富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「女性の働き」 フィリピの信徒への手紙4章1~3節

2019-08-04 01:29:55 | キリスト教

  ↑ フィリピの町のガギタス川の祈り場で、パウロの一行から福音を聞くリディアと婦人たち

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

     日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

    聖霊降臨節第9主日  2019年8月4日     午後5時~5時50分

年間標語 「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆこう。」(エフェソ4・16)

聖 句 「御父が、その霊により、力をもって、あなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソ3・16-17)

        礼 拝 順 序

                 司会 斎藤 美保姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 355(主をほめよ わが心)

交読詩編   97(主こそ王)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)フィリピの信徒への手紙4章1~3節(p.365)

説  教   「女性の働き」  辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21)  567(ナルドの香油)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

             次週礼拝 8月11(日)  午後5時~5時50分 

             聖 書 ペトロの第一の手紙3章13~22節

             説教題 「苦難の共同体」 司会 千田開作兄

             讃美歌(21) 361 531 交読詩編 13

   本日の聖書  フィリピの信徒への手紙4章1~3節

 1だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。 2わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。 3なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。

   本日の説教

  

    フィリピへの伝道は、パウロが第二伝道旅行の時、アジア州のトロアスでマケドニア伝道の幻を与えられたことによって始まります(使徒言行録16章9-15節)。パウロとシラスとテモテと、トロアスで一行に加わった医者ルカの四人は、トロアスから船出してサモトラケ島に直行し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニヤ州第一区の都市で、ローマの植民地であるフィリポに行きました。そして、この町に数日滞在しました。伝道の結果、アジア州のティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人や、看守も救われ、彼らの家族も救われました(使徒16章12-34)。そしてここにヨーロッパで最初の教会が誕生しました。紀元五十年頃のことです。

  

     リディアが洗礼を受けたガギタス川と教会

 

           フィリピの遺跡

  フィリピは、現在はギリシャ共和国の北東部、ブルガリアの国境に近い、東マケドニア地方にある、ピリッポイという町(Filippoi)です。

   マケドニヤ王国のアレキサンダー大王の父親フィリッポス二世がこの町を占領し、自分の名にちなんでフィリッピ(ピリピ)命名した町です。近くの山から金が産出したので金鉱開発が進められ、ヨーロッパに通じるエグナティア街道の重要な場所としてこの町は発展しました。パウロが訪れた時は、この地方最大のローマの植民都市でした。

  リディアはエフェスの北東約80キロにあるティアティラ市(現在名はアクヒサール)出身の紫布を商う商人でした。彼女は家族や使用人と共に、パウロから洗礼を受けたヨーロッパで最初の信徒でした。彼女の家で集会がもたれ、教会に成長しました。彼女が住んでいた土地はリディア村と呼ばれ、現在もフィリピの遺跡の西にリディア(Lydia)と呼ばれる町になっています。

 このようないきさつで使徒パウロから福音を伝えられたフィリピの教会は、以後、パウロと親密な関係を保ちました。折にふれて使徒パウロの宣教活動を援助していたフィリピの教会は、事情があって一時援助を中断していました。しかし、<もののやり取り>の関係(4・15)が再会し、信徒たちはエパフロディトを代表に立て、贈り物を持たせて監禁中のパウロのもとに派遣しました。彼はしばらくパウロのもとにとどまって奉仕したが、病をえて、フィリピに送り戻されることになります。この機会に、贈り物への感謝を表し、信徒たちへの愛慕の思いを伝え、使徒としての配慮から種々の勧告を記した手紙をエパフロディトの持たせて送ったのがこの手紙です。

  手紙の中には、監禁の場所とフィリピとの間で相当数の往来があったことが指摘されており、これらのことから、距離や交通の便などを考慮に入れるとエフェソが一番好条件の地ということになり、近年ではエフェソ説が有力です。

 パウロは第三伝道旅行中の紀元53~55年頃エフェソに二年三か月滞在しました。エフェソの投獄については、使徒言行録は記していません。しかし、パウロは、アカイア、マケドニア、アジアの諸教会との文通の中で、繰り返しその受難について言及しています。

 パウロはフィリピの信徒への手紙で、最初の挨拶の後、<わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。>(1・3) と述べています。

 この4章からなる短い手紙で、<喜び>という言葉が16回も用いられ、手紙の内容も<イエス・キリストにある喜び>で満ちているところから、「喜びの手紙」とも呼ばれています。

  2章6-11節に、有名な「キリスト賛歌」が叙述されているが、思弁的なキリスト論ではなく、このキリストを模範とせよ、という実践的な勧告となっています。 

   今日の聖書の個所、4章1節には、「だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい」とあります。<だから>とは、3章の終わりまでにおいて述べられた、将来におけるからだのよみがえりを待望しつつ生きる信仰者の生き方についての記述を、<しっかりと立ちなさい>と結論的な勧告して結んでいます。

