いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
ダルマとカルマ.3
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
どうもね!
最近みんなどう?
割り箸、「ニッ」ってやってる?
確定申告済んだ?
笑ってね!
気ぃ遣ってね!(Hi-Hiの上田浩二郎チックに)
*****
と、いうことで、お待たせしました。「カルマのプログラムの影響を受けないようにするには」という具体的なお話を進めてまいりますが、結論はこれまでお話してきた通りです。
実は、ビックリするぐらい単純な話で。
単純すぎるので、逆になかなか信じてもらえません(笑)
一つ。
深呼吸を習慣にしましょう。(「吐ききること」と「安定した深い呼吸」がポイント)
二つ。
笑いましょう。(割り箸メソッド or 幸せマントラ「ウイスキー」)
三つ。
満たされていないことではなく、満たされていることにフォーカスを向けてみましょう。(幸せな状況があるから幸せになるのではなく、幸せであるからこそ幸せな状況が訪れる)
四つ。
「思考」と「意識」の違いを知りましょう。
まずは、この四つだけ。
で、コレを踏まえて、さらに話を進めてみましょう。
以前から何度かお話している通り、「自我」というのは、「思考」とほぼイコールです。
で、「思考」から離れることによって、「ダルマ」の流れを掴む感覚を養うことができます。
とはいえ、「自我」や「思考」の存在が悪なのではありません。
前々回お話したとおり、この存在は、宇宙が「自由」「遊び」を経験するために必要なものだからです。
しかしながら、この「自由」と「遊び」は、神が実現できなかった「最善以外」を拡大することで生まれた要素。
その仕組みに気づけなければ、単純に「苦」を生きる事になります。
「思考」することが悪なのではなく、「思考」に主導権を握られている状態(自覚のないまま、固定化された思考・認識反応が自動的に発動している状態)が、苦を招くというだけの話です。
その自動反応に飲み込まれることなく、自覚をもって「思考」を選択できるのであれば、「自我」は自由と遊びを経験する上で、とてもすぐれたツールになります。
というか、神(高次のアナタ)に「決して触れてはならぬ」と言われていたファイルを開くまでは、自我(カルマプログラム)はそのようなカタチで健全に機能していました。
昨今「アセンション」と呼ばれている流れは、「意識の進化」というよりは、この本来のあるべきバランスに戻ろうとしている動きです。
このことは、後日また改めて話すとして、ダルマとカルマの話に戻りましょう。
端的に話すと語弊もあるかとは思いますが、あえてシンプルに話すと、人間は長らく、カルマプログラムを利用するのではなく、完全にカルマプログラムに飲み込まれて(逆に利用されるカタチとなって)、ダルマの流れを完全に見失っている状態でした。
先人たちが、「汝自身を知れ」という言葉や「瞑想」などを通じて示していたモノは、カルマプログラムの発動を抑え、ダルマの流れを再確認することを促したものです。
「カルマの精算」「カルマの浄化」などといった言葉によって、「カルマは消して無くせるモノ」というイメージがありますが、実はそうではありません。
カルマは消えてなくなりはしません。これは、そういう性質のものではないんです。
とても話し方が難しいのですが、少し、チャレンジしてみます。
まずは、「自我(他と分離して存在している私がいる)」という感覚自体が幻想で、本当は「個人(個的魂)」というものが存在していないため、「個人的なカルマ」というものも、本当は存在していません。
言ってみれば、カルマは生命エネルギー同様、全存在が「共有しているプログラム」です。
だから、「個人的に抱えているカルマの量」というものはありません。
「あの人は多くのカルマを抱えている」「あの人はほとんどカルマがない」というようなことではないんです。
そうではなく、現象界のレベルにおいての「個人」という、この感覚において、「どれだけカルマプログラムの影響を受けているか」という話なんです。
だから、先のセリフを言い換えるなら、
「あの人はカルマプログラムの影響をとても受けている」「あの人はほとんど影響を受けない」という感じです。
でもって、カルマは、あくまで「プログラム」。
存在しているようで、実在はしません。
アナタのパソコンや携帯電話には、インターネットを楽しむためのブラウザー(プログラム)がありますが、そのアプリケーションプログラムを発動しなければ、このブログも閲覧することはできません。
カルマもコレと同じです。
プログラムとしては存在していても、それを起動・発動・運用しなければ、ないも同然です。
「影響を受けるか否か」以前に、プログラム自体を走らせなければいいんです。
で、その「カルマプログラムが発動していない状態」がいわゆる『瞑想状態』です。
「何か」を「しよう」としたとき、プログラムが動き出します。
「何か」がアプリケーションで、「しよう」がダブルクリックです。
だから「瞑想をしよう」とすると、自分の中にある観念上の「きっとこれが瞑想だアプリ」が起動してしまいます。
では、このジレンマを脱し、瞑想状態(カルマプログラムが動いていない状態)に入るには。
それが冒頭にお話した「思考と意識の違いを知る」ということに繋がります。
これも、説明の仕方が難しいので、とりあえずポイントを箇条書きにしてみます。
どうか、ニュアンスを掴んでみてください。
1.「思考」はカルマ寄り、「意識」はダルマ寄りのポジションにあります。
2.「思考」は、精神世界系の書籍では、「マインド」という言葉で書かれているものです。
3.とにかく「思考」は、常時僕たちの頭の中にある声、考え(言葉や計算の数々)です。
4.頭の中から言葉が消えれば、そのまま「マインド」が無くなります。
5.「意識」は、いうなれば僕たちの「存在感」のことです。思考や五感が閉ざされたとしても残るであろう、「(私が)ある」という感覚。その一番純粋な存在感のことです。
6.普段の僕たちは、「思考」と、「意識(存在感)」のポジションが結びついています。
7.「思考」を止めることに注意をむけるよりも、「意識(存在感)」のポジションをスライドして、「思考」と「意識」の結びつきを解いてあげる方が、瞑想の感覚を掴みやすいです。
では、どうやって「意識」のポジションをスライドするのか。
その一つが『感じる』というものです。
以前からお話しているように、僕たちの脳は、感じることと考えることを同時にすることができません。
つまり、「感じる」ということによって、自然と「考えられない(マインドが働かない)」という状態になるんです。
で、阿部さんのブログなどでも、度々紹介されますよね。
「耳をすます」というのがその一つです。
「感じる」といっても、色々ありますが、瞑想(いまに帰る)という感覚を求めるのであれば、聴覚をオススメします。
これは、脳波と関連するお話なのですが、視覚(光)や触覚(刺激)などの情報は、ベータ波(緊張)と結びつきやすく、聴覚はシータ波(リラックス)と連動しやすい傾向があるそうです。
もちろん、音の質にもよると思いますが。(でも、大音量のカラオケボックスでグッスリってこともあるからね)
で、耳をすますときのポイントは「聞くこと」ではなく「すますこと」にあります。
「聞く」というのは「これは何の音」「好きな音」「うるさい」など「情報として捉えようとする」ということになりがちです。
だから耳はすましても、聞かないでください。
ムーディ勝山の如く、右から来たものを左へ受け流してください。
そして、もう一つは「呼吸」です。
普段無意識になっている「呼吸」に意識を向け、呼吸を感じてみてください。
呼吸はいつもの感じでかまいません。数える必要もありません。ただ、感じていてください。
そのことによって、自然と思考と離れているときの感覚を養うことができます。
で、次回は、ここ何度か「月イチ☆」でご紹介しているメソッド、「ペットボトル瞑想」をご紹介したいと思います。
【ライブ・インフォメーション】
阿部さんと一緒に札幌へ行きます!
◎4月15日(日) 阿雲の呼吸 in 札幌
今回の会場は、これまでの「札幌市教育文化会館」から「アスティ45」に変わっていますので、ご来場の際はご注意を。
詳しくは阿部さんのブログにて。
※4月の「月イチ☆」のチケットは、お陰様で完売となっております。
5月は23日(水)を予定しています。受付の準備が整い次第、改めてお知らせします。
←どうもね!押してね!気ぃ遣ってね!
