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ゲーム開発秘話

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。

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二世紀の地理学者・パウサニアス著の『ギリシア案内記』には、デルフォイのアポロン神殿の入口に、すでにこのゲームのタイトルが刻まれていた事が記されています。

それがこちら。 → “ γνῶθι σεαυτόν ”


かの有名な古代ギリシアの格言、『汝自身を知れ』という言葉です。


この言葉を、さらにゲームのタイトルっぽく超訳してみますと……







ズバリ、「セルフ・クエスト(自己探求)」。

文字通り「汝自身を知れ」ですが、これなら思いっきり某RPG風です(笑)

(※注)パクリではありません、オマージュです。




このゲームを開発したのは、あるクリエイターさんなのですが、このクリエイターさんが、まぁ、超スゴイ。

CreatorはCreatorでも、「the」の付く方のクリエイターさんなんです。


*****

cre・a・tor[名]

1 創造[創作,創設,創案]者[原因].

2 ((the C-))造物主,神.

*****


そう。神様です。

でも、この神様は、多分、あなたの信じている神様ではありません。

この神様は、「意識(唯一の実在)」であり、これ以外の存在はすべてバーチャル。存在はすれど実在はしない、架空のものです。

僕たちが日常的に目にしているアレコレは、疑いようのないほどリアルに感じられますが、その全てがゲームの世界の中にあるものです。


このことが、このゲームに隠された全ての謎の土台です。

ここは、とても大事なところなので再度言います。


本当は、このゲームを開発したクリエイターしか、実在しないんです。


つまり、このゲームは、誰かが、別な誰かに提供するために作られたものではない、ということです。

だって、このゲームの開発者、神自身(意識)以外には、何も実在しないのですから。

だから、このゲームを開発した後、結局それをプレイできるのは……。

そう、神様だけなんです。


*****

「神様しか実在しない」とお話すると、「神様はひとりぼっち」という状態を連想し、それにおいて、寂しいとか、虚しいとか、そういう風に仰る方も多いのですが、実は、そういうことはありません。

ここでの「一つ」は、比較対象や外界などといった二元性を超えた次元での「一つ(無双)(アドヴァイタ)」なので、僕たちが連想する自分の他に存在する沢山の人や外部環境の中で「孤立する」というような「ひとりぼっち」とは全く異なるもので、感覚が全然違うのです。

*****


さて、ここで。

この前提を踏まえていくつか確認しておきたい点があります。

それは、これまでの記事の中でも何度かお話してきた内容です。


1.そもそも「ゲーム」とはどういうものか。

 → 障害や制限の中でストレスを味わいながら、某かのゴール(ストレスを乗り越えて得られる達成感や開放感)を楽しむ娯楽活動。


2.そのゲームを楽しむ上で必要不可欠となるものは何か。

 → ルール(思い通りにならない不自由性)。先の読めない展開。



考えてもみてください。


いざゲームをスタートして冒険を始めたものの……

◎森を歩いても、ダンジョンに入っても、スライム一匹出てこない。

◎なんのイベントも発生しない。

◎最初から武器や防具などの装備、また、HP/MP/力/素早さ/経験値/ゴールド/攻撃力/守備力、全てのパラメーターがMAXで、これ以上覚える呪文もなく、レベル変動もない。

◎最初のお城を出た途端に全ての問題・障害が解決し、何の冒険も経験することなく一気にエンディング。

◎プレイする前から、先の展開がすべてわかっていて、城下町の人々から情報を得る必要もなく、謎を解くために必要となるアイテムの収集もいらず、そもそも謎を解く必要がない。

◎冒険に出かけるため王様のもとを訪れたら、その時点でありとあらゆる謎をすべて明かされてしまった。

◎主人公以外の登場キャラクターも、容姿や能力、役割が主人公と何一つ変わらない。



そんなRPGだったら、「糞ゲー」と称されるか、鉄拳の「こんなゲームはイヤだ」のネタになるぐらいです。



そんなこんなで、「ストレス(苦)」と「制約(有限)」というキーワードが、ゲームを楽しむ上で必要条件となります。

だとしたらですよ、この時点でちょっと困ったことが起きてしまうんです。


上記の2つの条件が、神様には「あり得ない」んです。

だって、無限の創造性がある神様に、「障害」があるはずがありません。「ストレス」があるはずがありません。

思い通りにならないことなんて何一つないし、先が読めないなんてことがあるはずがありません。

ましてや、創造主、「ゲームの開発者」です。

開発者自身がゲームをプレイするのですから、完全なネタバレ状態です。


だから、そのままでは、ちっとも楽しくないのです。


そこで、開発者はこのゲームの中にとんでもないプログラムを埋め込むことにしました。

「記憶喪失プログラム」です。

自分がゲームの開発者であることを(さらにはプレイヤーであることすらも)、忘れるためのプログラムを作り出し、しかも驚くことに、その忘却プロセスをも、ゲームの一環として成立させてしまったのです。



『自己探求(セルフ・クエスト)』は、自己が何者であるかを徹底的に隠蔽し(自らに巧妙な罠を仕掛け)、隠し終えたところで、再度探り当てる(自分が仕掛けた罠を解いてゆく)という2つのプロセスを楽しむゲームです。



ここまでお話すれば、もうおわかりですよね。

つまり、ゲームの世界(現象界)で、ストレスや苦しみのど真ん中に立たされ「キャラクター(わたし)」だと思い込まされているアナタの正体は、何を隠そうこのゲームの開発者、「神」そのものなんです。


ゲームのキャラクターは、ゲームの開発者・プレイヤーの娯楽を実現するため、数々のイベントやモンスター(ストレスや苦しみ)の前に誘導されます。

ロトの血をひく勇者が「メタルスライムはまだ無理だって!」と叫んだところで、プレイヤーが果敢にチャレンジしようとすれば、それを避けることができません。

勇者が「にげる」や「ぼうぎょ」といったコマンドを選択したくても、プレイヤーが「たたかう」を実行すれば、そうなってしまいます。

そう。アナタが感じられているとおり、この状況は、「キャラクタ-」にしてみれば、たまったもんじゃないのです。

でもそれを再度逆転してみれば、モニターの中にいる「ロトの血をひく勇者」が、モニターの外にいるプレイヤーやクリエイターに向かって「なぜ私が竜王を倒さねばならないのですか? なぜ町の人々は、小出しにしかヒントを与えてくれないんですか? なぜこんなにも、世界にはモンスターや災難が蔓延っているのですか? あなたが創造主ならば、なぜゆえに世界から苦しみを消し去ってはくれないのですか? 私ではなく、創造主であるアナタが、竜王を消し去ってくれればいいじゃないですか! 僕は、ヒーローなんかになりたくはない。ただ、パフパフさえしてもらえたなら、それだけで幸せなんです!」とメッセージを送っているようなものなんです。

ね、変でしょ?(笑)

プレイヤーにしてみれば、「お前はゲームの世界に存在するアバター(実在しないもの)なんだから、何があっても大丈夫なんだって!」てな具合です。


で、結局のところ、様々な罠や障害を用意し、それによる苦しみをキャラクター(わたし)に与えた張本人は、そのキャラクターを操るプレイヤー(わたし)やクリエイター(わたし)の仕業で……

キャラクター(わたし)を苦しめている原因は、部長でも奥さんでもご先祖さんでもサタンでも悪霊でも動物霊でも事故でも病気でも災害でもなく、実は神(わたし)であって……

ああ、ぐるぐるぐる……



では、いったいどうすればいいのでしょう?


ゲームの中にいる「キャラクター」が、ゲーム(世界)に影響を与えることは可能でしょうか?

いえ、できません。

ゲームに影響を与えることが出来るのは、ゲームよりも上の次元。

プレイヤー、もしくはクリエイターです。


キャラクターは、自身を操作することもできません。

ゲームが「キャラクター」の思い通りに進むはずがありません。

ゲームを進めているのは、「キャラクター」ではなく、あくまで「プレイヤー」です。

だから「キャラクター」は、降参(サレンダー・帰依)せざるを得ない、となるわけです。

まさに、「プレイヤーの思し召すままに」です。



世界の認識レベルが「プレイヤー」の次元に移れば、「今の状況」や「その世界でどのように動くことが適切か」などが明確になります。

そして何より、「ゲームをプレイしている」という自覚とゆとりがあります。

ストレスを「イベント」として、苦しみを「モンスター」としてとらえ、そのことを通じて「よりゲーム(人生)を楽しむ」という、余裕が生まれます。


そして、さらに上位にある意識、クリエイターの次元でなら、ゲーム世界の書き換えさえ可能になります。

ゲーム世界(現象界)を形作る、プログラム(カルマ)自体を変えてしまえる力があるからです。


だからこそ、苦しみ・ストレスから解放されるには「悟るしかない」、つまり、意識を「キャラクター」の次元から、「プレイヤー」や「クリエイター」のある次元にシフト(アセンション)するしかない、となるわけです。


