↑ ナオミとルツの歩いた道
〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本キリスト教 富 谷 教 会
年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』
聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者
たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わた
したちは知っている。」(ロマ8:28)
週 報
受難節節第三主日 2014年3月23日(日) 5時~5時50分
礼 拝
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 298(ああ主は誰がため)
交読詩編 103(わたしの魂よ、主をたたえよ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 ルツ記1章1~22節
説 教 「ナオミとルツを顧みられた主」
辺見宗邦牧師
祈 祷
賛美歌(21) 528(あなたの道を)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 3月30日(日)午後5時~5時50分
説教 「主はサウルを王を退ける」
聖書 サムエル記上15章10-23節
本日の聖書 ルツ記1章1~22節
1士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。 2その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ。 3夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。
4息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、 5マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された。 6ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし、嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。 7ナオミは住み慣れた場所を後にし、二人の嫁もついて行った。
故国ユダに帰る道すがら、 8ナオミは二人の嫁に言った。「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。 9どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」
ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、 10言った。「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」
11ナオミは言った。「わたしの娘たちよ、帰りなさい。どうしてついて来るのですか。あなたたちの夫になるような子供がわたしの胎内にまだいるとでも思っているのですか。 12わたしの娘たちよ、帰りなさい。わたしはもう年をとって、再婚などできはしません。たとえ、まだ望みがあると考えて、今夜にでもだれかのもとに嫁ぎ、子供を産んだとしても、 13その子たちが大きくなるまであなたたちは待つつもりですか。それまで嫁がずに過ごすつもりですか。わたしの娘たちよ、それはいけません。あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから。」
14二人はまた声をあげて泣いた。オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。
15ナオミは言った。「あのとおり、あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰って行こうとしている。あなたも後を追って行きなさい。」
16ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き、お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。 17あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」
18同行の決意が固いのを見て、ナオミはルツを説き伏せることをやめた。 19二人は旅を続け、ついにベツレヘムに着いた。
ベツレヘムに着いてみると、町中が二人のことでどよめき、女たちが、ナオミさんではありませんかと声をかけてくると、 20ナオミは言った。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。 21出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」 22ナオミはこうして、モアブ生まれの嫁ルツを連れてモアブの野を去り、帰って来た。二人がベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れの始まるころであった。
本日の説教
ルツ記1章1節に、「士師が世を治めていたころ」とあるように、「ルツ記」は士師記の時代の物語です。ルツ記は士師記とサムエル記上の間に配置されています。ルツ記は4章からなる短い物語ですが、旧約聖書中でも最も美しい、すぐれた文学作品の一つとも言われています。ルツ記は史実に基づいた感動的な物語です。
士師たちがイスラエルを治めたいた時代(紀元1200~1020年頃)、飢饉がカナンに移住したイスラエルの国を襲いました。ユダのベツレヘム出身のエリメレクは、食糧を求めて、妻ナオミと二人の息子マフロンとキルヨンを連れてモアブの野へ移り住みました。「モアブの野」とは、死海東岸の浜辺にあります。かつてアブラハムの甥ロトの子モアブの子孫が住んだ所です。