  フィリピの教会の人々に対して、「わたしの喜びであり、冠である愛する人たち」と呼び掛けることによって、彼らが終わりの日に、パウロの「喜び」と「冠」となるように、敵対者たちに抗してその信仰生活を全うするようの勧告します。「このように主によってしっかりと立ちなさ」とは、3章で述べられたからだの復活を終末時に待望する信仰者の生き方を指しています。「主によって」は、主に服従しての意味であり、1章27節での「一つの霊によってしっかり立ち」と実質的には同一事態を指します。

 「しっかりと立ちなさい」は、敵対者たちに属することなく、「主」の支配下にとどまるようにとの勧告です。 

「わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。」

  パウロと交渉のあった諸教会においては、一般に婦人たちは重要な働き人でした(たとえばローマ16章、使徒16・13以下)。ここでも二人の婦人たちは、かつてフィリピ教会で福音のためにパウロと共に戦った人々です。この教会で彼女たちは有力な指導者であり、教会全体に影響力を持っていたと想定されます。

  二章の始めから、信徒間の一致を勧めてきたパウロは、<エボディア>と<シンティケ>という二人の婦人の個人に対して、<主において同じ思いを抱きなさい>と勧告します。「主において」とは、「主の支配に服して」という意味です。「同じ思いを抱きなさい」とは、共同体の一致を志向し、そのために努力せよということであり、より具体的に言えば、へりくだりにより、共同体の一致の形成とそれによる福音のための共同の戦いの再開が指示されています。このようにして、パウロは、抗争関係に陥ったために、もはや互いに一致して、他の同労者たちと共に敵対者たちに抗して戦うことができなくなっている婦人たちに対して、和解を勧めたのです。彼女たちは、4章3節にあるように、かつて<福音のために>、<共に戦った>とあります。おそらく彼女たちは教会建設に際して努力を惜しまなかった婦人たちだったのでしょう。これは、単に過去の業績を指摘するだけの言葉ではなく、今また再びそのようなことの行われるを期待する言葉です。

  パウロは、一章で「あなたがたは一つの霊によってしっかりと立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており」(フィリピ1・27)と語りました。パウロは、エボディアとシンティケに語りかける前に、<主によってしっかり立ちなさい>と勧告しています。パウロは、何らかの事情で教会の活動に協力的でなくなっているエボディアとシンティケに<主によってしっかり立つ>ことを求めたのです。

  「なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。」

  教会の指導的な働きをしていた協力者に、二人の婦人を助けるように頼んでいます。この依頼は、単に仲介の労をとってほしいということに尽きるのではなく、和解によって彼女たちが再度、他の信徒たちといっしょに福音のために戦うものとなるように助けてほしいという依頼です。

「二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。」

この箇所は、婦人たちの過去の業績に言及します。これは単に、業績を指摘し、それによって「彼女たちを助けてあげてほしい」という依頼を理由づけるため、ということではなく、おそらくは、婦人たちが再び、福音のためにパウロおよび他の信徒たちと一致して戦うように、という期待がこめられています。

  クレメンスはフィリピ教会の同労者、教会の創立時の指導者だったのでしょう。<命の書>に名を記されているとは、神の民の天にある登録簿に名前が記されているということであり、神の救いの計画に入れられている、という終末的約束です。罪人の名がそこから<消し去る>と言う表現が詩編69・28にあります。命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと同じように、彼女たち二人も、終末時に救われることを約束されており、女たちはみんなと力を合わせて、福音のためにわたし(パウロ)と共にと戦ってくれた人達なのです、とパウロは彼女たちのかつての業績をたたえているのです。彼女たちのことを多くの人が忘れても、神はその忠実な僕を覚え、ご自身の民として祝福してくださっていることをパウロはフィリピの教会の人たちに伝え、彼女たちを復帰させるように依頼しているのです。

   フィリピの教会は、先に述べたように、紫の布を商うリディアが信者になり、彼女が自宅を開放して、パウロの宣教を助け、彼女の家が基礎となって出来た教会です。エボディアとシンティケは、このリディアの信仰を受け継いだ有力な信徒と思われます。リディアたちを中心として出来たフィリピの教会は、その後長くパウロに対する親愛の情を保ち、彼に必要な経済的援助を送ってパウロを助けました。

   パウロがコリントで出会ったプリスキラと夫のアキラもパウロを助けました。パウロは彼女の家に住み込んでコリントで伝道したのです(使徒言行録18・1~4)。この夫妻は、その後、パウロに同行してエフェソに行き、エフェソでも活躍したのです。 コリントの東にケンクレアイ港がありますが、ケンクレアイの教会の奉仕者の女性フェベもパウロの援助者でした(ローマ16・1-2)。このように、キリスト教の発展の陰にはこのような女性信徒や女性指導者がいたことを覚えたいと思います。

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