*****

もっと言ってしまえば、お釈迦様は「輪廻を超えて解脱せよ」と説きました。

これは、「何度もコンテニューしてないで、ゲーム自体を手放してしまえ」ということです。

だって、お釈迦様が説いたとおり、「ゲーム(人生)は、ストレス(苦)以外の何ものでもない」のですから。

*****



苦しみから解放されるには「悟るしかない」とは言うものの、それは強制でも、脅迫でもありません。

意識がどこの次元にフォーカスされていようが、結局、実在するのは神だけなのですから。



阿部敏郎さんが「あなたは既に悟っています」とお話されるのも、白隠禅師が「衆生本来仏なり」と残したのも、つまりは、「その事実に気づいてようが気づいてまいが、あなたは今の時点ですでに、この世界(ゲーム)のキャラクターではなく、創造者なんです!」ということなんです。

だから、神に近づく努力も、神を求めることも、跪くのも、崇め立てるのも、感謝を捧げることも、実は、全部ナンセンスです。

だって、それをしているのが、神自身だからです。



「悟ったって、悟らなくたって、どっちでもいいじゃない」と言う人もいるけど、僕としては、「キャラクター」の次元で苦しむのは、もういやなんです。

「どっちでもいいと言うなら、わざわざ苦しむ方を選ばなくたっていいじゃない」と、僕は思います。


と、いうことで。

ぶっちゃけこのブログは、このゲームのネタばらしです。

それを知ってしまうと、確実に、ゲームの醍醐味である「あっ!」が薄れてしまいます。

アナタが培ってきたこれまでのプレイを、台無しにしてしまう恐れがあります。

大きなウロコポーロを目前としていた人の目から、小さな鱗を落として、喜びを半減させてしまうかもしれないのです。




その代償を受け入れる覚悟がある方だけ、ご参加ください。





【ライブ・インフォメーション】

「リラクゼーションハウス ゴールドマイン」さんから、ライブのお誘いとご協力をいただきました。

6月に、はじめて福井にお邪魔致します!

前回の福岡ソロライブに続き、プロジェクターを利用したプレゼンスタイルのトークライブを予定しています。

お楽しみに!

◎あの世に聞いた、この世の仕組み in 福井

【日時】6月17日(日) 14:00~(13:30開場)

【会場】福井市地域交流プラザ 研修室607
    福井市手寄1丁目4番1号 AOSSA 6階
    JR福井駅東口から…徒歩1分
    北陸自動車道福井ICから…車で15分

【料金】お一人様 3,000円

※お申し込みは【こちら】(携帯からお申し込みの方は【こちら】



※現在、このほかに、阿部さんとのコラボライブ「阿雲の呼吸」のツアー準備を進めています。

7月1日(日)仙台、7月7日(土)京都、8月4日(土)横浜、会期未定:名古屋・広島、という感じで予定しております。

準備が整い次第、改めて告知いたします。( ̄Д ̄)ゞ



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        たたかう
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        どうぐ
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幻想見聞録

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Die Schlange, welche sich nicht häuten kann, geht zu Grunde. Ebenso die Geister, welche man verhindert, ihre Meinungen zu wechseln; sie hören auf, Geist zu sein.

The snake that cannot shed its skin perishes. So do the spirits who are prevented from changing their opinions; they cease to be a spirit.


Friedrich Wilhelm Nietzsche



脱皮できない蛇は滅びる。

貴意を脱ぎ捨てることを妨げられた精神もまた、同様である。


フリードリヒ・W・ニーチェ



*****




『目から鱗が落ちる』とは、「何かがきっかけとなって、急に物事の本質・実体などがよく見え、理解出来るようになる」ということです。

その背景にあるのは、それまで自分の抱えていた固定観念の喪失や崩壊。

「新たな知識を得る」ことによってではなく、「保有していた思い込みが喪失」されることによって経験されるのが、ウロコポーロです。


つまり、人間一人ひとりが保有している「思い込み」や「固定観念」こそが、目の中にある鱗の正体。

それは「ネガティブ」と言われる要素だけではなく、ありとあらゆる概念が含まれ、僕たちが当たり前に活用している「常識」や「通説」、「信念」や「信仰」なども含まれます。

