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寵愛

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「神様に可愛がられる人」なんて言葉を聞いたことはあるでしょうか。

スピリチュアルや、自己啓発系のあれこれに関心を寄せている方でなくても、1・2度程度なら聞いた事があると思います。

周りを見回して、その境遇の違いに「何故あの人はいつも上手くいくんだろう?」「どうして私ばっかりこんな境遇なんだろう?」なんて感じて

ヾ(`⌒´メ)ノ″ 「神様って、なんだかめっさ不公平!!!」

みたいに思ったこと、ないです?


でも、「神の寵愛(ちょうあい)を受ける」っていうのは、何も神様が特別その人だけを「依怙贔屓」しているってワケではないんです。

今日は、そんなお話をしてみたいと思います。


(  ̄Д ̄) 『さて、それでは早速この話を「宇宙立この世学院」的に解釈しなおしてみよう。黒斎、「人間」が「生徒」ならば、この場合の「神」とは何だろう?』

( ̄д ̄ ) 「先生ですかね。」

(  ̄Д ̄) 『ってことは、「神様に可愛がられる」は「先生に可愛がられる」ということだね。先生が可愛いと思う生徒って、どんな生徒だと思う?』

( ̄、 ̄=) 「ん~…」

(  ̄Д ̄) 『それはね、やっぱり「意欲的に勉強に取り組む生徒」なんだよ。イヤイヤ勉強しているんじゃなくて、楽しんで勉強している子。そして、問題の「答え」をせびる子ではなく、問題の「解き方」を会得しようとしている子なんだ。一生懸命問題と向かい合っている子を見たら、やっぱり応援したくなるもんだよ。』

( ̄д ̄ ) 「なるほど」

(  ̄Д ̄) 『でも、優れた先生ほど、「答え」は教えてくれない。教えてくれるのは「解き方」。「解き方」を覚えないまま「答え」を埋めたとしても、似た問題や応用問題に出会ったときに、また躓くのが目に見えているからね。』

( ̄、 ̄ )「ふむふむ。」

(  ̄Д ̄) 『そういう視点で、過去、自分が行ってきた「神頼み」を見直してほしい。お前もずいぶんと自分の置かれた境遇に、あれこれ文句や不満を漏らしてきたね。それはいわば「教科書」を放棄している状態なんだよ。で、問題にぶつかる度に「答え(解決)」をせがむ。ね?偏差値の低い学校に通う、質が悪い生徒って感じでしょ?』

( ̄ε ̄;|||・・・ 「耳が痛いです…」

(  ̄Д ̄) 『教卓に、どんなに賽銭を投げられても、パンパンと手を打たれようとも、先生としては、「こんな教科書いりません。これ以上私に宿題を提出しないでください。また、今出題されている問題の答えもすぐに教えてください。」なんて言う、そんな生徒の声に耳を貸すわけにはいかないじゃないか。だって、そこで「答え」を教えてしまったら、いつまで経っても、その子の「学力」にはならないんだから。』





「教科書(自分の置かれた環境)」にしっかり向き合って、勉強に取り組む姿勢があるからこそ、先生は手を貸してくれる。

神様(先生)に可愛がられる唯一の方法は、「あるがまま(教科書)を受け入れる」ってことなんだよね。



←依怙贔屓でもかまいません。

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勤勉

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何のために生まれて

何をして生きるのか

答えられないなんて

そんなのはイヤだ!


何が君のしあわせ?

何をしてよろこぶ?

分からないまま終わる

そんなのはイヤだ!


今を 生きる ことで

熱い こころ 燃える

だから 君は いくんだ ほほえんで

(やなせたかし作詞「アンパンマンのマーチ」より)



愛と勇気のヒーロー、アンパンマンは、とても勉強熱心です。

「宇宙立この世学院」の課題である、『善とは何か?』に対して、「何をして生きるのか」「何が君のしあわせ?」と真っ向から切り込みます。

過去に捕らわれることなく、未来を憂うこともなく、「今」を生きることで、心が熱く燃える事を知っています。

「生きるぞ!」という気概の中にあるのは、「気張り」や「いきみ」ではなく、「ほほえみ」です。


「分からないまま終わる、そんなのはイヤだ!」と、ハッキリとした目的を持っているから強いんだね。アンパンマンは。



←(それでは、みなさんご一緒に)元気100倍! アンパーンチ!!