モアブの野に移住してほどなく、夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死にました。
その後、息子たちはモアブの女を妻としました。一人はオルパ、もう一人はルツという名前です。十年ほどそこで暮らしたが、マフロンとキルヨンの二人も、死にました。ナオミは異国の地で、夫と二人の息子に先立たれ、一人残されました。
このように、ルツ記は悲しい出来事から物語が始まります。エリメレクの家族が、神に与えられた地、カナンを離れて、異国モアブの地へ、食糧を求めて移住したことが、神のみこころにそわないことであった、と解する方々がいます。また、息子たちが異邦人のモアブの女と結婚したのが良くなかったと解する人たちがいます。そのために、エリメレクも、二人の息子も死んだと言うのです。「ルツ記」の場合、このような理解は間違っていると思われます。エリメレク一家がモアブに行っていなければ、また息子たちがモアブの女と結婚していなければ、またルツが寡婦にならなければ、ルツとイスラエル人ボアズとの結婚はありえなかったし、ルツがキリスト誕生のための系図で役割をは果たすこともなかったでしょう。「ルツ記」は、異邦人に対するイスラエル人の偏見や差別を無くすために、書かれている書であることを知らなければならないと思います。2章12節で、ボアズはルツにこう言っています。「イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」
ナオミは故国で、主が民を顧みられたので、食糧が得られるようになったことを聞き、モアブの野を去って、国に帰ることにしました。嫁たちもしゅうとめに従いました。
故国のユダに帰る途中、ナオミは彼女についてきた二人の嫁に言いました。「あなたたちは自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれました。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを与えてくださるように。新しい嫁ぎ先を主から与えられ、幸せに暮らすように」、と再婚をすすめ、祝福しました。
ナオミは自分のことよりも、二人の嫁の幸せを願ったのです。そして一人で残りの生涯を送ることを決意したのです。
ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、言いました。「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」
ナオミは、「わたしの娘たちよ、帰りなさい。どうしてついて来るのですか。」彼女には二人に夫として与える子供はいないし、子をもうけるにはあまりにも年老いている。さらに彼女に将来子供が生まれたとしても、二人の嫁にとっては若すぎるだろう。わたしについて来ても将来はおぼつかないのですと、くりかえし嫁に帰ることをすすめました。
二人はまた声を上げて泣きました。オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしましたが、ルツはすがりつき離れようとしませんでした。
ナオミはルツに言いました。「あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰ろうとしています。あなたも後を追って行きなさい。」
ルツは言いました。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き、お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。」
ルツはどこまでもナオミについていくと言うのです。ルツのしゅうとめに対する愛と思いやり、その忠実さには胸を打たれます。
ルツの決意が固いのを見て、ナオミは説き伏せることをやめました。二人は旅を続け、ついにベツレヘムに着きました。
ベツレヘムに着くと、十数年ぶりで帰郷したナオミたち二人のことで、町中に騒ぎが起こりました。女たちが、ナオミさんではありませんかと声をかけてきました。
ナオミは、「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」、と自分のいつわりのない心境を口に出しました。
ナオミは二人の嫁に別れて帰るようにすすめたとき、「あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下さたのですから」(1:13)と語っています。あなたたち二人も若くして夫を亡くしつらいでしょうが、私の場合、災いを私が信じる神が下されたのですから、私の方がはるかにつらいのです。あなたがたも、耐えてくださいね、と言っているのです。ナオミは災難を神が与えた試練として耐えたのです。
しかし今、故国の人々の前で、全能者が自分をひどい目に遭わせたと、耐え難い悲しみを、吐露したのです。ナオミ(快い)という美しい自分の名前さえも否定して、マラ(苦い)と呼んで下さいと訴え、自分の見栄や体面を捨て、ありのままの姿をあらわにしたのです。
「出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに」とナオミは語りました。出掛けた時は愛する夫と息子たち一緒で、こころは満たされていたが、故郷に帰ってきた今は、家族も失い、心の中まで空っぽで、何もないと、言ったのです。
ナオミが「全能者がわたしを不幸に落とされたのに」と言った、その言葉は、神に対して愚痴をこぼし、不平不満を表したのでしょうか。それは神に対する非難であり、恨みの思いが込められているのでしょうか。確かにそのように受け取られてしまうような言葉です。そして、そのように注釈する方々が多いのも事実です。なかには、ナオミは絶望と苦痛から神を呪っていると解する人もいるほどです。果たしてそうでしょうか?