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と、いうことで、お待たせしました。「カルマのプログラムの影響を受けないようにするには」という具体的なお話を進めてまいりますが、結論はこれまでお話してきた通りです。
実は、ビックリするぐらい単純な話で。
単純すぎるので、逆になかなか信じてもらえません(笑)
一つ。
深呼吸を習慣にしましょう。(「吐ききること」と「安定した深い呼吸」がポイント)
二つ。
笑いましょう。(割り箸メソッド or 幸せマントラ「ウイスキー」)
三つ。
満たされていないことではなく、満たされていることにフォーカスを向けてみましょう。(幸せな状況があるから幸せになるのではなく、幸せであるからこそ幸せな状況が訪れる)
四つ。
「思考」と「意識」の違いを知りましょう。
まずは、この四つだけ。
で、コレを踏まえて、さらに話を進めてみましょう。
以前から何度かお話している通り、「自我」というのは、「思考」とほぼイコールです。
で、「思考」から離れることによって、「ダルマ」の流れを掴む感覚を養うことができます。
とはいえ、「自我」や「思考」の存在が悪なのではありません。
前々回お話したとおり、この存在は、宇宙が「自由」「遊び」を経験するために必要なものだからです。
しかしながら、この「自由」と「遊び」は、神が実現できなかった「最善以外」を拡大することで生まれた要素。
その仕組みに気づけなければ、単純に「苦」を生きる事になります。
「思考」することが悪なのではなく、「思考」に主導権を握られている状態(自覚のないまま、固定化された思考・認識反応が自動的に発動している状態)が、苦を招くというだけの話です。
その自動反応に飲み込まれることなく、自覚をもって「思考」を選択できるのであれば、「自我」は自由と遊びを経験する上で、とてもすぐれたツールになります。
というか、神(高次のアナタ)に「決して触れてはならぬ」と言われていたファイルを開くまでは、自我(カルマプログラム)はそのようなカタチで健全に機能していました。
昨今「アセンション」と呼ばれている流れは、「意識の進化」というよりは、この本来のあるべきバランスに戻ろうとしている動きです。
このことは、後日また改めて話すとして、ダルマとカルマの話に戻りましょう。
端的に話すと語弊もあるかとは思いますが、あえてシンプルに話すと、人間は長らく、カルマプログラムを利用するのではなく、完全にカルマプログラムに飲み込まれて(逆に利用されるカタチとなって)、ダルマの流れを完全に見失っている状態でした。
先人たちが、「汝自身を知れ」という言葉や「瞑想」などを通じて示していたモノは、カルマプログラムの発動を抑え、ダルマの流れを再確認することを促したものです。
「カルマの精算」「カルマの浄化」などといった言葉によって、「カルマは消して無くせるモノ」というイメージがありますが、実はそうではありません。
カルマは消えてなくなりはしません。これは、そういう性質のものではないんです。
とても話し方が難しいのですが、少し、チャレンジしてみます。
まずは、「自我(他と分離して存在している私がいる)」という感覚自体が幻想で、本当は「個人(個的魂)」というものが存在していないため、「個人的なカルマ」というものも、本当は存在していません。
言ってみれば、カルマは生命エネルギー同様、全存在が「共有しているプログラム」です。
だから、「個人的に抱えているカルマの量」というものはありません。
「あの人は多くのカルマを抱えている」「あの人はほとんどカルマがない」というようなことではないんです。
そうではなく、現象界のレベルにおいての「個人」という、この感覚において、「どれだけカルマプログラムの影響を受けているか」という話なんです。
だから、先のセリフを言い換えるなら、
「あの人はカルマプログラムの影響をとても受けている」「あの人はほとんど影響を受けない」という感じです。
でもって、カルマは、あくまで「プログラム」。
存在しているようで、実在はしません。
アナタのパソコンや携帯電話には、インターネットを楽しむためのブラウザー(プログラム)がありますが、そのアプリケーションプログラムを発動しなければ、このブログも閲覧することはできません。
カルマもコレと同じです。
プログラムとしては存在していても、それを起動・発動・運用しなければ、ないも同然です。
「影響を受けるか否か」以前に、プログラム自体を走らせなければいいんです。
で、その「カルマプログラムが発動していない状態」がいわゆる『瞑想状態』です。
「何か」を「しよう」としたとき、プログラムが動き出します。
「何か」がアプリケーションで、「しよう」がダブルクリックです。
だから「瞑想をしよう」とすると、自分の中にある観念上の「きっとこれが瞑想だアプリ」が起動してしまいます。
では、このジレンマを脱し、瞑想状態(カルマプログラムが動いていない状態)に入るには。
それが冒頭にお話した「思考と意識の違いを知る」ということに繋がります。
これも、説明の仕方が難しいので、とりあえずポイントを箇条書きにしてみます。
どうか、ニュアンスを掴んでみてください。
1.「思考」はカルマ寄り、「意識」はダルマ寄りのポジションにあります。
2.「思考」は、精神世界系の書籍では、「マインド」という言葉で書かれているものです。
3.とにかく「思考」は、常時僕たちの頭の中にある声、考え(言葉や計算の数々)です。
4.頭の中から言葉が消えれば、そのまま「マインド」が無くなります。
5.「意識」は、いうなれば僕たちの「存在感」のことです。思考や五感が閉ざされたとしても残るであろう、「(私が)ある」という感覚。その一番純粋な存在感のことです。
6.普段の僕たちは、「思考」と、「意識(存在感)」のポジションが結びついています。
7.「思考」を止めることに注意をむけるよりも、「意識(存在感)」のポジションをスライドして、「思考」と「意識」の結びつきを解いてあげる方が、瞑想の感覚を掴みやすいです。
では、どうやって「意識」のポジションをスライドするのか。
その一つが『感じる』というものです。
以前からお話しているように、僕たちの脳は、感じることと考えることを同時にすることができません。
つまり、「感じる」ということによって、自然と「考えられない(マインドが働かない)」という状態になるんです。
で、阿部さんのブログなどでも、度々紹介されますよね。
「耳をすます」というのがその一つです。
「感じる」といっても、色々ありますが、瞑想(いまに帰る)という感覚を求めるのであれば、聴覚をオススメします。
これは、脳波と関連するお話なのですが、視覚(光)や触覚(刺激)などの情報は、ベータ波(緊張)と結びつきやすく、聴覚はシータ波(リラックス)と連動しやすい傾向があるそうです。
もちろん、音の質にもよると思いますが。(でも、大音量のカラオケボックスでグッスリってこともあるからね)
で、耳をすますときのポイントは「聞くこと」ではなく「すますこと」にあります。
「聞く」というのは「これは何の音」「好きな音」「うるさい」など「情報として捉えようとする」ということになりがちです。
だから耳はすましても、聞かないでください。
ムーディ勝山の如く、右から来たものを左へ受け流してください。
そして、もう一つは「呼吸」です。
普段無意識になっている「呼吸」に意識を向け、呼吸を感じてみてください。
呼吸はいつもの感じでかまいません。数える必要もありません。ただ、感じていてください。
そのことによって、自然と思考と離れているときの感覚を養うことができます。
で、次回は、ここ何度か「月イチ☆」でご紹介しているメソッド、「ペットボトル瞑想」をご紹介したいと思います。
【ライブ・インフォメーション】
阿部さんと一緒に札幌へ行きます!
