻りましょう。

……いかなる事情にせよ、自国の国旗をこれほど多数、これほど傍若無人に、他の主権国家の内部で振り回す国や国民が他にあるだろうか。中国の異質性や特殊性はこの光景に凝縮されている……。同様の騒ぎがあった英仏米諸国では五星紅旗は長野よりずっと控えめだった。……米国産の有害牛肉はすぐに輸入を禁じても、中国産の毒ギョーザにはなんの措置もとらない。度重なる反日デモの破壊行為で中国領内の自国関連施設が実害を受け、自国の国旗が何度も焼かれても、断固たる対応はとらない。日本のこんな対中態度は「友好」という虚ろな標語に長年、隠され、抑えられてきたゆがみの集積でもあろう。

■近代国家の「国旗」は、欧州が長年の殺し合いから生み出した道具ですから、明治以来の欧化政策で定着した「日の丸」も、戦後の反戦運動などが「侵略の象徴」に利用した影響で、「日の丸」を嫌う人があちこちで裁判沙汰を起こしては、それをマスコミが妙に熱心に報道する風習がありまして、相当に危機的状況にもなりましたが、五輪大会などの国際スポーツ大会が切っ掛けとなって、無邪気に「頑張れ、ニッポン!」の道具として復活しつつあるような印象ですなあ。

■各種の国際大会で優秀なる成績を残し、立派に「日の丸」を上げてくれる選手の中には、国歌を知らない、歌えないという若者も現われているそうですから、競技場以外で他国の旗が林立しても、あまり危機感は覚えないのかも知れません。特に、テレビ映像や報道写真を眺めている立場なら呑気に構えてもいられるのでしょう。でも、現地の長野市では、日本が乗っ取られてしまうかのような恐怖を感じた人が多かったそうですぞ。マスコミの腰が引けた報道姿勢にも問題が有ったのかも知れませんなあ。

■大量の国旗を持ち込んで、「中国、加油!」を絶叫し続けるというのは、国際親善の面から言っても、かなりのマナー違反だと思うのですが、日本側には気圧されて黙り込んでしまう下地が存在していますなあ。


いままた胡錦濤主席の来日で福田康夫首相は日中両国間には深刻な未解決案件はなにもないかのような「友好ごっこ」へと傾き、積年の虚構をただふくらませる気配をみせ始めた。世界各地での聖火リレーは国際社会に明らかに「中国とはなにか」という挑戦的な問いを突きつけた。とくに紅い旗が市内を覆った長野の情景は、「日本にとって中国とはなにか」を問いつめてくる。そこで必要となるのは、オール・ジャパンとしての体系的、政策的な中国研究だろう。国政の場での、そして官民あげての異質大国への現実的な理解や認識である。この点では米国の対応が指針となる。

■「中国とは何か?」などと大上段に振りかぶって問われても、最近の日本人は「それはパンダだ!」と答えてしまいそうで、怖いですなあ。五輪の開催地にさえなれば、五輪精神の権化として一瞬にして「スポーツと平和の聖地」に化けるのが五輪大会の特徴で、出場を目指す競技者たちも、それを利用して商売するマスコミ各社も、「北京へ!」と無邪気に煽り続けます。政治と五輪大会を切り離すとか、北京と五輪大会を別扱いするとか、綺麗事を並べても虚しいばかりであります。それを証拠立てているのが、長野市を埋め尽くそうとした五星紅旗の大群なのでしょうなあ。


米国では中国との関与を強調しながらも、その異質性や不透明性を警戒し、政府が「中国の軍事力」や「中国のWTO(世界貿易機関)規則遵守状況」の報告書を毎年、公表する。中国の人権やテロ支援についても調査結果を発表する。議会の中国の調査・研究はさらに徹底している。上下両院の外交、軍事、財務などの各委員会が随時、中国の対外戦略や軍事増強、貿易慣行などを具体的かつ批判的に取り上げ、議論し、対策まで打ち出す。

■日本の防衛問題は「地理的概念」ではない周辺事態を考えるのが精一杯ですし、誰かさんが笛や太鼓で囃し立てて猫も杓子もチャイナへ製造拠点を移す大運動を起こした結果を、冷静に分析する気が政府内には無いようです。「日中友好」と聞いただけで、政治家もマスコミも、どうして前のめりになってしまうのでしょう?それを見透かされているからこそ、北京政府はイチコロ餃子殺人未遂事件を強引に幕引きしようとする態度を見せるのでしょう。他国ならば大変な事になるでしょうが、まあ、相手が日本ならば大丈夫だろう、とタカを括っているのが見え見えであります。


議会の常設機関では「米中経済安保調査委員会」が両国間の経済や安保のあらゆる課題を「米国の国家安全保障にとって」という観点から点検する。「中国に関する議会・政府委員会」は中国の社会や人権の諸問題を「米国にとっての意味」を基点に調査する。「中国議員連盟」は日本とは対照的に中国の軍拡を最大警戒対象として議論する。そのうえ民間では各種研究所や人権擁護団体が独自に中国動向に冷徹な目を向ける。日本もそろそろこの種の包括的かつ政策的な中国への取り組みが必要だろう。聖火リレーの騒動はそんなメッセージを発している、と強く思った。
5月3日 産経新聞

■ガス田もイチコロ餃子も聖火騒動も、「パンダが死んだ!」の一事の前には影を潜めてしまうような日本では、国を挙げてのチャイナ研究が盛り上がるとは想像も出来ないのが悲しいですなあ。変な話、マスコミ界も長寿社会になって、「若い頃は毛沢東著作集を熱心に読んだものだ」と妙に若い日々を懐かしがるような空気も有るようで、「社会主義」に憧れた青春時代を忘れられない人もちらほら……。極東軍事裁判の受け止め方にも、靖国神社の拝み方にも、とかくの議論が間歇的に湧き起こるのも、案外、マスコミの高齢者問題が影響しているかも知れませんなあ。

■あれこれと本を積み上げて勉強するよりも、今回の聖火騒動とチベット騒乱は、素人にもチャイナ問題の難しさと大きさを知らしめた効果だけは有ったでしょうが、これが北京五輪の開催と閉幕を越えて持続するかどうかは、甚だ不安なところがあります。これまで、中国問題の専門家と称される人達の多くが、北京政府との太いパイプを持っていることが前提になっていたり、調査研究以前に親近感を持ってしまっている傾向が有ったとも言われているようです。さまざまな世論操作や情報戦に熱心なのは、将軍様の北朝鮮だけではありませんからなあ。