ヨブが言ったように、ナオミは全能者である主は「与え、奪う(ヨブ記2:22)」方であると信じているのです。全能者である神が与える、幸せも不幸も、どちらも受けなければならないと思っているのです。そして、不幸には耐えようとしているのです。与えられた不幸の苦しみと嘆きからの解放と救いを神に求めているのです。
ナオミは嫁たちと別れようとしたとき、「どうか、主があなたたちに慈しみを与えてくださるように」と言って祝福しています。ナオミは、主が慈しみを与えてくださる方であることを信じているのです。ナオミは、神が自分に与えた不幸を嘆いています。しかし、それは主の慈しみをひたすら求めていることが、かくされているのです。
これは人々への言葉です。主に対する祈りの言葉ではありません。ナオミを癒すことができるのは、主の他ありません。おそらくナオミは、詩編86篇のような祈りをささげているのでしょう。「あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています。・・わたしに親しいのは暗闇だけです」と。苦しみを神に訴え、嘆願することは、きわめて信仰的なことなのです。それは神を非難しているのではありません。
私たちも「神様、どうしてこのようなことをなさるのですか?」と言わずにはいられないほどに、納得のできない試練にあうことがあります。旧約聖書には、ヨブ記に記されている義人ヨブも、突然の災害で財産も子供たちも失いました。ヨブは嘆き、生きることを厭い、神にその苦しみを訴えました。主イエスも十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と悲痛な叫びをあげて神に叫んでいます。
慈しみ深い神は、ナオミをそのままにはされません。顧みておられるのです。ナオミのそばに、「あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。」とまで言う嫁ルツを着き添わせています。
ナオミは、「出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです」と言っていますが、主は決してナオミをからっぽにして帰らせていません。ナオミは、のちにイスラエルだけでなく、全人類の救い主となる主イエス・キリストの誕生の系図にあげられる異邦人の女ルツを故郷に連れて帰ったのです。
その後、エルサレムでルツはしゅうとめに寄り添い、落穂拾いをしながら生計を立て、しゅうとめに孝養を尽くしました。ルツ記の2章、3章には、落穂拾いをしながら、一生懸命にしゅうとめに仕えるルツの姿に感動したボアズ(「彼に力あり」の意)との出会いが記されています。ボアズは、しゅうとめの夫エリメレクの一族に属する親戚で、裕福な有力者です。ルツはボアズの手厚い保護を受け、ついにはボアズと結婚します。この結婚によって、ルツもナオミも人生の大転換を迎えます。ボアズとルツの間に男の子が生まれました。ボアズは親戚の贖い人の役割を行ったので、死者エリメレクの名が存続することになりました。
女たちはしゅうとめナオミに言いました。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。・・その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」
ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てました。近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子の名前をオベド(「仕える者」の意)と名付けました。オベドを実際に産んだのは嫁ルツなのに、「ナオミに子供が生まれた」と言って祝福したのは、ルツの出産にナオミが果たした大きな役割を評価したことと、その子は夫エリメレクの名を継ぐ者でもあったからと思われます。エリメレクもナオミも、キリストの系図には、その名がありませんが、「ルツ記」には、大きな役割を果たした人としてその名が記されたのです。
ルツとナオミに与えられた子オベドから、エッサイ、ダビデと家系は続き、イエス・キリストとの誕生へと続いていくのです。(マタイ1:5参照)
ナオミは異国の地で、夫のみならず二人の息子を失いました。しかし、今こうして、嫁ルツによって、「七人の息子にまさる」ほどの孫を抱き上げるものとなりました。すべてを失った貧しいナオミではあったが、決して信仰を失うことはありませんでした。異国の地の娘ルツは、このしゅうとめナオミの信仰を学び、どのような境遇にあっても、固い信仰を持ち続けました。主はこの二人を顧みられ、大きな慈しみをほどこされました。このように「万事を益とする」神さまは時満ちて、大きな祝福をお与えになられる方であることを信じ、どんな困難にも祈りつつ耐え抜きましょう。「主の慈しみは世々とこしえに、主を畏れる人の上にある」(詩編103:17)のです。