50年後、100年後の子供たちに何を残せるか。

2008年01月15日 | 日々のこと
 元旦の新聞を開いた時、すべてエコだという雰囲気だったけど、バリ以来から今春に入っても何事もエコという感が強くなっている。

 あの京都議定書以来遅きに失した感がある。あの時「排出権取引」の言葉を知った。先進国が札びらを切って、自国の努力なしに辻褄あわせをするのかと思ったものだった。その後その中味も多少分るような情報も得られるようになったが、やっぱりスッキリしない。

 あれから10年も経つのに、二酸化炭素が削減しているような生活には程遠い。
エコバックなるものが、どこのお宅でも頂き物だけでも10や15はあるはずだが、利用している人は幾らもいない。私も人のことはいえない、まだまだ習慣になっていない。それでもレジ袋1枚を作るのに、この位の油が要ります、とコップを見せられた時はさすがにショツクだった。

 レジ袋有料の話が出ても、実際そうしているところは多くない。地球の温暖化を本当に阻止するつもりなら、1枚30円位にするべきだ。中途半端なことをしていたらもう間に合わないところにきていないだろうか。

 空き缶のポイ捨てにしてもそう思う、缶に1本に付き30円をつければ、さすがにポイ捨てはなくなるだろう。
 
 先日の台湾で、自動販売機がほとんど見当たらないことに気がついた。コンビニの数が増えて、自動販売機が姿を消したのだという。そんなに多くの国を知っているわけではないが、日本のように自動販売機が多い国はない。ほとんど見たことがない。
 夜煌々と輝いている自動販売機を見るにつけ、あれをやめるだけでも、二酸化炭素の削減に効果があるのではと考えてしまう。

 いろんな包装のムダも叫ばれて久しい。簡素化されたものもあるが、それでも贈答品のものにはまだまだ多い。捨てるには忍びない包装にため息がでる経験をされる方も多いだろう。その包装で食べている人もいるから、何とも言いがたいが、私たちの意識がものすごくずれているのだと思う。いや消費することに慣れきってしまっているのだと思う。

 18年前に訪れたドイツでは、瓶の形が統一されて、分別回収されているのを見て驚いた。スーパーマーケットで買い物をしても、レジ袋は付かなかった。

50年後、100年後の子供たちに私たちは何を残してあげられるのだろうか。
                           依田 美恵子

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