◎4月15日(日) 阿雲の呼吸 in 札幌
今回の会場は、これまでの「札幌市教育文化会館」から「アスティ45」に変わっていますので、ご来場の際はご注意を。
詳しくは阿部さんのブログにて。
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5月は23日(水)を予定しています。受付の準備が整い次第、改めてお知らせします。

コメント ( 65 ) | Trackback ( )
« ダルマとカルマ.2 | マサイの戦士 » |
今日のブログの内容、自分的には久々のスマッシュヒットでした。
何度も何度も読み返しました。
何かをしよう、とした時に働くプログラムの話も分かります。
でも、最後の耳をすまそう、感じよう、思考と意識を切り離そう、という事を意識すると、「あれ?これも何かをしようとしてるよな・・・」というジレンマにいつも陥るんです。
これ、瞑想でも同じなんですよね。
「何もしようとしなくていい」と言われて、「何もしようとしないようにしてる」自分に気付くんです。
きっとこの辺りが言葉で説明できる限界とジレンマではあると思うのですが・・・いま一歩、ここが腑に落ちるお話しを伺えれば嬉しいです。
(*゜o゜)ノ
あ、ちがう?
q(*^-^*)ポチッとな♪
瞑想すると自分の存在感だけになるところまでは何となく体験してます。
その『自分』というのをなかなか消せないでいたんですが、
割とイイところまで行けてるのかなぁ?(^^;)
思考と意識の違いについても感覚的にわかります。
でも、意識の領域から見た時の自分に対するアドバイスがなかなかできない。
そこにはまだ思考に引き摺られている自分の感覚が残るようで。。
要するに、「どっちがいいか」という二分性での迷いなんですよね。
意識が言う方向は、なんだか苦労するのが目に見えてるような気がして、
その方向に自分を向ける踏ん切りがつかない状態でもあり(これが思考なんですが)・・・。。
まだも少し苦しみそうでしゅ~。。。
もしかしたら、お戻りになるまで更新無しかな?と思ってましたので。
明日から楽しんできてくださいませ~♪
とても納得です。
ありがとうございます。
『 世界を救うには、世界の中にいたのでは無理。世界の外に出て世界を救いなさい』マハラジ
これと同じですね。カルマを感じないにはカルマの外に出なさい♪
超わかりやすい説明ありがとうございます。
さらにさらに深く納得できました。 感謝
呼吸を意識する、耳をすますが聞こうとしないで右から左に流すというのをやってみます。人間がいかに、ちょっとの刺激に対しても、すぐ判断する能力には驚きます。
今後もご指導よろしくお願いします。
「意識」に気づくことがポイントなんですよね。
私も昨日、同じようなことを人に説明したところでした。
ウイスキー!(^皿^)
黒斎さん。
すごい。
特に 7.は大きなヒントになりました。
ありがとうございます。
先日の月イチ☆で質問させて戴いた金髪です。
瞑想や耳をすます、感じるなどなどは意識を空にする、空に明け渡すためのぼーっとする練習かな?と思いました(笑)
自分で無にしよう、自分を無くそうと考えたら、それもカルマの顕在意識だから、空(から、くう)自分を空っぽにするにはただいまここに自分が存在することを感じきる。ただ、そこに在るだけでいいのかなと。
そして、ペットボトルの練習ですよね(^□^)
文章でも読めるの楽しみにしてます★
がんばってはいけない?
今日はいつにもまして内容が濃いですね。。。 φ(。_。*)メモメモ
何度も読み直してみようと思います。ありがとうございます。
>耳をすますときのポイントは「聞くこと」ではなく「すますこと」にあります。
これって結構難しいですね。
私はどうしても「これは犬の声だ」「これは雨の音だ」と頭の中で言語化してしまうので。。
で、何気なく目に付いたツイッターから導かれてここにやってきました。
やはりちゃんとカルマの氷の隙間を縫ってメッセージを送ってくれる存在がいるのですね!
素晴らしい!
感謝です。
ありがとうございます♪
関西に住んでるので月イチ参加できないのが、悔しいです(笑)
ペットボトル瞑想、楽しみにしてます!!
呼吸は身に付いて日常化してしまえば
「何かしよう」として「プログラムが起動する」隙間がありませんね。
何度も読み返しました。
瞑想、トライしているのですが、まだ自我の力みがある感じです。
それから、瞑想って、場所と時間によってとんでもないことになりませんか?
某書によると、「神様はきれいで清潔な空間が好き」
とか、初心者は3時以降は避けろとか、いろいろ注意
事項がついているのですが…
はっきり言うと、守護霊ではなく他の未浄化霊を呼ん
じゃうのが怖いんです。
こういう注意事項も思考の産物?
ちょっと気になってます。
またまた勉強になりました。
今後もどうぞ宜しくお願い致します。
こりゃあ、ますます人気が出そうだ。教祖道だけは、いかんっすよ~(笑)大丈夫だろうけどw
アダムとイヴの禁断の果実の描写みたいでワクワク感たっぷり。
今回の脳内BGMはTM NETWORKのBeyond The Timeですな。
またまたカラ脳に、スコ~ンと納まりましたョ。
いよいよ佳境ですか!?
よろしくデス。
誠に有難うございます <(_ _)>シェシェ
<NTTドーモ
いつも思うのですが、毎回こんなに分かりやすく言葉で表現して下さる黒斎さんは本当にスゴイ( ´ ▽ ` )ノ本当にいつもありがとうございます☆
私は毎晩寝る前に仰向けで大の字になって深い呼吸をしてるんですが、途中で何かしら考えてしまってる自分がいるんですよねー。。。今日からは耳をすましてみます!
次回のペットボトル瞑想楽しみですU+266B
忙しいと思いますが、早めの更新お願いしまーす(笑)
着メロ(MIDI)でもそうですが、合唱を綺麗に鳴らすには『耳をすます』意識を持たないと(イメージ通りに)鳴りません。
だからMIDIと云えども合唱曲を本気で攻めようと思うと意外に大変です。
嘘だと思う方はイッチョ1つお試しあれ。
ペットボトル、気になります。
10日振りの更新
お子さんが小さすぎて,お父さん、頑張っていらっしゃるんだろうなと思います
具体的にありがとうございます
パワー、たくさん使われたことでしょう
あ~頭いっぱいにムーディーの唄がっ!(>_<)笑♪
わかりやすい解説ありがとうございます!
早速、妖怪耳すましになります(^0^)/
ほうほう、耳を澄まして、音を感じる。あれでしょうか、疲れて電車とかでうとうとしてる時に流れてくるアナウンスを聞く感じでしょうか。
うとうと…
アナ:間もなくー…
うとうと…
アナ:――ます。
プシュー
はっ!?
みたいな(笑)
あの時って、アナウンスがなってるのは解ってるけど、内容はさっぱりで、右から左に流れてる感じですけど。また違うモノでしょうかね?
と思っていた私ですが
腑に落ちました!!!
わかりやすすぎます☆
(Hi-Hiの上田浩二郎チックに)という所で
爆笑してしまいました。
今日の「深呼吸」、「笑い」、「満たされている
ことにフォーカス」、「『思考』と『意識』の違い
を知ること」の4つを実践していきます!
瞑想のポイントも大変参考になります。
このブログに出会えたことを感謝します。
それにしてもユニークなお名前ですね。
「雲 黒斎」と口にしたとたん、
吹き出してしまいました^^;
インスピレーション、いただきました!
今日もありがとうございます (^ー^)
「だるま」もしくは
「起き上がりこぼし」の姿。
いかがでしょうか?,,, (^ー^)
思考と意識。そうなんです、これれらがどうも分かっていたようで分かってなかったです。
この結びつきを解いてあげるのがいい。納得です。
そして聴覚がお奨め、ですね。
ヘミシンクが聴覚なのも、そういうことなのかなと思いました。
ところで、瞑想をしているときに、声は聞こえないのだけど、
色々なイメージが浮かんでは消えていくことがあります。
それらのイメージは、何の脈絡もなく浮かび、考え事の延長のイメージだったりすることもあるのですが、
このイメージは思考なのかな・・・?
