私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

応援の応援

2014-06-15 09:48:45 | お出掛け日記
愚息の通う高校と家人の母校の野球定期戦が清水庵原球場で行われ天候も良いので出かけてみる。
昭和59年から始まったこの大会は今年で30回目。校名が変わったので正式には2回目です。

16勝している家人の母校と13勝の愚息の高校。今年は何方が勝つのでしょうか。

愚息は部活動とは別に応援団にも所属しており、週末は部活か応援のどちらかで家に居た事が無い。そんなに夢中に成る応援ってどんな感じなのか実際に応援団(父兄席)に混じって応援してみたいと思うのでした。

小生、高校時代は吹奏楽部でしたから夏の高校野球の応援には行きましたが直ぐ負けたので本当にひと夏の経験と言えます。



しかし、愚息は応援団なので、野球、サッカー、ハンドボールなど、毎週のように出掛けており声はガラガラに成りながら、受験の間休んで居た極真空手をの稽古を再開してしまい、一体いつ学業に勤しむのか首を傾げたくなるのだけれど、ここはぐっと我慢して見守る事にしている。(これが中々苦労する)

団旗を持つ事が嬉しいらしくて全力で支えている姿を見ていると、ぐっときますね。(バカ親)

この学校の応援に「サンバ」がある。
それは校名だけではなく選手全員の名前(ベンチに居る選手も含めて)に「ガンバレ」を付けて連呼するのですが、野球の応援は攻撃時だけなので淡白な攻撃の時は妙に冷や冷やするのでした。

何故なら、3球ほどで2アウトに成ったりすると名前の半分も言えて居ない。チェンジに成ったら応援が打ち切りに成るから其れでは何だか申し訳ない気持ちに成るのです。幸い粘ったバッターが出塁し無事に選手名を一通り連呼で来てホッとしてしまい、試合内容よりも応援出来た事に満足するのでした。(本末転倒)



「フレフレ少女」(新垣結衣主演)の影響でしょうか、女子の応援団員が学ランを着て応援団の先頭に立っているのを見ると時代を感じます。
彼女たちがこの大太鼓も叩き、良く通る女子の声の方が意外と受けが良いようです。


小生には猫パンチで相手チームを倒す様に見えました。(押忍:おしにん)
試合結果は序盤に大量点を入れた家人の母校が勝ちました。
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合唱演奏会

2014-06-09 06:05:46 | 気儘に散策
「清水合唱団第34回演奏会」がマリナート(静岡市清水文化会館)で行われ家人に連れられて聴きに行きました。

「清水」に行くなら新清水からJR清水駅まで街を見ながら歩く事を提案し、新清水のバス停に降り立つと「アミー」のある古いビルがひときは歴史を感じさせます。解体されるのも時間の問題でしょうか。

この写真で「新世界」入口が分かる人は「清水通」ですね。

此処を渡るとはいい度胸です。



日曜日の正午前なのに此人通りに唖然とするばかりです。

開場時刻よりも早目に出て来ており、立ち寄りながら歩く積りが開いている店が少ないのであっという間に通り過ぎてしまった。「小台湾」でランチを食べて少し時間を潰そうと思ったのだけど、こういう時に限って手際よく料理が並び食べ終わってしまうのでどうしようも有りません。

店もそこそこ混み始め「長居は御免」とばかりに店を出るのだけど此処から清水駅までに気の利いた喫茶店が無い事を再確認しながら歩き続けるのでした。



清水駅のコンコース。マリナートは此処から回廊を通って行けるので雨の日でも安心ですね。

パルちゃんとまる子ちゃんが交互に吊るされている。



コンコースからマリナートを見ると既に行列が出来ている。そんなに焦らなくても大丈夫なのだろうけれど年寄り(自分も含め)は暇だから早く来てしまうのでした。

ワールドカップ日本代表の「内田篤人」選手(清水東出身)の横断幕が掲げられ郷土の代表を応援しているのでした。



清水駅みなと口


「もしかして-PARTⅡ」

山根さんの演出・振付に団員もノリノリでした。

「銀のロケット」(涙のリクエストの歌詞でポケットから出す)も受けていましたがテノールの器質でしょうか。



演奏会はお約束の様にミサ曲で熟睡してしまいました。(笑)

後半ポピュラーステージの「主人公」(さだまさし)では昔の事を思い出して目頭が熱くなり自分はまだまだ若いんだと言い聞かせるのでした。

アンコールが起こる中で会場全員で歌う事に成った「花は咲く」。(歌詞カードはプログラムに挟まれている)

後ろの席のご婦人達は何処かの合唱団の方の様で、強烈なソプラノが後頭部に突き刺さり思わず負けそうでしたが、音程そっちのけで思いっきり声を出したので気分爽快でした。

この日は「音楽の力」を感じられて良かったです。体の中に火が付いたような気がして「一緒に歌いたい」(アンケートの質問事項)に丸を付けてしまいましたが、よく考えれば本日の様な事(客席で歌う)って意味なので入団は辞退させていただきました。(笑)
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妄想戦国