この鱗のことを、精神世界では「マインド」などといった名称で呼んでいます。


人間が経験するあらゆる苦しみは、この鱗の量に比例します。

鱗を重ねていくごとに、どんどん世界が歪んで見えていきます。

その歪みが、そのまま苦しみや痛みとなって感じられます。

しかし、その人にとって、どんなに世界が歪んで見えていても、世界そのものが歪んでいるのではありません。

歪んで見せている「鱗」があるだけなんです。

いや、もう少し正確にお話するなら、『そもそも「世界」というものが実在していないのに、鱗があることによって、それが実在しているかのように錯覚してしまっている』という方がいいのかもしれません。

僕たちが感じているこの「世界」は、存在はすれど実在はしないマトリックス(超バーチャルリアリティ)です。

もし、このことを認められないのであれば、是非実在する「世界」というものを探してみてください。

突き詰めていけばいくほど、「世界」どころか「社会」や「国家」、あなたの勤める「会社」や、通っている「学校」も実在しないことがわかっていくでしょう。


「これはこれである」「あれはあれである」

「私は○○である」「彼は○○でなければならない」「彼女は○○をしてはならない」

「この事態は○○である」「この状態に私は○○な対応をすべきである」

などといった鱗の束が、その人独自のマトリックス(仮想現実)を生み出します。


このことを逆に捉えると、そういった観念から解放されるごとに、世界の見え方が変わっていく、マトリックスから脱していく、ということになります。

そして、あるレベルまで鱗が落ちると、世界の見え方が急激に転換します。

でもそれは、「ネガティブ(不幸)(負)が、ポジティブ(幸福)(正)になる」という質のものではありません。

「ネガティブ」も「ポジティブ」も、どちらも「鱗」であったことに気づく地点です。

「自分」も「他人」も「世界」も「時間」も、すべてが「鱗」を通して見えた幻影であったことに気づく地点です。


そしてその気づきは、一瞬の出来事です。

「じわじわとゆっくり目から鱗が落ちた」という経験をした人はいないと思います。

ウロコポーロは、「あっ!!」というインパクトがあってこそのウロコポーロです。

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」と、時間をかけて目から鱗が落ちた経験はありませんし、そういう人を、見たこともありません。

そしてまた、「わたしの目から鱗は落ちたでしょうか?」と、尋ねるのも何だか変な話です。

ウロコポーロは、「あっ!!」という明確な自覚があってこそのウロコポーロですから。


でも、人によって「一度に何枚の鱗が落ちたか」という差はあり得ます。

一枚ずつ落ちていけば小さな気づきの連続で、徐々に世界が変わっていくでしょうし、一気に何枚もの鱗が落ちれば、それに比例しただけのインパクトを感じることと思います。


で、その中に、日常の気づきとはちょっと次元の異なるウロコポーロ・ポイントが存在します。

そのポイントの特徴は、意識ステージの移行を伴うことです。

このステージの移行によって、理解できる法則や運用するツールが異なってきます。

このことは、また改めてご説明していきたいと思います。



さて。

ウロコポーロは、目の中に鱗があってこそ、はじめて経験できる喜びです。

もともと鱗の無い人が、ウロコポーロを経験することはできません。

さらに。

ウロコポーロは、目の中の鱗が、どんな鱗なのかがわからないからこそ、面白さがあります。

「うわっ!」とか「えええっ!!」という驚きは、それを想像もできなかったからこそ得られるものです。

既知の中に、驚きはありません。

だからこそ人は、自分が当たり前に実現できることを叶えても、そこに喜びは見出しづらく、なかなか叶いそうもないことが実現することの中に、確かな手応えや喜びを感じます。



鱗の量が増えることは、間違いなく苦しみを増やすことに繋がります。

しかしながら、鱗の量が多ければ多いほど、それが落ちたときの喜びは大きなものとなります。

視力のいい人が、わざわざ度の強いレンズの眼鏡をかけていると思ってください。

度数が合わなければ合わないほど、その眼鏡を外した時に開ける視界の良好さに感動することでしょう。

それは、「視力が矯正されたことによる喜び」ではなく、「もともと視力に問題がなかったことを知る喜び」です。


ウロコポーロの感動が小さくなるけど、その分苦しみを少なくするか、それとも、苦しみを沢山抱えて、その分ウロコポーロの感動も大きくするか、その選択・楽しみ方は、自由です。


とにもかくにも、自覚の有無にかかわらず、この世はこの「ウロコポーロ」を楽しむための仮想現実世界です。

いうなれば、神が創り出したゲーム、超リアル・オンラインRPG『幻想見聞録~ウロコポーロの冒険~』の世界。


このゲームは、人智を超えた、神の創造性によって生まれたクオリティを誇ります。

そのクオリティの高さゆえ、あなたはゲームの世界にのめり込みすぎ、ゲームの「キャラクター」になりきってしまいました。

ゲームの世界の外の次元にいる「プレイヤー」であることを、すっかり忘れてしまいました。

なんせ、誰もが納得の、とんでもない「このリアルさ」なのですから。


*****

このゲームをプレイする際の「意識」が、「キャラクター」の次元にあるとき、それは「自我」や「顕在意識」といった呼ばれ方をします。

そして、「プレイヤー」としての次元にあるとき、それは「ハイヤーセルフ」や「高次の自分」といった呼ばれ方をします。

さらに、意識が「ゲーム開発者」としての次元にあるとき、それは「真我」や「潜在意識」といった呼ばれ方をします。

*****


もしアナタがプレイヤーであることを忘れ、キャラクターと同一化してしまっていても、大丈夫。

そのことを嘆かないでください。

実は、その「忘却」すら、ゲームの一要素(ファーストステージ)として用意されたものだからです。



と、いうことで。

次回からは、この『幻想見聞録~ウロコポーロの冒険~』のゲーム構造と、いくつかに分かれるゲームステージの特徴をお話していきたいと思います。



【ライブ・インフォメーション】

「リラクゼーションハウス ゴールドマイン」さんから、ライブのお誘いとご協力をいただきました。

6月に、はじめて福井にお邪魔致します!

前回の福岡ソロライブに続き、プロジェクターを利用したプレゼンスタイルのトークライブを予定しています。

お楽しみに!

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    福井市手寄1丁目4番1号 AOSSA 6階
    JR福井駅東口から…徒歩1分
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※現在、このほかに、阿部さんとのコラボライブ「阿雲の呼吸」のツアー準備を進めています。

7月1日(日)仙台、7月7日(土)京都、8月4日(土)横浜、会期未定:名古屋・広島、という感じで予定しております。

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ウロコポーロ

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えー。

そんなこんなで、早速「ウロコポーロ理論」のお話を進めていきたいと思いますが、その前に。

まずはですね、この「ウロコポーロ」という、この言葉のニュアンスからお話していきたいと思います。


【ウロコポーロ】

目から鱗が落ちるさま。また、その人。



「目から鱗が落ちる」という慣用句を、ユーモアとともに見事に単語化したこの言葉は、もともと、僕が言い出したものではありません。

数年前に、あるコメンテーターさんから書き込みをいただいたものなんです。

で、コメント欄で拝見して、すっかり一目惚れしてしまいました。


いわゆる「目覚めの一瞥」の説明をするとき、聞くとき、「悟り」と言われると何だか偉そうだし、妙に仰々しい。

「アセンション」だと、何だかわからない。

「目覚め」や「気づき」なら、少し仰々しさは和らぐでしょうか。でも、一般的に使われる「目覚めや気づきと、何がどう違うの?」ということもあるし…。

でも、『ウロコポーロ』には、そういう違和感を感じさせない軽やかさがあったんです。


そしてまた、僕の経験を振り返ってみても、『ウロコポーロ』が一番しっくりする気がします。


と、言いますのもね…

この「目から鱗が落ちる」という慣用句を辞書で調べてみると、そこには驚きの事実が。


*****

目(め)から鱗(うろこ)が落(お)・ちる

《新約聖書「使徒行伝」第9章から》何かがきっかけになって、急に物事の実態などがよく見え、理解できるようになるたとえ。

*****


と、いうことで、この言葉の語源は「新約聖書」。そしてまさに「キリストを迫害していたパウロ(サウロ)が目覚めを経験し、回心するエピソード」から、来ていたんです。

で、さらに調べてみますと、この「鱗」は、魚の鱗のことではなく、蛇の鱗のことだそうで。(蛇の目は鱗で覆われています。 脱皮のときに目の鱗も一緒に剥がれるため、「目から鱗が落ちる」んだそうです)

w( ̄Д ̄;)w え~!ずっと、魚の鱗だと思ってた~!! まさに目から鱗!