と、ふと思いました。
明らかに思考の声と結びつくイメージもありますが、そうでもなさそうなものもあります。
この辺が知りたいな、と思いました。
いつもありがとうございます。
とても怖がっているのがわかります。
恐れを手放す。ここまではわかりました。
今日はとてもわかりやすく、今私に必要だと思えるメッセージでした。ありがとうございます。
いつもほんとすごいですね。 ☆神(高次のアナタ)に「決して触れてはならぬ」と言われていたファイルを開くまでは、自我(カルマプログラム)はそのようなカタチで健全に機能していました。☆
このセンテンスについてもう少し詳しく解説していただけるとありがたいです。カルマの原因ともいえるものなのですか?
黒斎さんのブログにはいつも助けられています。
今回の内容も深いですね…
よし実践、実践!
自覚と確信です。ありがとうございした。
以前、毎日30分の瞑想を、40日の願掛けとして神さまにかけたことがあります。
不遜なことだと、今はわかるのですが、当時はまだ若く、ただ、何が知りたいのかもわからないくせに、
「知りたい」
「本当のことが知りたい」
1か月をすぎるころ、大きな太陽とともにお出ましくださいました。
しかし、逆に問題を出されて答えることができず
「まだ、だめか」と言われてしまいました。
結構、長い時が過ぎて、縁あってここに来たと思います。
今、あっ、そうか、です。
ありがとうございました。
思い通りに生きるため?
辛い思いをしないように?
もっと幸せになるため?
仕組みを知ると、どんないいことが起こるんでしたっけ??
生きるのに有利なんでしたっけ??
これはカルマのあがき?
つべこべ言わずに、実践してみろって感じですかね(-_-;)
決して批判ではありません。
例えがヘンかもしれないけど
離乳食を食べさせてもらってるみたい。
もっと! あーん♪
『降参のススメ』 どストライクです。
あ~ またコレで人気が出ちゃうー と
へんな心配したりして…(笑)
とても気になりますね・・・(;´Д`)
考えて思考で判断するのではなく…つまり文字を、文章を判断するのではなく
仰る事を感じる、仰る事に耳を澄ます
それこそ感じるっていうか。
とても分かりやすい説明でした(感動!)
カルマをアプリに置き換えて説明されたところ、すごく理解できました。
割り箸メソッドで気づいたのですが、箸をくわえている時の木の感触や、ほほや唇の感触…今まで感触にたいして、さほど意識していなかったことに気づきびっくりしました。(気づいてから、箸を持つ行為すら楽しくなりました(*^◯^*))
今度は「耳をすます」…静寂すら楽しくなりそうな予感です(*^_^*)
素敵なブログをありがとうございます!実践あるのみ(^ ^)
カルマの関係は?
未消化の感情を感じきれば、
イコール、カルマの解消になり、
悟りに近づくと解釈していたのですが。
カルマは無くならないものであれば、
私達を生きにくくさせている
未消化の感情は
イコール、なくならないという事ですか?
感情な解放についても、
詳しく教えてほしいです。
東北の復興、及び被災者の救済のためにお金を使った方がいいと思います。
そうすれば円安を誘発し、輸出関連の景気が良くなり、一石二鳥だと思います。
そうなるとインフレの懸念があると言う人もいますが、
現在物であふれている日本ではその心配も無いと思います。
日本は借金はありますが、それを上回る預貯金がありますので心配ありません。
かえって貯蓄して使わない人達も、お金の価値が下がれば、どんどん使い始めるので、
また日本の景気が良くなると思います。
やはり、性欲は自我の仕業じゃなかったんですね。
自分はどうも、性欲エネルギーの土台で生きているきがします(笑)
スゴっく分り易くて、ピンポイントでした。ありがとうございます。
今まで見たり、聞いたり、実際に体感してきたことが書かれてありました。
ちょっと話がそれますが、嗅覚はシータ波になるのかな??
嗅覚って、もっとも原始的で、脳みその中の原始的なものをつかさどっている所と直結してるような感じがするんです。
で、ちょっと気になってしまいました^^*
いつも楽しく拝見しております。
僕は2年ほど前に黒斎さんのブログに出逢い、以前は全く関心のなかった精神世界やスピリチュアルに興味を持ちはじめました。
以来、黒斎さんや阿部さんのブログ・書籍・映像をはじめ色んな情報を目にしてきましたが、皆さんが伝えようとして下さるニュアンスみたいなものがどうしてもつかめませんでした。
しかし、今回の記事を読んでいくうちに何か自分の中でのスタンスが変わっているように感じました。
過去に読んでイマイチよくわからなかった文章や言葉も、ここ数日で読み返してみるとまったく違った感じ方や解釈ができ、まさにアハ体験!
