唐松について考える。

2007年09月27日 | 信州の木材
 今山に大きな変化が起きている。不気味だ。長野県は山国なのに早くから輸入材の製材に明け暮れた地域だ。さすがに戦後植林された木が間伐からいよいよ本格的な伐期を迎えるようになり、国産材に移行してきた。しかし唐松を建築材に使うためには、乾燥技術の向上を待たねばならなかった。そしていよいよ乾燥技術も完成の域に達した昨今である。

 ここにきてロシアからの輸入事情が変わった。ロシアも国力が付き丸太の輸出に関税が大きく付くような方向になったのだ。来春から25%そしてその後は80%に上がるのだという。

 それに大きく反応したのが、合板工場なのだ。かってベニヤは南洋材が主であったが、南洋材の輸入ができなくなって、針葉樹に変わってきたのだ。針葉樹特に唐松に関してはその特性のヤニの処理が問題だったが、それも技術力でクリヤーした。

 ロシアからの唐松で製造していたが、それが大変となると・・・・そうなのだ、国内の木材に目が向いた。これが使う量が莫大なのである。

 今まで8割もが伐り捨てにされていたことから考えると救世主のようなものだとも考えられる。しかし現実はそう簡単なものではない。

 ここにきてじわじわとこの合板会社の動きが私たち製材工場の集材に影響をもたらしてきている。
 単価の上がるのは仕方が無いとも言える。そうしなければ山の再生・循環はないからだ。しかしそれなりの体制が整わない内の一方的な動きは、大きな反動を起こすだろう。
 
 今まで港湾にあった合板工場はもう内陸に工場を作り始めるという。

 長野県の森林整備事業では、今まではほとんど出材しなかった。我々にしても、出材しても需要がないので、それをどうすることもできなかった。しかしこれからはその入札方法の見直しも必要だろう。

 さらに今まで売れなかったものが売れる時、いや売れたにしても価格が高い訳ではない今、そのお金が植林に回るかだ。伐りっ放しした場合のその後・・・・自然に任せようという気運がでているのは事実だ。だが重機が入った山の痛みは災害を生み出す。平なところならともかく本当に山といったところでは、1度地表の土が流れると再生はむずかしいのではないか。

 人口が減り始め、住宅の需要が少なくなるまでの、この10年が日本の山の勝負どこだと思う。輸入に頼れる時代ではない。合板を使わない家・・・・考えちゃうな。一番は長く持つ家を建てることなのかもしれない。

これだけ地球を汚してきた我々が未来の子供たちのために何を残せるか考えたい。

 唐松の話になると、熱くなってしまう。
                             美恵子
コメント
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