2014-06-04 05:16:17 | お出掛け日記
山形県西置賜郡白鷹町。フラワー長井線荒砥駅(終点。起点は赤湯駅)。
1913年(大正二年)に赤湯-梨郷(りんごう)間が開通したので、昨年、開通100周年のイベントをやっていますが、梨郷-長井間が1914年(大正三年)に延伸開業したので今年も開通100周年のイベントをやっている様です。(構内にそんなポスターが貼ってある。)

その後1922年(大正11年)に長井-鮎貝(あゆかい)間、更に1923年に鮎貝-荒砥間が延伸開業しているのでこの町の開通100周年イベントは(やるかどうかは知らないけど)9年先ですね。

子供の頃母の実家に帰省する時は必ずこの駅に降り立ったはずなんだけど当時を思い出させるものはなにも有りませんでした。そりゃあ50年も前の建物なんて有る筈も無いし、いつか知らないけど町を分断するように国道が開通したので、様変わりしています。

駅舎は荒砥駅前交流施設と看板を掲げており左側は八幡二公民館、右側は資料館に成っています。残念ながらこの日は臨時休館日で中を見る事は出来ませんでした。(改札業務も休み。言うなれば無人駅)

そう言えば券売機が見当たらないけど、切符は何処で買うのかな。車内に車掌が乗っているのかな?(田舎のバスみたいに)
検索すると車掌が乗る時間帯も有る様ですが基本はワンマンカーらしいです。(笑)



改札口と言う通せんぼをする物が無いので其の儘ホームに出てみると(当時もホームには自由に出る事が出来た)やっぱり何も当時を思い出させる物は無いのだけど、電線が無い事(今もディーゼルカーだから)は以前と同じでした。

遠くで汽笛(の様な物)が聞こえ列車が近付くのを知るのだけど、遮る物が無いから遠くの音までよく聞こえるので何処まで近づいたのかいつもの感覚とは違うようです。(いつまで待っても列車が見えない)

この時間高校生(小中学校は近くに有るし、旦那の帰宅には早すぎる)の利用が多いらしく、お迎えの自家用車が駅前に集まり始めました。

町営の送迎バスも駐車場に到着し駅前が俄かに賑やかに成って来たのでその場を離れる事にしたのだけど、今思えばどれだけの乗降客が有るのか見て置けば良かったと思うのでした。(朝晩は車両を増やすと聞いたので大勢降りたのだろうか)



荒砥駅前にこんな木看板が立っており興味を引くのは(もうひとつの関ヶ原)と「荒砥城」と「かぶと松」の文字です。城が有ったとは知らなかった。
かぶと松は置賜フォーラムにも巨木として紹介されていました。

「荒砥城」の検索をすると長野県の「荒砥城」が沢山出て来てちょっと苦笑いをするのですが、気を取り直して「山形」を追加して再検索する。

荒砥城

歴史:「石那田城」、「八乙女城」とも呼ばれるこの城。伝承では、源義家がこの地に岩清水八幡宮を勧請したのが初源とされ、その後永長年間に荒川次郎が城を築いたとされています。

江戸時代になってからは、現在の荒砥地区公民館にある郭面に御役屋がおかれ統治管轄の中心となっていました。

構造:最上川右岸の独立丘を削り帯郭、腰郭、空堀を巡らせた平山城。二の丸と根小屋を囲む水濠の一部、町屋を囲む堀跡の一部が今も確認されています。置賜文化フォーラムより


駅の目の前に有る丘陵(現在は八乙女八幡神社がある)が荒砥城跡だったとは知りませんでした。気にして無かったので写真もないし、今までに登った事さえも有りません。今度是非登って見たいと思います。(春風亭昇太師匠(清水出身、城マニア)が来る前。)

さて、狐越海道とは、山形県道17号線の事。

慶長5年(1600年)6月会津征伐に出陣した徳川家康が、石田三成の挙兵を知り反転。家康の脅威がなくなった上杉景勝(反徳川の急先鋒)は最上義光(家康と強固な同盟関係)攻略に動く。当時置賜地方は最上義光と血縁関係が有る伊達氏の支配下だったが上杉氏と一時的な和睦が成立する。

上杉軍は慶長5年9月8日米沢と庄内の二方向から最上寮へ侵略を開始する。その総大将が米沢城主直江兼続で2万とも3万とも言われる大軍をもって最上領内に攻め入るのでした。

その時に此の荒砥城から狐越街道を通って畑谷城を攻め落とし長谷堂城に向かうのでした。
出羽合戦が開始された直後の9月15日には関ヶ原の合戦で東軍の勝利となりその知らせが届いたのが9月29日頃とされ10月1日、兼続は全軍退却を命じる。

来た道を戻るのですが激烈な追撃戦に成ったようです。
そんな歴史の道を通ってみたいですね。知ってから通るとまた見えてくる風景が違います。


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結ぶもの

2014-06-02 06:06:10 | 気儘に散策
この頃朝の気温も高くなり、朝靄と言うか、霞みがかる事が多く富士山が見えない事が有ります。
休日ぐらいは富士山をゆっくり見たいと思うのはいつも富士山を見れる環境に居る人間の身勝手である事は知っています。