同時に、黒斎さんや阿部さんが何とか伝えようとしていること、それを表現することがとても困難であることが、自分なりにぼんやりと分かった気がします。
いつも様々な表現から気付きを促して下さって本当にありがとうございます!
今週初めに一般的に悟りや第3の目が開くといわれている体験をしたkanonと申します。
その日からずっと気付きの連続で、気付いて初めてまだ気付けていないことがあることに気づいたり、本当にこの世界は全てが永遠で全てが永遠でないのだと実感しています。
さて、今日、最高の幸福感を体験した後の最高のおぞましさというものを体験し、自分が自分の感情を選択できなくなることの恐ろしさが身にしみてわかりました。
そんな時、今日のブログを見て救われました。
自動反応に飲み込まれないように、常に自分をみはっていようと思います。
そして、今日気付いたことは、「人間の次はガイドになる」ということです。
私の中ではガイド=宇宙人?というところで止まっています。私の接続できた範囲では、こちらとあちらの世界の存在に気づいたり、全て自分で選択できること、そしてどんな状況になっても感情は全ての感情の中から自分で選択できるということを本当の意味で気付いたら、次は時間という概念がなくなります。その結果、ガイドと呼ばれる存在や宇宙人と呼ばれる存在になるとでてきたのですが・・・。
私は時間の概念についてはまだ気付いていません。(時間の悟りの次は空間の悟りではないかと感じています)
大体のこの世界の概略と言いますか、枠組みに気付き、その気付きの山の頂上に立ったので次の山が初めて見えてきて、その山について見える範囲で情報を取り出してみるとこうなりました。私は黒斎さんのようにガイドの声なき声を感じることはなく、本当にただただ気付いただけという状況です。
ですので、気が向いたらガイドさんに質問していただき、いつものように何かわかりやすい説明が聞けるといいなぁと思いコメントさせていただきました。
長い文章をお読みいただきありがとうございました。
聴くことって感じることに直接影響しあいますもんね。
三日月に合わせた『ニッ』を
お散歩の時にやって、変な人にみえるかもです(^w^)
満月には『ワァ』です o(^-^)o
おすまい[おしまい]
私が、ず――っと長い間、浄化できないのが、嫉妬です。とにかくすごいのです。嫉妬心が。特に好きになった男性に対する嫉妬心が異常な程です。昔に比べたらだいぶ軽くなって
きたとは思いますが、胸の奥の方から、未だにわいてきます。いきなりこんなこと言われても、困るでしょうが、何かアドバイス頂けませんか。
1つ聞きたいんですが、私の友人で、鬱で苦しんでる人がいて、何とかしてあげたいけど、個人的に出来ることって、なんだろ?ってなってどうする事も出来ない状態です。
以前、その人に黄色い本を見せたけど、読んで貰えなかったです。
その人に、深呼吸や笑顔で、鬱が改善されますか?
もし、テーマで取り上げて頂ければ幸いです。
立ち読みで良いので見て頂きたい本があります
アレクサンダー・ロイド/ベン・ジョンソン著
「奇跡を呼ぶヒーリングコード」です
(なぜ立ち読みで良いかというか肝心の部分は4、5ページなんです)
著者がうつ病に苦しむ奥様の為に祈るうちに授かったというメソッドで
まずゆりさんご自身でお試しくださいませ
黒斎さんの本は超素晴らしいのですが
いかんせん本人が納得して自分のお金で買わないことには身に付かないものなのではないでしょうか
実は長年の睡眠障害がこの方法で治ってしまい(ただし5ヶ月かかりました)いや~レイキや高額の睡眠グッズに手を出さなくてよかったな~と考えてます
ゆりさんの優しい気持ちがお友達に届きますように
m(_ _)m
私は阿部さんの同世代、孤独の不安からうつ状態になり、メンタルクリニックの待合室で黄色の本を読み、すぐに自分で購入しDVDも見ました。すごく救われる時と、きっと幸せな人には必要がなく、不安を置き換える方便かなと思ってしまう時があります。なかなか今この瞬間から幸せになるって難しい。逆に不幸な気持ちになるのは簡単なのです。
だけど、耳をすまし深呼吸し、幸せなんだと感じようとしています。雲さんに言わせたら、感じようとする現実しか宇宙は与えてはくれないんだろうけどね。
黒妻2号になりたい。
失礼しましたっ(><)
続けてますよ~
確かに、自分自身で納得しないと、読まないですよね?
