軽井沢雨宮敬次郎氏の邸宅を訪れて。

2007年09月25日 | 
SBCラジオで軽井沢の故雨宮敬次郎氏の御殿で、クラフト展が今月末までの週末開催されているのを聞いた。長野県には軽井沢と安曇野に作家の皆さんが多く住まわれ製作活動に励まれている。家の中で仕事をしているので、交流が少ないが今回のクラフト展でお互いの交流ができて良かったと結んでいた。

 確かにお茶席で出展者らしき皆さんが情報の交換をしている姿をお見かけした。
軽井沢が芸術家たちの製作の場になっているとは、時々見かけるアトリエの看板で知ってはいたが、また感慨を新たにした。

 中でも青木智恵子さんの焼き物と田所桂華さんの書とそれに添えられた詩に心惹かれた。

 本当のことを言えば、クラフト展は二の次で実は雨宮御殿を見たかったからだ。
すぐそばに叔母の家があり、子供の頃雨宮家の池でスケートをするのが楽しみだったのだ。最近まで黒塀に囲まれた広大な敷地は外から伺うことも出来なかった。
それが最近町に寄贈になり、公開されるようになったとのこと。

 明治の企業家、日本の鉄道王とまで言われた方の邸宅、興味が湧かないわけが無い。高い天井・ケヤキの格天井に床板・・・・さすがさすが。柱はと見れば私の目には唐松のように見えるのだが・・・・豪快に割れまで入って・・・・。

 障子のデザインも外部の窓ガラスのデザインも斬新だ。ガラスはあの昔のいびつのまんまだ。階段も螺旋階段。でも全体的にシンプルで大胆な造りだ。

 床の間に彼の年譜と写真があった。甲州生まれで13歳で起業家を目指した彼は、欧州を訪れた後、石油などの貿易や蚕卵紙の思惑や銀相場で失敗。その後製粉業を起こし軍隊用のパンの製造で成功。また紙幣下落防止に奔走し「世のため」「人のため」「国のため」という精神力がうかがえる業績を残している。

 その彼が肺病を患ったのを機に軽井沢に来、広大な土地の開墾そして植林事業に入っていくのだ、落葉松や樅を700万本以上を植林し今の緑豊かな姿に変えたのだという。
・・・・そこまで読んで、唐松の柱に納得したのだった。

 その後彼は近代産業に活躍の場を移し水力電気や甲武鉄道・川越鉄道・東京市街鉄道などの鉄道事業や製鉄事業を起こし日本の鉄道王と言われ、先見性のある企業家として多くの偉業を残し、1911年66歳で亡くなっている。

 学生時代の友人がこの雨宮家に縁があり、聞いてはいたが本当のところは理解していなかった。
昨日の軽井沢は霧に包まれて14度。寒い・・・・日でした。
                       美恵子
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする