「聖なるもの」を読む。ルドルフ・オットー著。岩波文庫。
彼によると宗教の根源は、「人間を畏怖させ、かつ魅了する、非合理的なもの」、だという。逆に、「よく組織立てられた神話は、体系化されたスコラ神学と同様に、宗教の根本現象の平板化であって、しかもその後では宗教そのものを除去するようになる」。
それを言葉で合理的に「示す」ことは不可能で、ただ類似の現象によって「指し示す」ことができるだけだという。そのような現象の例として、音楽が挙げられている。その中でオットーは、歌劇を批判する。「・・・・・音楽と劇とを徹底的に結びつけようと試みる歌劇でさえも、音楽の非合理的精神を殺し、かつ両者の自律性に背反することである。・・・・・音楽そのものは決して、人間の心を本来的内容とせず、かつ心の普通の表示法と併行している第二の語り方でもなく、かえって絶対他者であって、なるほど一部分は人の心と類似しているが、細かな点まで一致しているのではないからである」。
だが、これこそは彼自身が批判している合理的・概念的なものの見方、というやつではないだろうか。音楽の非合理的精神が活きている歌劇の実例を、私たちは知っている。もしもオットーが時空を超えて、J・A・シーザーに出会ったら、彼はこう叫ぶに違いない。「おおっとお!!」