実は、黄色い本に出会ったばっかりの時に、見せたので、その時、自分も、黄色い本を読み始めのもあって、理解出来てないなか、勧めたので、余計読んで貰えなかったです…。
個人的に色々あって、やっぱり、苦しくなるのは嫌だし、まだまだ先のある友人にも楽になって欲しいので、思わず、書き込んでしまいました。
仕事帰りに本屋に行ってみます。
スカイソーダさん、本当に有り難うございました。
m(__)m
呼吸ってホントに大切ですね
たくあんと申します
今日のブログの記事についてのコメントとは関係ありませんが、どうか自分 勝手な事で申し訳ありませんが、誰にも相談できずに悩んでいます。
書かせて下さい
私はギャンブル中毒で何度も痛い目にあっているのに、バチンコ屋さんに足が向いてしまいます
もう、何度行かないと誓った事やら、うんざりです。お金も沢山使いました。いつも財布は空っぽ
もう、病気です
同じ様な事で悩んでいる方か沢山いらっしゃるのではないでしょうか……
いつか、この様な依存について、記事がでたらなと思っていましたが、もう待ちきれずに思いきってコメントさせていただきました。家族は行っておいでと反対はあまりないですが、上手に遊べずに、かなり負けているのにすました顔で帰って来るのが辛いし
このままやめれずにいると、支払いのお金も全部使って困った事になりそうで自分 が怖いのです
負けたら、取り返さなきゃと……その繰り返しです。困ったものです。
こんな毎日もう嫌です
全ては一つっていいますよね。
そんで人は寝る時にその一つに帰るっていうじゃないですか。
あとも一つ、神との対話で読んだんですけど、
魂は全体に拡がってて区切りはないっていうらしいですね。
これらを併せて考えると、寝た時に帰った自分だった部分と
起きた時に体に入ってきた部分が違ったりしないんですか?
でも、全部同じだからどうでもいいことなのかな?
体に入ったらこれはずっと続いてる自分って思ってるけど、
実は魂の中のあっちの部分やこっちの部分が
出たり入ったりすることってあるんですか?
記事と関係なくてごめんなさい。
あ、でも今日の記事、大事なとこまとめてプリントアウトしました。
目の前に貼ってあります。
いつもありがとうございます!
精神的な事とは関係の無いことを書きますが、パチンコの機械には必ず設定1~6まであり、基本的に、見せ台として、シマに1、2台高設定があり出してる感じを演出してますが、他の台は低設定で勝つことはかなり困難です。 パチンコにしても、スロットにしても何分の何の確率でビッグ、又はレギュラーが来るのかを把握し、かつ、それぞれの台の設定によって出方の波があり、データを取っていても、ほかの客が座っていたのでは打てません。 結局、もうそろそろ出るはずだと解っていても負けるときは負けるのです。
無線による遠隔操作で、設定を変える店もあったりしますし、シロウトは昨日出てなくてかなりツッこんでいるから、今日は出るだろう、なんて思いますが、設定の低い台は改めて設定を低く打ち直したりしますし、設定の低い台でも、その設定の確率以上に出ていない場合、設定が良いかのような出方をします。
これにダマされると設定の低い台に無駄に金をツッ込んだりします。
また、設定の良い台に座っても、連チャンで出た後に座るとハマります。
オープン時あらかじめ、良い設定の台を回して連チャンさせておいて、客が座ったときにはハマるようにしておいて、高設定台に見せないようにしたりナドナド
あらゆるパターンがあり、負けて当たり前の状態です。
データや確率を基にやって、勝つのは、勝つのが解っているからです。プロは負けても、ただ負けるのではなくて、この先どうゆうグラフを描くのか確認のためだったり、正規の台かどうかの確認だったりして、負けるのにも意味があります。
たまたま勝つことは確かにありますが、本当にそれはたまたまです。
パチンコ、パチスロで食べている人は、いつも勝っているのではなくて、大きく負けない技術があるのです。
その匙加減は体で覚えなければわかりませんが、基本的に必勝法などというものはありません。
パチンコをすれば儲かるかもが一割
損するかもが九割
パチンコしなければ、儲かりはしないが、損はしない
パチンコ、パチスロで家建てたひとをオレは知らない。
すっごく難しかった問題がスッキリしました!
要は子供(カルマ)と一緒ですよね。
「僕将来アンパンマンになるんだー!!」
と言ってる子供は目がキラキラ、本当にアンパンマンになれると思って、飛ぶ練習やら敵を倒す練習やら・・・
それを大人(ダルマ)が
「無理に決まってんやん」
と冷静ばかりじゃつまんないと。
だから子供(カルマ)は何も知らない分
いろんなことに目をキラキラしたり
怒ったり、泣いたり・・・ってコトですよね?
(当たってますように)
アセンションはそう考えると
もう少し大人になれってコトでしょうかね。
てかアセンションしちゃったら
以前学校(アルコール中毒)で話をされていた
重症アルコール依存症の方はどこに行けばいいんでしょうね・・と素朴な疑問。