いつもの様に日曜日(第一と第三)恒例の朝市に出掛けると客の出足が早く人気店の前(試食が有る)では人が集まっていて興味が湧いて来る。後ろからそっと覗くとそれはトマトの量り売りで自分で選んだトマトを買いたいだけ買う事が出来てちょっと楽しそうですね。
ただ、今日は出遅れてしまったので選べるトマトが少なくなっていたので、列の後ろ並ぶのはやめて檸檬屋と呼ばれる農家に顔を出すけど此処も接客中なので通り過ぎる事にした。

櫻珈琲も買物客で忙しそうだったのでちょっと離れた所で待機しながら人工砂浜を眺め、目線を空に向けるのでした。



頭の上の観覧車を見上げるとハート模様が施してあり内装にレースが付いているゴンドラが数基有り、あれは何かと近くに居たお客さんに聞いてみると、カップルゴンドラで、あの中で告白するとカップルが成立するらしいと聞いて驚きました。(縁結び?)

然もちょっとしたルールが有って告白する人は時計で言う10時(短い針)までに行い、返事をする人は10分(長い針)までにしなければならないそうだ。別な意見も有って12時までに告白してOKを貰わなければならないとも言うそうだ。

へ~そんなルールが有るなんては知らなかった。観覧車に乗るなら冬がお勧めですが(富士山が良く見える日が多い)告白するのはいつでも良いですね。夜の方がロマンチックかも。乗った事無いけど。(笑)

いずれにしても一緒に観覧車に乗るんだから嫌いな人と乗る事はまず無いでしょう。でも、もし「ごめんなさい」と言われたらゴンドラの中は気まずいでしょうね。想像しただけで寒くなる。




きくらげのピクルス(どちらかと言うと酢付の方がしっくりくる)を買ったのだけど、顔見知りに成った店(白と水色のパラソル)の人が夏ミカンのピクルスを試食してみたらと言うので食べてみたのだが、はっきり言ってまずい。

店の人は「酸っぱい夏ミカンを酢の酸味で打ち消そうとしたら倍に成っちゃった」と大笑いをするのでした。それにつられて思わずこりゃ駄目だと言ってしまいましたが店の人も納得。
「試食はナンバーワンなんだけど売り上げはワーストワンなんです」と付け加えるのでした。それにはこちらが納得。

酢漬けを作る積りで生のキクラゲを購入し、もし上手の出来たら次回キクラゲを二袋購入、上手く出来なかったらキクラゲのピクルスを購入する事を約束して朝市を後にするのでした。


追記(6/7)キクラゲの酢漬けは思ったよりも美味しく出来上がり自己満足に嵌っています。ただ、そんなない沢山はいらないので次回二袋購入するって約束は無かった事にしたいです。
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再生

2014-06-01 05:31:26 | お出掛け日記
国指定天然記念物「伊佐沢の久保ザクラ」(山形県長井市)

エドヒガンの巨木。老木の為幹の中心部が朽ちており樹齢の特定は難しいが推定千二百年と言われているそうだ。

幹内部に火を受け、世代交代をさせる不定根と呼ばれる根が発生しにくい状態に成ってしまい平成十八年から内部の治療
を始めたそうだ。
平成二十二年にはその不定根が見つかり樹勢回復の効果が確認出来たと記載されている。

この桜を見てはっと思ったのは地元清水の「羽衣の松」(先代)にそっくりだったからです。
老木を支える支柱はみんな同じと言えばそれまでですが、こんな姿を見ると余りにも痛々しい。

それでも新しい枝が増え再生していこうとする樹木の力は素晴らしい。「羽衣の松」は塩害とマツクイムシで手の施し様がなく先頃伐採され残念に思っています。(現在の「羽衣の松」は、世代交代(違う松を羽衣の松に認定)が行われ若く元気な「羽衣の松」が有ります。)



今回の山形行きは、母の義姉と実姉の見舞いと言うか様子見と言うか…。
昨年訪れた時、小生は全く認識してもらえず母より年上に見えると言われたのがショックで少し節制をしたのが良かったのでしょうか。名前を思い出してもらえて「随分大きくなった」を連発され、一体何歳の時の小生と比べているのか聞きたくなるのだけどしないでおきます。

同じ事を何度も何度も聞かれ、その度に同じ事を答えるのですが、これは昔の記憶と目の前の事を繋ぎ直す作業をしている様で少しでも繋ぎ直せれば良いなあと思うのでした。

「この二人が元気な内はまだ頑張れる」と今年八十三歳に成る母が言い、それを聞いて此方もホッとするのでした。
果たして来年も行けるでしょう。これから一年また頑張って生きて行こう。





2005年5月に家族と訪れた時の「久保ザクラ」
真ん中の愚息は両端の二人よりも背が高くなっています。(笑)
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