とにもかくにも。

「目覚め」も「気づき」も「アセンション」も「悟り」も、その言葉の奥に、なんというか「何か新たなものを知った」というようなニュアンスを感じたりしませんか?

「覚者」と聞くと、どこか「あらゆる真実を知った人(過ちを犯さない人)」をイメージしてしまいませんか?

でも、僕がお話している「目覚めの一瞥」や「ウロコポーロ」のニュアンスは、それとは、ちょっと違うんです。

「すべてを知った」というよりも、「誤っていたことに気がついた」ということなんです。

「正しさを知った(得た)」のではなく、「鱗(思い込み)が落ちた」だけなんですね。

勿論、鱗が落ちた分、視界は以前よりクリアになっています。

でも、目の中にある鱗は、1枚や2枚じゃないんですよ。

「まだ入ってるのかよ!」と、さまーず三村さんのテンションで突っ込みたくなるぐらい、いろんな種類の鱗が入ってる。


だから僕は、「真実を知った者(覚者)」ではありません。「目から、いくつかの鱗が落ちた者」です。

そしてまたその経験から、「ウロコ」の存在と、そのウロコを目に入れたがる人間の心理に気づいた者です。

さらにさらに、一度落ちたウロコを、わざわざ目に入れ直したりもする者です(笑)


だから、僕がここでお話しているのは、絶対的な真理の提示ではありません。

そしてまた、僕好みの価値観・観念を広めることでもありません。

そうではなく、僕たち人間が、すでに持ってしまっている「自分自身の可能性を閉ざし、自らを不自由にしている価値観・観念(鱗)」の存在に気づいて欲しいだけなんです。


ここは大事なポイントなので、改めてお話します。


僕の話を「情報として得る」ことは、あまりオススメしません。

そういう使い方を前提としてこのブログに関わると、それは新たな「鱗」になってしまいます。

それは、僕のしたいことと真逆のことです。

僕の話は、あくまで「目から鱗が落ちる」を経験するための一つの切っ掛として使ってください。

「得る」のではなく「落とす」(厳密には「落ちる」。自我には落とせません)ために、使ってください。



それから、

お気付きの方も多いとは思いますが、僕は頻繁に「極端な話し方」をすることがあります。

前回の「指摘」のお話もしかりで、時に、その極端さに対して「黒斎さんは、そうやって断定的に話すけど、それだけじゃないよ、もっと別な解釈だってあるよ」というツッコミが入るわけです。

その指摘の数々は、確かにその通りなんです。

だから、そのご意見を排除するつもりも、僕の提示したものだけを押しつけるつもりもありません。


ただ、知っておいて欲しいのは、僕がその話(話し方)を持ち出したのは、別な意図があってのことだということです。

その意図とは、「無数にある鱗の中から、ある特定の鱗を、ピンポイントで落とそうとしている」というものです。

「その鱗」が目に入っていた人は、そのメッセージを切っ掛けに「あっ!そうか!」となる可能性がありますが、その鱗がない方にとっては、まるで意味を持ちません。

まるでピンときません。僕が、何を話そうとしているのかが掴めません。

だって「元からその鱗がない人」は、「その鱗があることで、どんな世界が見えるのか」が、わかりませんから。

そして、そのギャップの中に、様々な意見が飛び交い、収拾の付かない論争が生まれてしまうんです。

ですので、ピンと来ないときは素通りしてください。


このブログは、その媒体の特性上、不特定多数の方に対して発信されます。

しかしながら、話の内容は、閲覧者全員に向けられているものではありません。

たとえ僕が「あなた」と書いていても、それは「あなた」ではなく、僕が想定している「鱗の持ち主」に向けたものです。


ここにあるメッセージは、万人のためのものではありません。その話を切っ掛けに「あっ!」となれる人のためのものです。

まずは、そのことを改めてご了承ください。

そしてまた、余裕がありましたら、そういった観点からこのブログや本を、何度か読み直してみてください。

そうすることで、以前は何気なく素通りしていたところに、新たな「ウロコポーロ」が起こる事もあると思いますので。




【ライブ・インフォメーション】

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お楽しみに!

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本日、『月刊アレ!』の5月号が配信開始となりました。

よろしくお願いいたします!



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