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入学試験

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さて、「宇宙立この世学院」シリーズの続き、新年一発目のお題は『入学試験』でございます。


( ̄д ̄ ) 「なに?この世に来るにも“お受験”が必要なの?」

(  ̄Д ̄) 『ここだけじゃない。学校だろうと、会社だろうと、そこに入る為の試験が必ずある。自分の能力を超えるレベルの学校や会社に入っても、結局ついていけなくて、辛い思いをするのは自分だろ?だからね、魂は必ず適材適所に移動することになるんだ。』

( ̄д ̄;) 「僕自身、どんな試験を受けたのか、すっかりさっぱり忘れているのですが…」

(  ̄Д ̄) 『そりゃそうだよ。「宇宙立この世学院」は偏差値が低すぎるからね。入学の際には、一切の記憶を消されるんだ。』

( ̄д ̄;) 「なんで偏差値が低いと、記憶を消されるの?」

(  ̄Д ̄) 『勉強がイヤで、すぐに逃げ出しちゃうんじゃ入学しても意味ないだろ?「あの世」を逃げ場にされても、こっち側としては困るんだよ。だから、一時的に「あの世」の記憶を消して入学する。』

( ̄д ̄ ) 「ある程度勉強に意欲的な人もいるでしょう?なんでその人まで記憶を消される必要があるの?」

(  ̄Д ̄) 『その意欲の目的が問題。中途半端に仕組みを知っていると「来世の為」に勉強を行う者が出てきてしまう。それではダメなんだ。』

( ̄д ̄ ) 「なんで?」

(  ̄Д ̄) 『例えるなら、いい会社に入りたいが為に、いい大学に進学しようとするのと同じ話。』

( ̄д ̄ ) 「いい会社に入りたいから、いい大学に進みたい。これの何がダメなの?」

(  ̄Д ̄) 『そこに「見当違いの仮説」が生まれているからだよ。』

( ̄д ̄ ) 「???」

(  ̄Д ̄) 『幸せの基準を、「会社」というもので捉えてしまっている。「いい会社に入る事が、幸せなのだ」と考えることで、「現在」を否定してしまっている。そこがおかしい。考えるべきであるはずの「いい会社に入りたい」という思いの根底にある、「いい会社」の「いい」とは何かを問うていないからだ。言っただろう?「この世」での課題は「善(よい)とは何か?」だと。』

( ̄д ̄;) 「そうかぁ…」

(  ̄Д ̄) 『「いい会社」とは何だ? 「給料が高い会社」のことか? 「福利厚生が行き届いている会社」のことか? それとも「残業がない会社」のことか? そもそも、「会社」は実在するのか? 池田さんの「学校」の話と同じだよ。「社屋」や「社員」は存在しても、「会社」というものは実在しない。社員が寄り集まったものを「会社」と呼んでいるだけだ。だとしたら、そこに居る社員が「いい」人間でなければ、「いい会社」であるわけがないだろう。自分が悪ければ(「よい」とは何かを知らなければ)、どんなに「いい会社」に入っても、入社した時点でその会社は「いい会社」ではなくなってしまう。』

( ̄д ̄;) 「なるほどぉ…」

(  ̄Д ̄) 『そういうワケで、「過去(前世)」や「未来(来世)」に振り回されず、ちゃんと「今」を見て勉強できるようにという配慮から記憶を消されるんだ。もっと偏差値の高い学校なら、そういう事もちゃんと分かっているから記憶を消す必要はないんだけどね。』

( ̄д ̄ ) 「へ~。ところで、僕が受けた入学試験って、どんなテストだったの?」

(  ̄Д ̄) 『出題される問題はたった一つ。「あの世」で行われる試験は、どこの学校に入るにも、どこの会社に就職するにもこれ一つだけだ。それは「Q.愛とはなんぞや?」という問題。この問題に対する答え次第で、その魂の行き先(偏差値)が決まるんだ。』

( ̄д ̄;) 「ちなみに、僕はその問題に何と答えたの?」

(  ̄Д ̄) 『「よく分かりません。」って。』

( ̄ε ̄;|||・・・ 「マジッすか…」

(  ̄Д ̄) 『マジッすよ。今だってよく分かってないだろ?』

( ̄ε ̄;|||・・・ 「いや…うん…たしかに…」

(  ̄▽ ̄) 『だからな、それを知るために、ここ(この世)に来たんだよ。』

( ̄д ̄;) 「はぁ…」



←過去に振り回されず、未来に期待せず、「今」のランキングを見てみよう!

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宇宙立この世学院.11

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「お墓参りや、仏壇に手を合わせる際、亡くなった方にお願い事や助けを求めるのは間違っている」という話を聞いた事はないですか?

この理由、やっぱりこの世を「学校」として考えると、分かりやすいんです。

亡くなった方・先祖ってのは、いわば先に卒業していった「OB・OG」です。

学校を卒業し、社会へ旅立った先輩に、「新しい教科書や教材をください。」ってお願いする図って、なんだか変ですよね。

社会での新しい生活を向かえ、忙しくしているであろう先輩に、「この問題分かんないんで、代わりに解いてください。」ってのも変ですよね。

先日お話したとおり、自分を取り巻く環境が、自分にとっての「教科書・教材」です。

で、僕たちが日頃の生活の中で遭遇する「諸問題」が、その教科書に掲載されている「問題」。

自分に出題されている問題が分からないからといって、それをOBに代行をお願いするのはおかしな話です。

だって、自分で考え、答えなければ、その人の学力・能力にならないじゃないですか。


「宇宙立この世学院高等学校」は、高得点を取得するための学校ではありません。

生徒ひとりひとりの学力を向上させる為の学校なんです。(学校って、本来そういう事だと思うのですが…)

だから、あの手この手でズルをして、出題されている問題の答えを埋めたとしてもダメなんです。

「解き方」をしっかりマスターしていなければ、同じような問題が何度でも出題されます。

この学校で重要視されるのは、「答え」ではなく「解き方」を身につけることですから。


だからね、卒業したてのOBは、手助けしちゃだめだよってことになってるんです。


あと、亡くなって間もない方は守護霊(主護霊)になれないって話、聞いたことありません?

これもね、同じような話なんですよ。


高校卒業してすぐに、そのまま教師にはなれないでしょ?

それと一緒なんです。

教師になるためには、高校を卒業した後に大学に入って、試験を受けて、教員免許を取らないといけない。

それと同じです。

「卒業後間もなく」ってことは、「在校生とそんなにレベルは変わらない」ってことです。

後輩に、「先輩教えて~!」って助けを求められて、『よし!助けてあげるぞ!』なんて感じで、代わりに答えを出したとしても、もしかしたら「間違った答え」かもしれないもんね。

だから、サポートを許されたとしても、せいぜい「助手」ぐらい。自分が主導権を握って教壇に立つことはできません。

で、ご先祖様が守護霊についてくれるってのは、ちゃんと大学卒業して、教員免許を獲得した先輩が、自分の母校に戻って教師になるって感じかな。


あ、あと、「補助霊」って聞いたことあります?

これは、先生は先生でも、どっちかというと「特別講師」って感じ。

教育大学を出て、教員免許を取得したってワケではないんだけど、ある分野に秀でているがゆえ、「特別講師」として教鞭をとっている。

教鞭はとっていても、「特別講師」だから「担任(主護霊)」ではない。



えーと。なんの話だっけ?

とりあえず、年末年始の帰省で、実家の仏壇に手を合わせる際は、「お願い事」じゃなくって

ヾ(≧▽≦)ノ 「センパーイ!元気でやってる? 僕たち在校生も、元気でやってるよー!」

って感じの「報告」にしておきましょう。



←手は合わせなくていいです。ポインタを合わせてください。

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宇宙立この世学院.10

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ジュセリーノは知りませんが、トツギーノなら知ってる黒斎です。

1週間遅れのネタでこんにちは。


えーと。流行ってるんですか? 予言。


じゃ、流行に乗って、僕も予言しちゃおう!

せっかくですからね、的中率100%の予言にしましょう。


では…










m9( ̄д ̄) 「あなたも、必ず死ぬ!!!」






m9( ̄д ̄) …







[電柱]ノシ  電柱に隠れーの。



[電柱]д ̄) チラッ  様子見ーの。



[電柱]д ̄)ノ”  手ぇ振りーの。



[電柱]д ̄)   お茶濁し~の、



[電柱]д ̄)  川=公=川  トツギーノ。




いや…

くだらない話はさておき…

ホントに僕たち、いつかは絶対に死ぬんです。

例外は、なしです。

死なない人がいたとしたら、それは多分、人間のカテゴリーに入らないですよね。

さて、ここで。

不思議だと思いません?

自分の命なのに、自分で自分の死をコントロールできないって。

いままで、とんでもない数の人たちが亡くなっているのにもかかわらず、自分の意志で死ねた人はいないんです。

あ。勿論、自殺は別の話ですよ。

それ以外での死ってのは、時期も、死因も、自分で選べないんですよね。僕たち。

そうやって考えてみると、やっぱり「生きている」つもりでも、「生かされている」んですよね。


いくら自分が勉強した気になっていたとしても、

( ̄▽ ̄)ノ” 「それじゃあ僕、そろそろ卒業したいんで、これから心臓止めまーす!」

ってワケにはいかない。


卒業証書を渡すのは、「生徒」じゃないよね。

どこの学校を見たって、その役割は「先生」の仕事だ。


単位取得のジャッジってのは、やっぱり自分を超えた「何か」が行っている。


いまだこうして生かされているって事はやっぱり…


(  ̄Д ̄) 『しっかり勉強し~や。』


ってことだと思いません?




←ブラウザ立ち上げ~の。blog読み~の。ボタン押し~~の、トツギーノ。

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